プロ生活32年という日本プロ野球史上最長記録を持つ山本昌さん。1984年の入団から2015年の引退まで、昭和の猛練習時代から現代の科学的トレーニングへの過渡期を生き抜いてきた。
【補欠から始まったプロ野球人生】
レッド吉田さん(以下、吉田) プロ生活32年間という数字、あらためてどう振り返りますか。
山本昌さん(以下、山本) 本当に長い時間でした。ただ、そもそも私はプロ野球選手を夢見ていたわけではないんです。小学校も中学校も補欠で、プロになれるなんて思っていませんでした。大学も経済学部への進学が決まっていましたし、社会科の先生になって、高校とか中学で野球部の顧問をやりながら......というのが、当時自分が思い描いていた将来でした。
吉田 それでもプロの道に進んだのは?
山本 スカウトの高木時夫さんに、引っ張っていただいたのがきっかけです。「たまたま」という言葉が一番近いかもしれません。ただ、プロに入ってからも5年目に入るまでは0勝でした。
【昭和の野球が教えてくれたこと】
吉田 「今だから話せる話」として、印象に残っているエピソードはありますか。
山本 昔の話で、当時の一軍のスター選手に言われた言葉が今でも忘れられません。いつも一生懸命練習をしていたら、「おい、そこの若いの。そんなに一生懸命練習しても上手にならんぞ。ちょっとぐらい遊ばなきゃ」と言われたんです。
吉田 それは驚きますね。
山本 それを言われてから3日ぐらい「練習しないほうがいいのだろうか」と悩みました。でも結局、「一生懸命練習するしかない」という答えに行き着きました。今の時代は、練習する選手が勝ち残っていますよね。当時は一軍に上がると、まるでライオンの檻に放り込まれるようなもので、ちょっとネジが外れているくらいの選手でないと自分の力を出せないと言われているような時代でした。
吉田 当時は、朝までお酒を飲んで試合に出るような選手もいたとか。
山本 僕が若い頃の先輩たちがそうでした。真夏のデーゲームで雨が降って暗いのにサングラスをかけている先輩がいて、ロッカーに戻ってサングラスを外したら目が真っ赤で、頬もまだ赤い。まだお酒が残っていたんです。でも、当時は誰も何も言いませんでした。今だったらSNSで即座に拡散されてしまいますから、時代が変わりましたよね。
吉田 トレーニングの環境なども大きく変化しましたか。
山本 僕がいた頃は、球団のトレーナーが一軍にふたり、二軍にひとりの計3人しかいませんでした。今は各球団に10人前後いますよね。一軍に5人、二軍に5人という感じで。それに加えて、バランストレーニングや医療を含めた治療体制もどんどん進化してきた。今は選手にとって、本当に優しい時代になっていると思います。ただ、当時あれだけ走っていたから50歳まで現役を続けられる余力があったのかな、とも思います。星野仙一さんの監督時代のキャンプは走るのがメインで、地獄のような練習でした。今は1億円もらってもあの練習はやりたくないですね(笑)。
【星野仙一さんの教え】
吉田 長い現役生活のなかで、この人がいなければここまで続けられなかった、という方はいますか。
山本 何人もいます。プロに引っ張ってくれたスカウトの高木さんはもちろん、50歳まで野球を続けられたという点では、星野さんです。4年目を終えた時点では戦力外になってもおかしくなかったところを、アメリカ留学の機会を与えてくださいました。そこでアイク生原さん(※ロサンゼルス・ドジャースの会長補佐。
吉田 星野さんはどんな指揮官でしたか。
山本 試合中の粗探しがうまくて、勝っても「なんでこうなったんや」と怒られることもありました。今の時代だったら、コンプライアンス的に就任3日で退任になっているかもしれません(笑)。ただ、人を同じ方向に引っ張る力は本当にすごかったです。あとはやはり、怒られても試合には使い続けてくれた。それでうまくなれたと思っています。
吉田 何か印象的なエピソードはありますか。
山本 ある日、先輩の使い走りで、自動販売機でジュースを買っていたら、突然頭をバチンと叩かれて、振り返ったら星野さんでした。怒られたのはジュースを買っていたことではなく、左手を自動販売機の取り出し口に突っ込んでいたことだったんです。「そんなところに左手を突っ込んで、爪が剥がれたらどうするんや」と。それ以来、自動販売機の取り出し口には左手を入れていません(笑)。
100勝した時、150勝、200勝、引退する時、どの節目も両親より先に星野さんに電話していました。
【苦手な右打者と得意な左打者】
吉田 32年間で対戦した打者のなかで、もっとも印象に残っている選手は誰ですか。
山本 いっぱいいますが、プロに入って衣笠祥雄さんと対戦した時は「鉄人だ」と思いました。4年目に広島カープの3、4番の衣笠さん・山本浩二さんと対戦した時は、もう「うおお」という感じでしたね。オープン戦を含めて振り返ると、けっこうすごい選手と対戦しているんですよ。阪神の掛布雅之さん、ランディ・バースさんとも対戦していますし、そういった時代の方々と勝負できたのは大きな経験でした。
吉田 特に誰がすごかったですか?
山本 すごかった選手で言うと、巨人に行ってからの清原和博さんですね。僕はアウトコースの低めにボールを集めるピッチャーなのですが、清原さんは調子がいいと、そのワンバウンドするような低いボールを、ライト方向へホームランにしてしまう。どうにもならないんです。調子が悪い時は真ん中の直球でも空振りしてくれるのですが、そのギャップが怖かったです。ランナーがたまったところで「清原は調子がいい」というスコアラーのデータが来る、あのシチュエーションが一番嫌でした。
吉田 逆に、得意な打者はいましたか。
山本 私は左打者に強かったんです。巨人の清水隆行さん、阪神の桧山進次郎さん、ヤクルトの稲葉篤紀さん、この3人からはほとんど打たれていません。左打者に対してはアウトローの低め、カーブ、スライダー、インコースのスクリューと、両方向に曲げていける球があったので。
吉田 巨人の松井秀喜さんはいかがでしたか。
山本 彼の最初の2年間は、スタメンと聞いたら内心ガッツポーズでした。アウトコースの見極めが悪くて、ギリギリに投げると全部振らないし、ストライクを取られると「えーっ」という顔をしている。そこに直球かスライダーを投げれば三振が取れる、という感じでした。ところが3年目に、そのボールをライト方向にホームランにされてしまいました。それから「インコースも使わないと」と考えたら、今度はインコースのさばきが抜群だった。裏をかいても打たれる、という状況になりました。松井さんが力をつけていった過程を肌で感じましたね。
吉田 若い頃から「この選手はすごくなる」と感じた打者はいましたか。
山本 中田翔さんですね。オープン戦で代打として出てきて、三球三振で抑えましたが、全部空振りしながらもスイングがすごかった。ベンチに戻ったら立浪さんが駆け寄ってきて、「山本さん、今の中田のスイング見ました? すごかったですね」と。「俺もあんなに速いスイングは初めて見た」と話したのを今でも覚えています。あとはカープの菊池涼介さん。オープン戦でファウルを打たれた瞬間、スイングの鋭さが違って、「誰だこれ」と思わず確認してしまいました。横浜の内川聖一さんも最初から「簡単に打つな、この選手」という印象でしたね。
吉田 特定の球団との相性の良し悪しはありましたか?
山本 横浜だけ通算30勝なんです。ほかのセ・リーグの4球団はすべて40勝以上しているのに。内川さんと村田修一さんがいた時代に大きく勝ち星を落としました。あのふたりのせいで横浜には勝てなかった、と言っても過言ではないと思っています(笑)。










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