蘇る名馬の真髄
連載第26回:メジロライアン

かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。

ここでは、そんな『ウマ娘』によって再び脚光を浴びている、往年の名馬たちをピックアップ。その活躍ぶりをあらためて紹介していきたい。第26回は、1991年の宝塚記念で悲願のGⅠ制覇を飾ったメジロライアンにスポットを当てる。

『ウマ娘』でも関係性が強いメジロマックイーンとの激闘 メジロ...の画像はこちら >>
『ウマ娘』では、名門「メジロ家」出身のキャラクターが数々登場する。メジロラモーヌをはじめ、メジロアルダンに、メジロマックイーンやメジロドーベル、そしてメジロライアンなどがその例だ。

 昭和から平成にかけて、日本競馬界では「メジロ」の冠名を持つ馬たちが活躍した。その多くがメジロ牧場出身であり、上述のウマ娘たちもこれらの馬がモデルとなっている。

 メジロ家出身のウマ娘のなかでも、特に関係性が強いのがメジロマックイーンとメジロライアンだ。ふたりは幼なじみであり、ライアンはマックイーンに憧れを抱いている。

 競走馬のマックイーンとライアンも、強い関係性があった。同じ1987年生まれであり、大舞台で何度も激突したライバル同士でもあった。

 そんななか、先にGI勝ちを決めたのはマックイーン。

4歳(現3歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)の秋にGⅠ菊花賞(京都・芝3000m)で戴冠を果たし、ひと足先にタイトルを獲得した。

 片や、ライアンはなかなかGⅠの勲章を手にすることができなかった。

 ライアンは4歳の早い時期から素質の片鱗を見せてきた。3連勝でGⅡ弥生賞(中山・芝2000m)を制すると、一躍クラシックの有力候補に名乗りを上げた。だが、そこからが苦難の道のりだった。

 クラシック初戦のGⅠ皐月賞(中山・芝2000m)では惜しくも3着に終わり、続くGⅠ日本ダービー(東京・芝2400m)では1番人気に推されながらも2着に屈した。そして先にも触れたとおり、秋の菊花賞では遅れてデビューしたマックイーンの後塵を拝して3着という結果にとどまった。

 さらに、菊花賞のあとに挑んだGⅠ有馬記念(中山・芝2500m)でも古馬相手に奮闘したが、奇跡の復活を遂げたオグリキャップにわずかに及ばずの2着。古馬になって最初のGⅠ天皇賞・春(京都・芝3200m)でも、マックイーンが鮮やかな勝利を飾る一方で、ライアンは4着に沈んだ。

 このままGⅠを勝てないのか――そういった声も囁かれるなか、ライアンにとって待望の瞬間が訪れる。

 1991年6月のGⅠ宝塚記念(京都・芝2200m)である。

 このレースでも、最大のライバルはマックイーンだった。マックイーンは単勝1.4倍という圧倒的1番人気に推され、ライアンは単勝4.1倍の2番人気だった。

 ゲートが開き、馬群が1~2コーナーへ差しかかると、場内からどよめきが起きる。いつもは中団から後方に構えるライアンが、少しかかりながら先団4番手につけたからだ。マックイーンはその直後を進んで、2頭の位置関係は想定されていたものとは逆になった。

 3コーナーに入ると、ライアンはさらにポジションを上げて2番手へ。マックイーンはその後ろ、4番手あたりを追随していった。そして、4コーナーから直線入口に向かうところで早くもライアンが先頭に立った。徹底的な積極策である。

 その2馬身ほど後ろにマックイーンが続く。大方の予想とは異なるレースぶりに歓声が沸いた。

直線に入り、ライアンが後続を一気に突き放していく。マックイーンも直線半ばでようやくエンジンかかるが、2着に上がるのが精一杯。ライアンがついに栄冠を手にした。

 ゴール後、ライアンとともに苦難の道のりを歩んできた鞍上の横山典弘騎手が大きく手を上げた。ライアンの資質と実力の高さを知りながら、馬上で何度も悔しさを味わってきただけに、喜びもひとしおだっただろう。

 思いきった競馬でつかんだ悲願のGⅠタイトル。この宝塚記念もまた、今なお語り継がれる一戦であり、人馬のドラマが詰まった名レースのひとつと言える。

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