この記事をまとめると
■アストンマーティンのメインモデルといえばDBシリーズ■第一弾「DB1」からはじまったDBシリーズは現在「DB12」まで進化を果たしている
■DB8とDB10は現在のところ欠番となっている
DB8とDB10が存在しないDBシリーズ
アストンマーティンにとってDBシリーズは、その屋台骨を支え続けてきた特別な意味を持つもの。いうまでもなく、現在のプレミアムブランドとしての礎を築いたデイヴィッド・ブラウンの頭文字を据えたもので、いまとなってはアストンマーティンの代名詞ではないかと。一世紀を超えるブランドだけあって、歴史を紐解けば、DBシリーズほど興味深いものはありません。
そもそもDBシリーズは、第一弾からして1950年リリースの「DB2」となったため1を飛ばしています。が、正式には1948年にデビューした2リッタースポーツというモデルが、1950年以降「DB1」と名称変更されています。デイヴィッド・ブラウンがアストンマーティンを買収したのは1947年なので、最初からDB1を名乗ろうと思えば名乗れたのですが、ベースは第二次大戦中に開発されたもの。彼としては、自ら陣頭指揮をとったクルマにこそイニシャルをつけたかったはずです(実際、DB1はわずか15台しか販売していません)。

そして、DB3からDB6はご承知のとおりレースに勝ったり、007が乗ったりと大成功を収めたモデルが目白押し。世界でもっとも有名なクルマと称賛されたのは「DB5」ですが、この後のDB6あたりからアストンマーティンに暗雲が垂れ込め始めます。

だからというわけではありませんが、DB6に続いたのはDBSと名付けられ、いったん車名から数字は消え去ることに。

また、DBSの生産中にはデイヴィッド・ブラウンもアストンマーティンを去ることとなり、しばらくの間は灯りが消えたようなメーカーに成り下がってしまったのはご承知のとおりです。
「DB8」の車名はミッドシップスポーツに与えられるはずだった!?
そして、DBSが生産を中止した1973年から数えること20年の月日がたち、ようやくDB7が登場。フォードの傘下だったとはいえ、デイヴィッド・ブラウン卿(この当時はイギリス工業界での功績が認められ、一代限りのナイトの称号「Sir」が与えられていました)が名誉会長として復帰するなど喜んだのは筆者だけではないでしょう。

ちなみに、後期型DB7ヴァンテージに搭載された12気筒エンジンは「大きく、重い」とされることが少なくありませんが、最晩年を迎えていたブラウン卿(1993年没)によれば、「DBのエンジンはこれくらい速くないと」とまあまあ評価していたようです。
で、DB7に続いて2003年に登場したのが「DB9」ということで、果たしてDB8はどこへ姿をくらましたのでしょう。この「8」が飛ばされたのは諸説あって、とりわけ「V8エンジン搭載と勘違いされるから」というのが有名。

ですが、どうやらこれガセっぽいです。というのも、アストンマーティンは1990年代末期にミッドシップスポーツを計画していた節があり、これにはイアン・カラムやヘンリック・フィスカーといったDB7やDB9のデザイナーたちがそれとなく匂わせていました。実際、フィスカーは2009年にVLFというドイツのメーカー向けにミッドシップスポーツのパッケージを提供しており、暗に「アストンマーティンで使わなくなったアイディア」みたいなことをほのめかしています。
つまり、DB8の名は幻に終わったアストンマーティン初のミッドシップスポーツカーに名付けられた、と考えるのが夢もあってよさそうな気がするのですがいかがでしょう。
で、DB9の次はこれまた10が飛ばされて「DB11」が市販されました。が、この理由はさほどミステリーなわけでなく、映画「スペクター」にボンドカーとして「DB10」が登場したからにほかなりません。

従来、007ムービーに登場するアストンマーティンは秘密兵器が搭載されこそすれ、市販モデルというのがお約束でした。一方このDB10は、アストンマーティンと製作元のイオン・プロダクションの50年にわたる結びつきを祝ったクルマ。初の映画専用モデルということですが、一応4.7リッターのV8エンジンを搭載した走行可能モデルもあるようです。
ところで、前述のとおりDBの最新モデルは「DB12」でありますが、次のモデルは「DB14」になるような気がしてなりません。お察しのとおり、13は欧米で不吉な数字。さらに、「13気筒エンジン積んでると思われても困る!」みたいな懸念だってあるかもしれません。庶民的な興味ですが、ぜひ行く末を見守りたいものです。