世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第17回】オリバー・カーン(ドイツ)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第17回は連載初のゴールキーパーを取り上げる。ファンに愛された各国の新旧スターGKのなかで、際立ってクセの強かったドイツ人「オリバー・カーン」こそ、最初にピックアップするにふさわしい。全盛期、どんなシュートも弾き返すゴール前の姿は、まさに「鬼神」だった。
※ ※ ※ ※ ※
同業者の間でも、意見はさまざまだ。「すべてのGKを『守護神』と表現するのはどうなのよ」
「同感、同感。ワードのセンスがなさすぎるな」
「えーっ、どっちだっていいんじゃないですか」
ステレオタイプの表現ではなく、日本語を巧みに利用するのも編集者、メディアの仕事であると信じて疑わない筆者は、どっちでもいいと考えるタイプとは基本的にウマが合わない。だいたい、マンチェスター・ユナイテッドのアンドレ・オナナが、神であるはずがないではないか!
強烈な存在感を漂わせている。雰囲気だけで敵を圧倒し、味方に安心感を与える。男臭く、用心棒を思わせる強面が、オーラを二重三重にする。メディアが考案したニックネームは「ティタン(ギリシャ神話に登場する巨人族の神)」だった。
オリバー・カーンである。
1960年代から現在に至るまで、ドイツは多くの名GKを輩出してきた。
ハンス・チルコフスキ、ゼップ・マイヤー、ハラルト・シューマッハー、アイケ・インメル、アンドレアス・ケプケ、ボド・イルクナー、マヌエル・ノイアーなど、いずれ劣らぬトップランカーばかりだ。ゴードン・バンクスとレイ・クレメンス、ピーター・シルトンの3人で事足りるイングランドとはレベルが違う。
カーンもドイツの名GKの系譜を受け継いだひとりであり、1990年代半ばから10年以上も代表の座を守り続けた。
【ワールドカップ史上に残る名シーン】
ただ、ほかの名手とは一線を画し、常に好戦的だった。
1FCケルンで奥寺康彦と同僚だったシューマッハーも熱い男だったが、カーンに比べればおとなしい。基本的にGKは冷静沈着。同僚がいさかいを起こした場合は止める──との不文律を破るかのように、自ら進んでトラブルの輪の中に突進していく。
いや、決してケンカ自慢ではない。勝利に対する強い思いが、カーンのハートに火をつけただけだ。
たとえば、2002年の日韓ワールドカップである。グループステージ第2戦のアイルランド戦で、ドイツは不注意なミスから後半アディショナルタイムに失点。それでも試合後のロッカールームは緩んでいたという。
「テメーら、ポイントを失ったというのに、その態度はなんだっ!」
カーンの喝(かつ)は効いた。
「決勝トーナメントに進出できれば御の字。ベスト8なら上出来」と言われていたドイツにポジティブな危機感と緊張感がみなぎり、決勝にまで駒を進めた。ブラジルには敗れたものの、カーンのひと言が屈辱的な下馬評を覆したのである。
ブラジル戦終了後、カーンは悔しさを押し殺すようにして、ポストにもたれかかっていた。決勝進出は望外のフィナーレとはいえ、ここまで来たらやはり勝ちたい。優勝と準優勝では雲泥万里(うんでいばんり)ある。
その時、ブラジルのキャプテン、カフーがカーンに近づいていった。二言三言(ふたことみこと)交わしたあと、握手をし、健闘を称え合う。ワールドカップ史上に残る名シーンとして、多くの人々の記憶に刻まれている。
カーンにはもうひとつ、苦い記憶がある。1998-99シーズンのチャンピオンズリーグ決勝だ。
彼が所属したバイエルンは、後半アディショナルタイムに入るまで1-0とリードしながら、マンチェスター・ユナイテッドに大逆転を許した。世にも有名な「カンプ・ノウの奇跡」である。
テディ・シェリンガムの同点ゴールは90分35秒、オーレ・グンナー・スールシャールの逆転ゴールは92分17秒と記録されている。わずか1分42秒で、カーンとバイエルンは天国から地獄に転落した。
【勝利の女神はカーンを見放さなかった】
勝者と敗者のコントラストは残酷だ。狂気乱舞するマンチェスター・U。バイエルン側は何が起きたかわからないかのように、ローター・マテウスが呆然としていた。サミュエル・クフォーは何度も、何度もピッチに拳をたたきつけ、カーンは所在なげに視線を落とす。90分まで完璧だったプランが1分42秒で覆されてケースはおそらくない。
だが、勝利の女神はカーンを見放さなかった。2000-01シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、対バレンシア戦である。
1‐1のまま120分が終わり、決着はPK戦に委ねられた。先攻のバイエルンは、一番手のパウロ・セルジオがバーの上に大きく外した。
さぁ、カーンに見せ場がやってきた。バレンシア3番手ズラトコ・ザホヴィッチのキックを右に飛んで弾き飛ばし、4番手アメデオ・カルボーニの一撃は右腕一本でストップする。ゴールデンゴールに入り、7番手マウリシオ・ペジェグリーノのキックは両腕でブロックした。
PK戦、5-4。カーンの神がかったセーブにより、バイエルンはヨーロッパを制した。
なお、彼が全盛期を迎えた2000年代のバイエルンは無双だった。ブンデスリーガ6回、DFBポカールも5回優勝している。
近代フットボールのGKは、守備範囲の広さと、攻撃の起点となるべきキック力が必須とされている。今シーズン、ローマでブレイクしたミレ・スヴィラルが好例だ。マンチェスター・シティがスカウトを派遣した事実も確認されている。
カーンはキックの精度こそ現代のGKに劣るが、守備範囲は広く、特に前方向に滅法強かった。すさまじい圧力に相手がおじけづき、シュートを外す。
さらにジャンプ力に長け、セービングもやや後ろに飛ぶようにして距離が出た。188cmとGKとして大柄ではなかったこの男がワールドクラスのGKになり、ティタンと名づけられたのは、心身のストロングポイントを存分に生かしたからにほかならない。
【現役引退後は大学でMBAを取得】
2008年に引退したあと、カーンはバイエルンのCEOに就任し、2023年に退職している。強大な影響力を持つウリ・ヘーネス名誉会長との不仲、自らが手掛けた補強の失敗など、いくつかの理由が挙げられている。
また、財政悪化のペナルティでフランス4部リーグにまで降格したボルドーを救うためにも立ち上がった。だが、「このクラブが抱える問題はあまりにも深刻」と撤退している。
今、カーンは表舞台から姿を消している。バイエルンの、ヨーロッパの、いや、世界の動向を見極めているに違いない。
現役当時は常に強気で戦ってきた。このまま沈黙を守り続けるはずがない。
引退後、オーストリアのゼーブル大学で経営学修士号(MBA)を取得し、ハーバード大学の経営学コースも修了した。ビジネスのなんたるかを学んでいる。次のチャンスは、すぐそこまで迫っている。
カーンは、フットボールの世界で生きるべき男だ。