この記事をまとめると
■1936年、トヨタが豊田自動織機時代に完成させたのがトヨダAA型だ■トヨダAAは直6を搭載した後輪駆動で最高時速は110km/hだった
■トヨダAAの開発が戦後のトヨペットSA、そして1955年の初代クラウンへとつながった
アメリカ車の影響を色濃く受けていたトヨダAA型
トヨダAA型は、1936年(昭和11年)に、豊田自動織機が完成させた乗用車だ。翌年、トヨタ自動車工業へと社名変更して自動車製造がはじまる。したがって、発売時点では豊田自動織機の自動車部での開発と完成であったため、車名がトヨタではなくトヨダとなっているのだ。
1948年まで、トヨダAA型は、累計1404台が製造されたとのことだ。顧客層は、タクシー事業者が中心であったという。当時はまだ、個人の所有者はよほどの富裕層に限られた。
トヨダAAのエンジンは直列6気筒で、米国ゼネラル・モーターズ(GM)のシボレーのエンジンを模範とした。したがって、設計寸法の単位はメートル法ではなくインチであった。3速の変速機を使い、2~3速にはエンジン回転と協調するシンクロメッシュ機構が採り入れられていた。シンクロメッシュはまだ新しい技術であり、豊田自動織機での乗用車づくりへの意気込みが伝わる。
外観は、クライスラーなどが採用した流線形を採り入れることにより、時代を経ても古さを感じさせないことを目指したとのことだ。戦前は、車体の外側にタイヤを覆うフェンダーが独立した造形が主流だった。

車体は鋼材でつくられており、加工が難しいとされたが、この点も当時の最先端であり、こだわりでもあったはずだ。当時はまだ馬車の時代を引き継ぐように木製の骨格と鋼材の車体を組みわせるのが一般的であったらしい。
トヨダAAの走行性能は、後輪駆動で最高速度が時速110km/hであった。
トヨダAA型の開発・生産があったからこそクラウンが誕生した
そもそもトヨダAAは生産台数が少なかったことや、戦禍(第二次世界大戦)によって、ほとんどが消失したとされてきた。だが、ロシアで発見され、オランダの博物館に1台が収蔵されている。のちに、トヨタ博物館の鑑定により、そのクルマはAA型に間違いないとされた。
トヨタ博物館には、残された資料などを手がかりに復元されたAA型(レプリカ)が展示されている。この復元作業の経験を活かし、1996年にAA型を彷彿とさせるトヨタクラシックが100台限定生産された。基になったのは、ピックアップトラックのハイラックスだ。ほかに、トヨタ博物館にはAAの改良型とされたAC型が収蔵されている。

第二次世界大戦後まもなく、トヨタは大柄な米国車を範としたAA型から一転し、国内の交通事情により適した欧州車に学ぶSA型という乗用車を開発した。ここで、トヨペットという車名もはじめて使われた。ただし、製造されたSA型はわずか213台に止まった。

以上のような経験を積み上げ、トヨタは、1955年に日本初の純国産設計によるクラウンの発売にこぎつける。

昨2022年、フルモデルチェンジにより16代目となったクラウンが、新たにクロスオーバー車として名を継承する決断をした背景には、AA型にはじまる以上のような歴史を踏まえた思い入れがあるといっていいだろう。