吉田知那美インタビュー(後編)

この春、12年間所属していたロコ・ソラーレから離れた吉田知那美。新たな道を歩み始めた彼女に、日本カーリング界の現状や今後についても話を聞いた――。

ロコ・ソラーレを離れた吉田知那美の現在、そして今後は「まずは...の画像はこちら >>

前編◆初のプロリーグに参戦した吉田知那美が思い描くカーリングの未来>>

――日本カーリング界の現状についても話を聞かせてください。競技性や普及の面など、吉田選手の目にはどう映っていますか。

吉田知那美(以下、吉田)カーリングに限らず、どのスポーツもそうだと思うのですが、やはりジュニア、場合によってはそれよりも若い世代に対して、競技だけでなく、それに付随するメンタルとフィジカル、そのベースとなる栄養や言語にまで、トップアスリートへと続く道の入口を整備することが大切だと感じています。

 競技に付随する要素を総合的に学んで、「この世代ではここまで達成する」といったマイルストーンを競技団体としてしっかりと出せているのか。情報の多い現代社会では、子どもたちは大人が思っているよりも情報を整理して、理解する能力があると私は思っています。今取り組んでいるのは何をするためのトレーニングなのか明確に言語化してあげること、自分は今どのレベルにいて、どこを目指したいのか、今取り組んでいるのはそれに必要な練習、学習、トレーニングなんだと納得感があることが大事。それを、伝える側を含め、現場の全員がきちんと把握しているのは重要なことだと考えています。

――ご自身のジュニア時代はいかがでしたか。

吉田 私たちの頃はまだ、技術に関しては地元・常呂のおじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんがカーリングの先生という時代でした。私はカナダへ留学させてもらって、英語を勉強できたことはよかったな、と強く感じます。英語というたったひとつのスキルだけで、カーリングを教えてもらう幅が大きく広がりました。今や、どのスポーツでも言語は必須のスキルになっていますよね。

――吉田選手は2020年、JSPO(日本スポーツ協会)公認コーチの資格を取得しています。今後、指導者という選択肢もあるのでしょうか。

吉田 今すぐには考えていないです。でも私は、オリンピックや世界選手権、グランドスラムなど、出たかった大会に出場することができて、カーリングを通してたくさんの友人もでき、多くのことを学ぶこともできました。本当に幸せなカーリング人生を送ってきていますから、「自分がやりたいことはやった。はい、終わり!」ではなくて、それを伝えていくことはできるのかな、と。それは、ミラノ・コルティナ五輪でテレビなどの仕事をいただいた際に感じました。今のところ、具体的には何も決まっていませんが。

――4月に初のプロリーグ『ロックリーグ』での戦いをこなしましたが、このあと、直近のご自身の活動プランはどうなっているのでしょうか。

吉田 まずは6月にロンドンへ、そのあとにオーストリアのキッツビュールという小さな山村へ短期留学することは決まっています。『ロックリーグ』に参加して英語でインタビューを受ける機会やミーティングが増え、「ああ、今の語学レベルではついていけない」と痛感しました。また、夫の友人やお世話になっている方々とも話せるようになりたいので、ドイツ語も学びたいと思っていて。

――ご主人は、全日本スキー連盟のアルペンスキーのヘッドコーチ就任が決まった河野恭介さん。スキー界ではドイツ語が主流のようですが、吉田選手は今、どの程度ドイツ語ができるのでしょうか。

吉田 ビールを頼んで、お会計するくらいしかできません。お会いした人にご挨拶して、自己紹介ができるくらいには話せるようになりたいです。

――基本は語学留学といっても、トレーニングも継続しながらになると思います。メンバーと一緒に、ではなく、ひとりでトレーニングすることには慣れましたか。

吉田 チームにいるときはチームのスケジュールがあって、勝つためにこなさなければいけないタスクをみんなで話し合い、自分たち主導でプランを組み立てていました。それらに対して前向きに、積極的に取り組んでいくのが、何よりも楽しくて充実した日々でした。

 今は、来年1月にスタートする『ロックリーグ』2期目のミーティングが始まったばかりで、時間にも心にも余裕があります。次々に迫ってくる試合の準備のため、いつの間にか読めなくなっていた本たちを読む時間も、気持ちも取り戻してきたので、今は自分のペースでトレーニングと勉強と読書に時間を費やせていて、その幸せを噛み締めています。

――これまで暮らしていた北見のお住まいを引き払う際に、大量の本を処分したことがニュースになっていました。

吉田 おかげさまで、無事に引っ越しできました。

ただその最中、「私は(世の中のことを)何も知らないんだなぁ」と何度も思い知らされましたけど......。

――それは、どういったことですか。

吉田 特定の家電にはリサイクル料金がかかるとか、引越しに伴う審査書類や、個人事業主としての税理士さんとのやりとりなど、挙げたらきりがないくらい。これまで、強くなるために競技に没頭してきて、ある意味では小さな世界の常識のなかで生きてきたから、皆さんがふつうに経験してきたことが、34歳になっても何もできていないという......。その恥ずかしさを痛感するとともに、世の中にはあらゆる手段があって、それをこれまではチーム関係者がすべてやってくれていたんだなと、あらためて感謝する気持ちを抱きました。

――34歳にして新たなスタートを切った吉田選手ですが、ロンドンに発つ前には昨年に引き続き日本選手権(6月7日~14日)が横浜で開催されています。初の首都圏開催となった前回大会を振り返って、どのように感じましたか。

吉田 トータルでとてもいい大会でしたし、40回を超える日本選手権の歴史のなかで最もお客さんが入った大会だったと思います。来シーズン(2026-2027シーズン)も横浜で日本選手権が開催されることが発表されましたが、個人的にはずっと横浜開催でいいと思っています。

――ロコ・ソラーレの試合はもちろんですが、男子の試合も例年よりも多くの方が観戦してくれたことは、カーリング界全体にとってポジティブなことでした。

吉田 男子のカーリングは本当に面白いので、もっともっと多くの人に見てほしいです。

――前回大会では、ロコ・ソラーレの弟分となるロコ・ドラーゴ(出場チーム名はロコ・ソラーレ)の試合を見守って涙を流している吉田選手の姿が会場内の大スクリーンに大映しになっていました。

吉田 準決勝の北海道コンサドーレ札幌との試合でタック(前田拓海)たちが泣いているのを見て、私も泣いてしまいました。いつも淡々とプレーしていて、泣くことなんてほとんどないんですよ。それが、カーリングをしていて涙があふれてきちゃうくらい心が動いたのだろうということ、それを大勢の観客の皆さんが一緒に喜んでいたこと。それは本当に幸せなことだし、こうやって人はスポーツに魅了されるんだと、あの試合を見て思いました。日本選手権がそういう舞台になったこともすばらしいことだなと、いろいろな意味で泣けました。

――日本の課題でもあるアリーナアイスへの慣れ、という意味でも横浜開催は意義深いことかもしれません。

吉田 それもあります。でもそれ以外にも、お客さんがたくさん見に来てくれて、その前でプレーすること。場合によっては、自らの一投に会場全体が注目していて、それを決めたらスーパースターになれるとか、反対にそこでのミスがその後に向けて大きな糧、財産になるかもしれません。単純にアイスリーディングを養う機会として、というだけでなく、アリーナでできるのはすばらしいことだと思います。

 ですから、日本選手権の観戦に行かれる方には、ぜひ男子にも注目してほしいです。スーパースターを発見して、大きな拍手を送ってください。

私も仕事で来場していますから、一緒に大騒ぎしましょう!

(おわり)

ロコ・ソラーレを離れた吉田知那美の現在、そして今後は「まずはロンドンへ、そのあとはオーストリアの山村へ」
photo by Goh Fujimaki
吉田知那美(よしだ・ちなみ)
1991年7月26日生まれ。北海道北見市出身。幼少の頃からカーリングをはじめ、常呂中学校時代に日本選手権3位入賞。2011年に北海道銀行フォルティウス(当時)に入団し、2014年にはソチ五輪で5位に入賞した。その後、2014年6月にロコ・ソラーレに加入。2016年世界選手権準優勝、2018年平昌五輪銅メダル、2022年北京五輪銀メダルといった結果を残した。そして2026年、12年間所属していたロコ・ソラーレを離れて、世界初のカーリング・プロリーグ『ロックリーグ』の「タイフーンカーリングクラブ」の主将に就任した。今年、楽しみにしているのは野沢温泉のたけのこまつりと、燈籠祭り。

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