学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざま部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

 この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」
【サッカー】小林悠インタビュー3回目(全3回)

◆小林悠・1回目>>泣きじゃくった高2の大晦日「めっちゃ青春」
◆小林悠・2回目>>先輩に向かって「ちゃんと部活やれよ!」と言った理由

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川崎フロンターレ・小林悠が大学4年間ずっと居酒屋で働いて学ん...の画像はこちら >>
 2010年に川崎フロンターレに加入して、今季でプロ16年目を迎えている。2017年にはJ1リーグで23得点をマークして得点王に輝くと、チームを初優勝に導いた。14年連続ゴールを続ける小林悠が、積み重ねてきたJ1リーグでの143ゴールは、歴代7位を誇っている。

 ピッチでは「自分が決める」と言わんばかりに顔をギラつかせ、全身全霊を捧げている。その姿は37歳になった今もルーキーのようであり、獲物を狙うハンターのようでもあり、まさにストライカー然としている。

 そんな彼は、サッカーを始めたばかりのころからFWだったわけでも、ストライカーだったわけでもない。むしろ、麻布大学附属渕野辺高校(現・麻布大学附属高校)時代のポジションは、トップ下やサイドで、2列目を主戦場としていた。

 学生時代に熱中した漫画にも、その傾向は見え隠れする。

 『SLAM DUNK』(集英社)と『ファンタジスタ』(小学館)。

 前者からは「コツコツ努力することの大切さ」を学んだ。

「連載が始まった時は小学生になる前だったので、リアルタイムでは読めなかったのですが、中学生になってから読み込んだ記憶があります。

特にミッチー(三井寿)が大好きで、中学の休み時間はずっとバスケをしていたくらい。いつもスリーポイントシュートを狙っていました。

 桜木花道が素人だったところから、何千本ってシュートの練習をするじゃないですか。それが最後の場面につながっている。練習がすべてだということを思い知らされるというか。僕はそれを感じました」

【中村憲剛タイプではなかった】

「いつか子どもたちにも読ませたい」という『SLAM DUNK』が人生のバイブルならば、『ファンタジスタ』には当時のプレースタイルを重ねていた。

「タイトルのとおり、主人公の坂本徹平はファンタジーあふれるプレーをする選手なんですけど、漫画で描かれているプレーをちょっとマネしてみようかなって思ったりして。今の自分しか知らない人には想像できないって言われるんですけど、高校時代のチームメイトは僕のことを『ファンタジスタだった』って言いますからね(笑)。

 とにかく、主人公は観客を魅了するプレーをするんですけど、それが本当にカッコよくて。僕自身も、相手を出し抜くというか、相手の意表を突くプレーやパスが好きで。高校時代は、僕と、幼馴染みの小野寺達也と、右サイドにいたもうひとりが絡んで、それこそファンタジーあふれるプレーを見せていました。あっ、でも、ファンタジスタだからといって、中村憲剛タイプではなかったですけどね(笑)」

 FWとしてプレーする今も、ボールを持てばゴールを決めてくれそうな期待感が漂うのは、そうした原点にあるのかもしれない。

 2列目から最前線にポジションを移したのは、拓殖大学に進学した大学1年生の時だった。

負傷者がいた関係で、玉井朗監督からFWでの出場を求められた。

「試合に出られるならと思って、『はい』って即答したんです。その時、初めてFWで試合に出たんですけど、最終ラインと駆け引きするのが面白かったんですよね。試合で活躍できたこともあって、すぐに『FWは楽しいかも』って思いました。そこからFWでプレーするようになって、新人王になったので、ホント、人生は何が起こるかわからないですよね」

 関東選抜や1・2年生の選抜チームにも呼ばれ、プロに進むであろう1部リーグの選手たちと過ごすようになってからは、より意識が高まり、結果にこだわるようになった。

「FWはもう、点を取らなければ評価されないし、プロにはなれないと思うようになりました。中盤の選手はチャンスメークや守備も評価の対象になるかもしれないけれど、FWは結果がすべてというか、ゴール数がイコールになっている」

【まるで天下を獲ったような気分】

 大学2年生の2007年だった。当時、関東大学2部リーグの得点王レースでトップを走っていたのは、専修大学の荒田智之だった。ふたつ年上の荒田は、13得点の小林を大きく引き離す20得点を挙げて、水戸ホーリーホックへの加入を勝ち取っていた。

「プレースタイル的には、自分のほうがいろいろなことができるタイプだったのに、ゴール数では絶対的に、荒田くんに勝てなかった。とにかく、荒田くんはゴール前で仕事をして、点を取りまくる選手だった。その荒田くんがプロに進むのを知って、FWはやっぱり結果が大事なんだなって実感したんです」

 1本のシュートに、1回のチャンスにこだわるようになった。それは試合だけでなく、日頃の練習からも──。

「プロになりたいのならすべて決めろ」

「練習も試合と一緒だからな」

「これを決めなければプロへの道が遠ざかるぞ」

 自分自身に言い聞かせ、シュートにすべてを注ぐようになった。それが大学3年生で19得点を挙げ、関東2部リーグ得点王へとつながり、そして川崎への加入にもつながっていた。

 インタビュー前編で小林の歩みが「稀有」と表現したのは、関東大学2部リーグからプロへと這い上がってきたからだけではない。

「居酒屋で、ずっとバイトしていました」

 聞けば、大学4年間、アルバイトに勤しんでいた。

「1年生の時は朝から授業を受けて、そのあとに練習をしてから、バイトに行っていました。夜勤のほうが時給も高いので遅くまでバイトをして、それから家に帰って寝ていたから、朝は起きられなくて授業をサボったことも......(笑)。高校生の時はアルバイトができなかっただけに、大学生になって自分で働いて、お金を稼げることがうれしかったんです」

 1カ月の給与が10万円の大台を越えた時には、振り込まれた口座からお金を引き出して、紙幣を眺めたという。

「自分が働いた結晶というか。10枚の1万円札を前に、まるで天下を獲ったような気分になっていました(笑)。でも、それだけお金を稼ぐことの大変さや苦労は身に染みてわかっているつもりです」

【だから今もプロを続けられている】

 2年生になってからは、練習が早朝に変わり、アルバイトする時間帯も変わったというが、その時から働き始めたという店舗では、4年生まで勤め上げた。

「居酒屋ではお酒も作っていましたし、食器も洗っていましたし、お客さんがトイレで嘔吐してしまった時には、その汚れも掃除していました。かなりの古株だったので、完全にバイトリーダーでした(笑)。あっ、でも、店舗の決まりで、吐瀉物だけは古株・新人も関係なく、じゃんけんで負けた人が掃除する決まりでした(苦笑)」

 現役Jリーガーが学生時代、サッカーに関するスクールやイベントの手伝いをしていたという話は聞いたことがあったが、居酒屋で、それも4年間、アルバイトを続けていたケースは初めてだっただけに、驚くとともに感心した。

「バイト仲間も年が近かったので、仲がよくて、楽しかったですね。でも、誰も僕がプロサッカー選手になるとは思っていなかったみたいで、フロンターレに加入すると言った時は驚いていました。たしかに海外遠征に行くとは言ってたけど、本気でサッカーやっていたのかって(笑)」

 高校、大学と、まさに青春を謳歌した小林は、当時を思い出しながら言う。

「自分がそうだったから言えますけど、最後までしぶとく真面目にやっている人が残っていくのかなと思います。自分が大学に入った時も、『真面目に取り組んでいたら絶対にプロになれるのに』と思う人が何人もいました。でも、どっかで自分をあきらめてしまっていたし、自分に逃げ道を作ってしまっていた」

 小林は「でもね」と言葉を続ける。

「それはプロになってからも一緒なんです。何でもっとやらないんだろう、何でもっと真剣に向き合わないんだろうって思ったことは何度もありますから。そういう人はプロにはなれないと思うし、プロになれたとしてもきっと続かない。

 高校の3年間、大学の4年間、人生のうち、たったとは言わないけど、そこだけがんばればいいのに、逃げ道を作って、そっちに流れていってしまう。自分はそこで真面目にやってきた自信がある。だから、今もプロサッカー選手として続けられているとすら思っています。

 もちろん、あきらめずにやってきて、プロになれなかった選手も知っているので、簡単に『あきらめなければ夢は叶う』とは言わないですよ。でも、自分はそうだったからなれたって言いきれます」

【部活をやってよかった】

 話を聞いてひとつ言えるのは、小林は「あきらめなかった」から、プロサッカー選手になれたわけではない。

 高校時代の恩師から「悩んでいる時こそ成長している」と言われ、その後も窮地や困難に立たされるたびに、プラスに変えてきた。大学時代も流されず、強い意思を持ち、訴え続けることで周りを動かした。FWとしてプレーするようになった時も、求められる数字に着目し、結果にこだわるようになった。

 起きた出来事や事象を、ただ飲み込むのではなく、必ず咀嚼(そしゃく)して養分にしてきたから、彼は道をこじ開けた。

 最後に聞かせてくれた言葉が、すべてを物語っていた。

「僕、サッカー選手になれなかったとしても、幸せに暮らせた自信があるんです。みんなで喜んだり、悲しんだり、助けたり、助けられたり。そのすべてが成長につながっていた。だから、部活やってよかったなって」

 小林の言葉からは、その瞬間を後悔しない──やりきる大切さを教わった。

<了>


【profile】
小林悠(こばやし・ゆう)
1987年9月23日生まれ、東京都町田市出身。

麻布大学附属渕野辺高(現・麻布大学附属高)時代は2年連続で選手権に出場し、拓殖大では在学中に水戸ホーリーホックの特別指定選手としてJリーグデビューを果たす。大学卒業後の2010年から川崎フロンターレの一員となり今シーズンで16年目。2014年10月のジャマイカ戦で日本代表デビュー。国際Aマッチ出場14試合2得点。川崎に4度のJ1優勝をもたらし、2017年にはリーグ得点王とシーズンMVPを受賞する。ポジション=FW。177cm、72kg。

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