日本人初のNFL選手を目指す元アマ横綱
花田秀虎インタビュー(後編)

◆花田秀虎・前編>>「ドラフト候補のレベルはケタ違い。見たことのない動きをする」

 NFL挑戦を公言した時はアメフト未経験。

アメリカに渡るまで試合出場の経験すらなかった。そんな花田秀虎が本場の環境で順応できたのは、「相撲」というバックボーンがあったからだ。

 小学2年時から相撲を始め、高校時代は世界ジュニア選手権で無差別級2連覇。2020年、日体大1年生の時に全日本相撲選手権を制して「アマチュア横綱」に輝いた。大学1年での優勝は36年ぶりふたり目の快挙だった。

 そんな相撲のエリート街道を歩んでいた花田が、突如アメフトに進路を変えた。しかし、相撲に対する思いが薄れたわけでない。今年の5月に初土俵からわずか13場所で横綱に昇進した大の里(二所ノ関部屋)など、角界へ入った元ライバルたちの活躍ぶりは、遠く離れていても注目し続けている。

 日体大の1学年先輩である大の里に対して、花田はどのような思いを持っているのか。また、最近出会ったという元横綱・朝青龍との交流についても話してもらった。

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「大の里関のポテンシャルは当時から最強」 日体大の後輩・花田...の画像はこちら >>
── NFL選手になることを目指してアメフトに転向されてから、3年ほどが経ちました。その後、相撲とはどのように関わってこられたのですか?

「アメリカに行って、あらためて『俺、相撲がめっちゃ好きだな』っていうのを感じています。

アメリカでも相撲の放送をやっているので毎場所欠かさずチェックしていますし、X(旧Twitter)に流れてくるダイジェスト映像も見ています。

 あと、落合(哲也)......親友の伯桜鵬関(伊勢ヶ濱部屋)もがんばっているので。僕がアメリカ生活でホームシックになった時、彼に電話して刺激をもらったりして、それでがんばることもできましたね」 

── 日体大で花田さんの1学年上だった大の里関が初土俵から13場所、1958年以降の年6場所制導入以降では最速で横綱に昇進しました。

「すごいですよね。いずれ横綱になるとは思っていましたけど。ポテンシャルは当時から最強でしたから。

(高校横綱に輝いた)北の若関(八角部屋)など、僕の周りには高校時代から強い力士がいっぱいいたんですけど、僕が一番警戒していた相手は大の里関でした。日体大では近くでずっと見ていたんですけど、ポテンシャルはもう......一級品ですね」

【大の里対策は徹底的にやった】

── 13場所での横綱昇進は、あまりにも速いですよね。

「やばいですよね。そこまでの予想はしてなかったですけど......いや、負けないだろうなと思っていたので、妥当じゃないですか、横綱になるのは時間の問題だと思っていました」

── 大の里関とはどういう間柄だったのですか?

「普通の『先輩・後輩』の関係ですよ。ふたりとも(日体大では)レギュラーだったし、一緒に泰輝先輩(大の里)の母校の新潟(県立)海洋高校へ合宿に行ったりもしていました」

── 学生競技だとひとつ学年が違うだけでも大きな差ですよね。

「ごく普通の体育会の先輩・後輩でしたよ。僕は先輩を立てるし、逆に先輩からはご飯をおごってもらったりしていました」

── 2022年のワールドゲームズの重量級決勝では、花田選手が大の里関を破って金メダルを獲っていますよね。

「めちゃめちゃ研究しましたよ。『中村泰輝(大の里)対策』は徹底的にやりましたから(笑)。僕も(日体大の)稽古場では手の内を見せなかったですし、たぶん彼も見せていなかったです。

 お互い警戒しているのは齋藤(一雄。日体大相撲部監督)先生もわかっていたので、あの時の稽古では、僕たちにあまり相撲を取らせなかった。決勝で当たると想定していたのでは」

── ワールドゲームズで大の里関に勝った時は、どういう気持ちでしたか? 

「僕はその試合を最後に『相撲から離れる』って思っていたんです。だから集大成というか、その試合に賭けていました。僕のアマチュアでの最後の試合、最強の相手が上がってきてくれたと思いました。だから勝てた時は、本当にうれしかったです」

── 大の里関を破るほどの実力があったのですから、そのまま角界に進んでいたら順調に昇格していたのではないなと思ってしまいます。

「いやいや、全然です(笑)」

── ふたりの対戦成績は覚えていますか?

「五分五分くらいじゃないですかね」

── 最後に勝ったのは大きいですね。

「大の里関が横綱になってくれたおかげで、僕の株も上がりました。それは感謝しています」

【大の里は懐がめちゃくちゃ深い】

── さきほど「大の里関のポテンシャルは最強」と言っていましたが、具体的にはどういったところにすごさを感じますか?

「まずは恵まれた体ですね。さらに瞬発力、運動神経......どれをとっても最強でした。

あと、大の里関は懐(ふところ)がめちゃくちゃ深いんです。『絶対に押し出せた!』って思っても、あと2、3歩前に出ないと押し出せないんですよね。

 それって、彼と相撲を取った人にしかわからない。相撲を取っていると『これは絶対にいけた(勝てた)だろう』という感じがあるんです。でも大の里関が相手だと、気を抜いたら運動神経とバネで跳ね返してくる。だから本当に仕留めきらないと、勝てない。

 ワールドゲームズでの大の里関との相撲を見てもらったらわかるんですけど、僕は彼の足首を刈るくらいの勢いで倒しにいっているんです。そうやって本当に最後の最後まで勝ちきりにいかないと、彼には勝てない。粘り腰とでもいうのかな......難しいな......もう言語化ができないくらいのものがあるんです。対戦した皆がそう思っているはずですよ」

── 大の里関は今後、どのような存在になっていくと思いますか?

「大横綱になる人です。あの若さで横綱になることは本当に大変なことだし、いろんなプレッシャーもあるでしょう。まずは健康でいてもらいたいです。

ずっと応援しています」

── 大の里関や伯桜鵬関のように学生時代に切磋琢磨してきた人たちが今、角界で活躍しています。それはアメフトでの高みを目指す花田選手にとって、大きな刺激になりますね。

「めちゃくちゃなります。草野(直哉。伊勢ヶ濱部屋)が十両で二場所連続優勝したのもうれしかった。彼とは中学生の頃からずっとライバルなんです。彼らががんばっているから、僕もがんばれる」

── 話は変わりますが、元横綱の朝青龍さんと最近会食したそうですね。花田選手のSNSで拝見しました。

「そうなんです。朝青龍さんからSNSで突然、『はじめまして花田くん、朝青龍です」ってDMをいただいたんです。最初は『絶対に嘘だろう』と思いましたが、恐る恐る返信をしたら、ビデオ通話をかけてきてくれて『本物だ!』と」

【朝青龍さんは僕の兄貴】

── 朝青龍さんと会って、どんな話をしたのですか?

「なぜ大相撲の道へ行かなかったんだとか、アメリカでの話とか、いろいろ聞いてもらいました。その一方で、朝青龍さんの生い立ちや日本で横綱になるまでの話、当時の心境なども詳しく聞かせてもらいました。

僕にとってすごく為(ため)になる話でしたね」

── 花田選手がNFLを目指していることについて、朝青龍さんはどう言っていました?

「『センス、いいね!』って(笑)。『大相撲に行ったら横綱になれる器だよ』とも言ってもらえて......。大横綱からそんなことを言ってもらえるなんて、めっちゃうれしかったですね」

── 今後も交流が続きそうですね。

「実は近々、モンゴルに行ってナーダム(モンゴルで年に1回の民族の祭典。ブフ=モンゴル相撲、競馬、弓射の3競技が行なわれる)を見てくるんですよ(本稿掲載時はモンゴル訪問済み)。朝青龍さんの自宅にお邪魔することになって。

 朝青龍さんから『ナーダムが始まるから、そのタイミングで俺のところへ来て、学ぶことがたくさんあるから学べ』って言ってもらえて。ナーダムにはモンゴル人しか出られないですけど、スパーリングはさせてもらう予定です。朝青龍さんは、もう僕の兄貴です。実際に『兄貴』って呼ばせていただいています」

── モンゴル出身力士が角界を席巻して久しいですが、実際にスパーリングをやってみると強さの秘訣がわかるかもしれませんね。

「そうですね、逆輸入ファイターになるかもしれないです(笑)。モンゴル相撲は日本でも有名ですけど、やっている人って少ないじゃないですか。

なので、いろんなことを学べそうです。それに朝青龍さんは大実業家なので、どういうことをされているのかも学びたいですね」

── 朝青龍さんから「横綱になれる」と太鼓判をもらいましたが、将来的にアメフトから再び相撲界に戻るという可能性もありますか?

「そうですね。オプションとしてはあります。理想はこのままNFLに行くことですけど、もちろんダメだった場合も考えなきゃいけない。僕が考えている道はいくつかありますが、そのひとつに大相撲もあります。ただ、選択肢は相撲だけじゃなく、いくつかのオプションのひとつとして今は考えています」

<了>


【profile】
花田秀虎(はなだ・ひでとら)
2001年10月30日生まれ、和歌山県和歌山市出身。小学2年時から相撲を始める。和歌山商高では1年時に全国高校選抜大会・個人戦で優勝。2年・3年時には世界ジュニア選手権の無差別級で2連覇を果たす。日体大に進学後の2020年、全日本相撲選手権で優勝して「アマチュア横綱」となる。大学1年での優勝は1984年の久嶋啓太(元・久島海)以来36年ぶりふたり目。日本人初NFLプレーヤーとなるべく、現在は日体大を休学してコロラド州立大でプレーしている。185cm、130kg。

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