蘇る名馬の真髄
連載第15回:タイキシャトル

かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。

ここでは、そんな『ウマ娘』によって再び脚光を浴びている、往年の名馬たちをピックアップ。その活躍ぶりをあらためて紹介していきたい。第15回は、国内外のマイル・短距離GⅠを制し、世界の競馬ファンにその強さを知らしめたタイキシャトルである。

『ウマ娘』では底抜けに明るいカウガール 国内外の短距離戦で絶...の画像はこちら >>
 アメリカで生まれ育ち、いつもハイテンションで底抜けに明るいカウガール。話し出すと英語混じりの日本語を使い、とにかく笑顔を絶やさない。短距離のレースが得意で、パワフルな走りとダッシュ力が最大の武器。そんな一面を持つのが、『ウマ娘』のタイキシャトルだ。

 こうした特徴は、モデルとなった競走馬・タイキシャトルの生い立ちや戦績がベースになっている。

 アメリカで生まれたタイキシャトルは、1997年に日本でデビュー。トップトレーナーとして君臨していた藤沢和雄調教師の管理のもと、着実にキャリアを積み重ねていった。主戦騎手を務めたのも、当時トップジョッキーだった岡部幸雄騎手。名伯楽と名騎手によって、文字どおりの"英才教育"を受けたと言える。

 1600m以下の短距離戦のみに出走した同馬は、その領域で圧倒的な強さを見せつけた。通算成績は13戦11勝。そのうち、マイルGⅠで4勝、スプリントGⅠでも1勝を遂げている。

 こうしたすばらしいキャリアのなかでも特筆したいのが、海外GⅠの制覇だ。1998年、同馬は競馬の"本場"であるヨーロッパに遠征し、GⅠジャック・ル・マロワ賞(フランス・芝1600m)で勝利を収めたのである。

 それまでに日本のGⅠを3勝し、もはや国内のマイル・短距離戦では敵がいない状態となったタイキシャトル。そこで浮上したのが、ヨーロッパ遠征だった。

 藤沢調教師と岡部騎手は、早くから世界を意識してきたホースマンであり、「日本馬で海外GⅠを勝つ」という長年の目標を胸に秘めてきた。その夢を、タイキシャトルに託したのだった。

 ジャック・ル・マロワ賞が行なわれたのは1998年8月。ちょうど1カ月前までサッカーワールドカップの熱狂に包まれていたフランスで、タイキシャトルは勇躍して大一番に挑んだ。

 だが、この挑戦にはいくつかのハードルがあった。

同じ競馬場でも、日本とヨーロッパでは大きく異なる点がある。コース形態はその代表例であり、ジャック・ル・マロワ賞は1600mの直線コースを走り抜けるという、日本では見られないレースだったのだ。

 また、ヨーロッパの芝は深く、水分を含んでいることが多い。日本の芝とは別物で、おおよそパワーがなければこなせないコンディションだった。

 幾多の壁が立ちはだかるなか、好スタートを切ったタイキシャトルは2番手のポジションにつける。しかし、やはり慣れない直線コースに戸惑ったのか、道中のタイキシャトルは頭を何度も上げるなど、落ちつきのない素振りを見せ、鞍上の岡部騎手が必死になだめながらレースを進めていった。

 英国のケープクロスがスタートから先頭をキープするなか、レース終盤を迎えて徐々にペースが上がっていく。そして、残り300m付近に差しかかった頃だろうか。それまで馬を抑えることに徹してきた岡部騎手がムチを抜き、愛馬にゴーサインを出した。

 その合図に応えるように、タイキシャトルは力強く加速した。前を行くケープクロスも勝負根性を見せて食い下がり、さらに英国のアマングメンが内から猛追。3頭が横に並ぶ展開となった。

 壮絶な叩き合いが繰り広げられ、最後の最後に力を見せたのはタイキシャトルだった。ライバル2頭の前に出て、1着でゴール板を通過したのである。日本の短距離王者が、ヨーロッパでもタイトルを獲得した瞬間だった。

 当時、日本の馬が海外GIを勝つことなどなかった時代。その1週間前に、シーキングザパールが日本調教馬としてフランスのGIを初めて勝ったばかりだった。ふだんは寡黙な岡部騎手も、レース後は人目をはばからず涙を見せたという。長年夢見た海外GⅠ制覇の思いが、最後の粘り腰につながったのかもしれない。

 藤沢調教師にとっても、悲願達成の瞬間だった。その快挙によって、日本のトップホースマンの名も世界に知れわたった。

 シーキングザパール、タイキシャトルと2週にわたって、日本調教馬が欧州のGIで戴冠を遂げた。そのニュースは当時、驚きを持って世界中に伝えられた。まさに日本の競馬の進化を見せつけた、フランスの夏だった。

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