この記事をまとめると
■東ドイツの国民車ともいえるトラバントを紹介する



■「ボディはダンボール」といわれるが、実際は木綿とフェノール樹脂による積層素材



■1958年から1990年までマイナーチェンジをしながら生産された



ボディはダンボールではなく木綿と樹脂

ひところブサカワ、つまり不細工だけどカワイイという言葉が流行りました。ブサカワ選手権をクルマでやるとしたら、トラバントは優勝候補であること間違いないでしょう。とにかく、幼児の落書きだっていくらかマシってくらいの不格好で、現代の基準どころか現役当時の基準からみても途方に暮れるような低性能。

なるほど「ダンボール」でできているという噂が定説化するのも不思議ではありません。



もっとも、出来の悪い子ほど可愛らしいということもあり、トラバントのブサカワ人気は衰える兆しもありません。



トラバントは1958年、ドイツが東西に分断されていた頃、東ドイツのVEBザクセンリングという自動車メーカーによって作られた国民車のような存在。



「ボディはダンボール」「最高速はレッカーされてるとき」 都市...の画像はこちら >>



ちなみに、VEBは国営企業を表した略語(Volkseigener Betrieb)です。社会主義国だけあって、国民は皆18歳になると予約申し込みが可能となりましたが、納車までは10年とも15年とも! 理由は東ドイツの工業力の弱さや、慢性的な資源不足などが挙げられていますが、この納期遅れが原因で、新車より中古車の方が高くなったという現象もあったようです。



愛されているがゆえに、トラバントにはジワるエピソードというか、小咄もたくさんあります。たとえば「トラバントの下取りを倍にしたいときはどうする?」「簡単だ。ガソリンを満タンにすればいい」とか、「トラバントの最高速はいつ出る?」「レッカーにけん引されているとき」とか、なかでも「トラバントはふたりで作ってるって本当か?」「本当だ。ボール紙を折る人とそれを貼り付ける人」というのはトラバントの「ダンボールでできている」伝説に紐づいているのかと。



「ボディはダンボール」「最高速はレッカーされてるとき」 都市伝説だらけの東ドイツの国民車「トラバント」のホント
トラバントP50のリヤスタイリング



ですが、後にも先にもトラバントがダンボールで作られた事実はありません。前述のとおり、東ドイツでは鋼鉄が不足していたため、シャシーこそ鋼鉄のフレームが使われましたが、ボディは熱可塑性樹脂で、木綿とフェノール樹脂による積層素材です。木綿というのがなんとも味わいある響きですが、東ドイツの技術者が知恵を絞り、入手しやすい材料でなんとか作り上げた素材ですから、もう少し評価されてもいいようなものです。

もっとも、複雑な面も作りづらく、また塗装の乗りもよくないので、ダンボールっぽい仕上がりですけどね。



搭載されていたのは2気筒2サイクル空冷エンジンで、当初500ccからスタート。



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トラバントP50のエンジン



ラリー車やワゴンなどバリエーションも豊富

その後、マイナーチェンジで600ccにスープアップ。それでも、26馬力/53.95Nmですから、620kgの車重、大人4人を運ぶには力不足は否めませんね。ただし、エンジンを横置きしたFFレイアウトや、リーフスプリングもまた横配置してのダブルウイッシュボーンサス(前輪)といった優れた設計には、技術者たちの意地やプライドがにじんでいるかと。



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トラバントP601のフロントスタイリング



一方で、混合給油となるガソリンタンクがエンジンルーム内に配置される点はいただけません。滴下式キャブと相まって、火災のリスクが懸念されるのです。また、排ガス対策も無いに等しいため、現代の路上を走るのにはいろいろと苦労をしそうではありますね。



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トラバントP601のエンジン



それでも、ドイツ国内での根強い人気からか、申請をすると特別な許可がおりて公道走行も可能になるのだとか。現に、ベルリンではトラバントを運転するツアーや、トラバントのタクシーといった「アトラクション」があるそうです。さすが自動車文化に造詣が深いドイツならではといったところでしょう。



トラビの愛称で呼ばれることもあるトラバントですが、じつはラリーに参戦したこともあります。

排気量を771ccにあげ、足まわりをはじめボディのそこかしこを補強したモデルはP800RSとそれっぽいモデル名となり、スポット参戦ながら過酷で有名な1000湖ラリーなどに出場。もちろん、さしたる成績ではないものの、しっかり完走を果たしており、東ドイツの面目を見事に保ったといえるでしょう。



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ラリーに参戦するトラバント



このグループA車両以外にも、トラビはオープンモデルや、ワゴンタイプといったバリエーションもあるようです。架装してあるボディを替えるだけとはいえ、トラビファミリーはちょっと楽しげではありますね。



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トラバントP50ワゴンのサイドビュー



そんなトラバントは1991年、ついに生産を終了しました。最終モデルとして1990年にフォルクスワーゲンからポロの1.1リッターエンジンが供給され、トラバント1.1というモデルをリリースしていましたが、値段も相当上がってしまい、東ドイツの人々にとっては高嶺の花に。



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トラバント1.1のフロントスタイリング



一方、自由化のおかげで西側の良質な中古車が安値で手に入ることにもなり、トラビはその役目を終えることとなったのです。東西ドイツの自由化、次いで統一に伴った社会環境の大きな変化に追いつけなかったとはいえ、ちょっと物寂しい幕切れではあります。



その後、2007年にドイツのミニチュアカーブランド「ヘルパ」が、ニュートラビとしてEVを企画したものの、資金不足で実現は叶いませんでした。実車ができていれば、最高速130km/hという昔では考えられなかった高性能! スタイルなどもうまいことアレンジされていたので、惜しいチャンスでした。



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ヘルパのニュートラバントのミニカー



では、最後にちょっと切ないトラビ小咄をご紹介しておきましょう。



東西自由化で、西側アウトバーンをたくさんのトラビが走るように。

当然、事故も増えてきた状況で、トラビとメルセデス・ベンツが正面衝突をしたときのこと。「トラビは木っ端みじんになったけど、メルセデス・ベンツはワイパーひと拭きで済んだ」なんともやるせない(笑)。

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