「自分は"攻める"っていう気持ちで、攻めます」
宮浦健人はそう言って、オポジットという"スパイクで相手を叩き潰すポジション"の覚悟を示している。
単純明快。
ネーションズリーグ男子2025千葉大会、日本バレーの行く末を切り開くのは宮浦だ。
7月16日、日本はドイツを3-1と下した。立ち上がりこそ、硬さが目立ったが、2セット目以降は本来の強さを発揮した。「1セット目はバタつきました」
宮浦はそう振り返っているが、彼のスパイクが、そのまま日本の勝敗を左右するのだろう。
「(パリ五輪後)日本のホームでの初めての試合で、新しいメンバーも入ってこれまでと違ったメンバーになっていたので、空気感が違うのはありました。ちょっと様子見、というのはおかしいですけど、少しそういう部分はあったと思います」
確かに彼は泰然としていた。
結局、この日はチーム最多タイの19本のスパイクを決めた。ネーションズリーグは1週目が中国、2週目がブルガリアとそれぞれのラウンドを戦ってきたが、石川祐希、髙橋藍がいないチームを牽引したのは彼だった。同じオポジットの西田有志も休養で不在のなか、エースの面目躍如だ。
持ち味のひとつである強烈なサーブも、調子を上げていった。
「まずは今日の試合を通して、(サーブは)少しトスが低かったので、(コーチからも)アドバイスというか、少し高く修正して。とにかく攻める選択肢しかなかったです」
宮浦がそう語っているように、サーブはエラーを恐れず、攻め続けることで敵の守りを崩した。強く張った弓から繰り出すような矢が凄まじい勢いで相手を襲う。さらに急回転がかかって、手元でグニャリと変化するのだ。
【「そこにある環境で最善を尽くす」】
「自分はどんな時も攻める。それが求められているので、攻めないのはもったいないというか......。自分がミスしても1点だし、相手に決められても1点になるので、そこは攻めるしかない」
彼は低い声で言うが、その自責の精神は骨の髄まで浸透しているのだろう。
昨年9月のインタビューで、高校3年生で被災した熊本地震について聞いた時だった。人生観に影響を与えないわけがない出来事だったのだろう。当たり前のように使っていた体育館が一夜にして使えなくなり、他県まで練習に行かせてくれるように周りが支援する気持ちを受け止めながら、同時に勝負とも向き合った。
――バレーとの向き合い方が変わりましたか?
宮浦は静かな声で訥々と答えている。
「自分が通っていた鎮西高校って、練習時間は長くないんです。各自が自主練習で"自立"という方針で、自主練習はやっていましたが、(地震の後は)その場所もなかなか確保できなくて。鎮西は『エースに託す』というスタイルで、自分が当時はエースだったので"自分がよければ勝てるし、自分が悪かったら負ける"って思っていました。だから、"自分がもっと強くならないと"と、練習ができる環境は限られていても、"やれることはやる"って自分に言い聞かせていました」
おそらくその経験は、もともとの彼の骨格に肉付けされた。
「(被災当時を振り返って)今となってはって感じですけど......なんだろう......与えられた環境で100%を尽くす、というのを考えてやれるようになったと思います。たとえ不十分であっても、言い訳にしたくはないし、したこともありません。そこにある環境で、自分で考えて最善を尽くす、という思考展開はできるようになったのかなって思います」
7月17日のアルゼンチン戦で、日本はセットカウント0-2から3-2と大逆転で勝利しているが、宮浦は勝負がかかったスパイクを次々に決めている。チーム最多23得点を記録。
「リスクを負って攻めるしかなかったので。そこはチームで統一して......」
宮浦は大逆転の立役者となり、敵の長身ミドルブロッカーが番人のように立ちはだかっても、そこを堂々と撃ち抜いた。
「アルゼンチンは特にミドルの選手がブロックもすばらしくて、サイドの選手も高さあったので、そこは意識していました。まずはサイドの選手の位置どりを見ながら、ラインを閉めてきたら間を打ってみたり、ラインが開いていたらラインに打つように。その都度、冷静にしっかり適応できたかなって。まだまだ振り返れば"ああしていればよかった"はあるのですが」
朴訥に語る姿が、むしろ頼もしい。武人の重々しさを纏っている。それでいて、たまに笑うと無垢さが出る愛らしさで、女性ファンが急増しているのだろう。
「自分は本当に、ただ、やるべきことをやるだけ」
短い言葉に意外性はないが、生き方そのものが詩的に映る。彼が行くのは、エースの道だ。
7月20日、日本はファイナル進出をかけ、強豪アメリカと対戦する。