連載第61回
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
今回はU-15Jリーグ選抜の試合から。
【リバプールU15に2連勝】
先日、プレミアリーグチャンピオンのリバプールが来日して横浜F・マリノスと対戦した。彼らにとってはオフ明けのプレシーズンマッチ。当然、コンディションは万全でなく横浜に先制点を許したものの、さすがの個人能力でしっかりと3点を奪って逆転勝ちした。とくに新加入のドイツ代表、フロリアン・ビルツが新天地で躍動していたのが目についた。
さて、横浜との試合とは別にリバプールのU15チームが「アカデミーマッチ」でU-15Jリーグ選抜と対戦。こちらでは第1戦は1対0、第2戦は2対0でJリーグ選抜が連勝した。リバプールとJリーグクラブでは財政力に大きな差がある。その結果、リバプールのトップチームは各国の代表クラスを集めたチームになっているので、Jリーグのチームとは戦力差が非常に大きい。なにしろ、Jリーグクラブは代表クラスの選手を育てても次々と欧州クラブに引き抜かれていってしまうのだ。
だが、育成段階のチームならJリーグも互角に戦える。「アカデミーマッチ」はそのことを証明したわけだ。
リバプールU15にはスピード系の選手が揃っていたが、Jリーグ選抜はチームとしてしっかり守りきった。
Jリーグ選抜は、柏レイソルU-15からふたりが選ばれている以外は、各クラブからひとりずつというチーム。だが、そんな「寄せ集め」であるにも関わらず、チームとしっかりと機能していたのがまず印象的だった。日本の最近の若い選手たちはいわゆる"サッカーIQ"が高く、急造チームであってもそのなかで自分の役割を理解してプレーすることができるのだ。
【長めのパスを巧みに使ったJリーグ選抜】
Jリーグ選抜では、U-17日本代表の廣山望監督のご子息、廣山濯(アスルクラロ沼津U15)が左ウィングとして活躍したことが大きく取り上げられていたが、僕にとってはJリーグ選抜がロングレンジ、ミドルレンジのパスを巧みに使って攻撃を組み立てていたのが新鮮だった。
日本のチームというと比較的短いパスをつなぐことが多いが、こういう長めのパスを駆使して大きな展開ができると戦い方の幅が大きく広がる。
その立役者は左センターバックに入った竹内悠三(名古屋グランパスU-15)とボランチのゼイナー大耀(東京ヴェルディジュニアユース)のふたりだった。
竹内は、左足の直線的なボールで相手陣内にできるスペースを突くパスを使って、チャンスメークをした。
前半の追加タイムには相手のペナルティエリアの奥を狙ったパスでトップの阿部圭吾(FC町田ゼルビアジュニアユース)を走らせ、阿部の落としを柿沼伶音(鹿島アントラーズつくばジュニアユース)がシュートするチャンスを作った。
また、76分にも左サイドのスペースに鋭いパスを送り込んで、後半からトップに入っていた三原大虎(ギラヴァンツ北九州U-15)のシュートに結びつけた。最終ラインからの1本のパスでシュートチャンスを演出できていたのだ。
一方、ゼイナーは中盤から広角にパスを展開してサイド攻撃の形を演出。
そして、このゼイナーのミドルレンジのキックは非常に優雅なものだった。
竹内のキックが直線的なのに対し、ゼイナーのキックはフワッとした感じのキックなのだ。滞空時間が長く、正確に受け手の足元に落ちてくる。感覚的な表現になってしまうが、キックの瞬間に蹴り足ですくい上げるような蹴り方をするのだ。
【古典的ゲームメーカーのエレガントなキック】
これを見て、僕は昔の古典的なゲームメーカーが全盛だった時代を思い出していた。
たとえば、1970年代の西ドイツ(当時)代表のリベロ、フランツ・ベッケンバウアー。あるいは、1972年の欧州選手権(EURO)での華麗なプレーで注目された同じく西ドイツ代表MFのギュンター・ネッツァー。彼らは、そのエレガントで正確なキックで世界を魅了した。アウトサイドキックを多用するあたりも、本当に見ていて変化があって楽しかった。
彼らのボールの軌道を見ていると、まるでサッカーボールより軽いバレーボールを蹴っているように見える。力を入れずに長い距離のキックを操っている。そして、受け手が収めやすいような回転がかかって、足元に正確に落とすのだ。
1年くらい前だったか、日本の某公共放送局が昔のW杯の試合をノーカット放映していたが、1974年の西ドイツW杯の試合ではベッケンバウアーらがそうしたキックを披露していて、当時を知らない若い解説者たちが驚いていたことがあった。
欧州サッカーの映像に接する機会などほとんどなかった1970年代に、いきなり西ドイツに渡ってそんなプレーを目撃した日本の青年(僕のことです)にとっての驚きがいかに大きかったか、想像してみてほしい。
ベッケンバウアーやネッツァーと同時代のリーベルプレート(アルゼンチン)のゲームメーカー、ノルベルト・アロンソもそんなキックを使っていたし、時代は下るが同じアルゼンチンの10番、フアン・ロマン・リケルメもそうだった(アロンソは1978年W杯優勝のアルゼンチン代表にも名を連ねていたが、ごくわずかの出場時間しか与えられなかった)。
もう少し最近ではアンドレアス・ピルロ(イタリア)のキックも同じような感覚があった。
古典的なゲームメーカーのなかには、そういう柔らかいボールを駆使するエレガントな選手が多かったのだ。
【日本にもいたエレガントパスの使い手】
Jリーグ発足以前、日本代表はW杯も五輪もアジア予選を突破できずに低迷していたが、1980年代にはテクニック系の選手が数多く活躍していた。
そんななかで、川勝良一(東芝、読売クラブなど)はミドルレンジのパスを駆使するゲームメーカーで、本当にエレガントなパスを使ってゲームを組み立てていた。彼のキックも、やはり上記のような古典的「10番」の選手と同じような種類のキックだった。
しかし、現在のサッカーはよりフィジカル的な方向に発展してきている。前線から激しくプレッシャーをかけ、ボールを奪ってからのショートカウンターが重視される。パスもスピードが強調される。
その結果として、昔風の古典的な「10番」は今ではすっかり"絶滅危惧種"となってしまっている。
「試合に勝つ」という視点(つまりコーチの視点)から見れば、カウンタープレスのサッカーが正しいのかもしれない。だが、サッカーはただ勝負だけを考えればいいというものではない。
審美的な観点から言えば、古典的な「10番」はこれからも出現してほしい。あのフワッとした感覚のエレガントなボールの軌道を僕は見ていたいのだ。
ゼイナー大耀という少年がこれからどのように成長していくかはまったくわからないが、上の年代で生き残っていくにはハードワークを身に着けなければいけないのは当然だ。現代サッカーに合わせてプレースタイルも変化していくことだろう。
だが、それでも、リバプールU15との試合で見せたような、ミドルレンジのエレガントなパスの感覚だけはぜひ忘れないでいてほしいものである。
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