この記事をまとめると
■「自分にとってのクルマとは何か」をWEB CARTOPライター陣に聞く企画■クルマは御堀さん人生に深く関わったことは間違いないという
■大人になってから始めた乗馬で馬がクルマに近いことを知った
大学の研究もクルマに関わるものを選んだ
物心ついた幼稚園時代、街を走るクルマの名前を覚えることからクルマへの関心が高まったが、なぜクルマが好きになったのか? その理由はいまだにわからない。
ただ、これまで68年の人生において、クルマの存在が、仕事を含め私の生き様に深くかかわったことは間違いない。
幼稚園の卒園アルバムの表紙は、自分で描いたクルマの絵だった。
中学生になって、通学路に赤いカローラスプリンターが止まっていて、その流麗な姿に胸をときめかせた。同じころ、ポルシェ910のプラモデルを買ってもらい、組み立てたあと、母にもらった毛糸を1cmほどに細かく切って、セロテープで車体に張り付け、扇風機の風を当てて風洞実験の真似事をしたのも記憶に残っている。そんなこともあって、大学では流体工学研究室へ行き、本物の風洞実験を卒業論文にした。

大学時代にはじめて買ったのは、日産のB110サニークーペGX5のレース仕様車だ。中古車であったが、これで筑波サーキットのレースに参加した。卒業後は、FL500とFJ1600のレースに4年間参戦した。レースをやめた後は、クルマの撮影を主に行うカメラマンを手伝った。のちに、自動車雑誌編集部にアルバイトで入り、そこからフリーランスになった。

※写真はイメージ
馬に乗ったことでクルマへの興味がさらに深くなった
48歳のとき、縁があって乗馬を始めた。乗馬を始めてみると、馬は、自転車やバイクよりクルマに近い感触であることを知った。

右まわりと左まわりで足の運びが異なり、それに合わせて馬に指示を与え操らなければならない。ハンドル操作と同じだ。障害飛越の競技は、まるでジムカーナのようだ。いや、ジムカーナのほうがあとから考えられたはずだ。4000年の歴史を持つ馬での障害飛越のほうが、先に生まれた競技に違いない。

エンジン自動車の祖とされる、カール・ベンツのパテント・モートルヴァーゲンは、前輪が1輪の3輪車だった。それはベンツがコーナリングを重視していた証だ。当時は、アッカーマン・ジャントーという前輪操舵の手法が世になく、内輪と外輪で操舵角度が異なり、滑らかに旋回させる術がなかったからだ。そこにこだわったベンツの思考は、馬の右まわりと左まわりで足の運びが異なるという、馬の駈歩(かけあし)の仕方があったからではないか? というのが、私の考察だ。その点で、ゴットリープ・ダイムラーよりベンツのほうが、単にエンジンを利用するだけでない、クルマの運動特性まで考慮した凄さだと思っている。

乗馬は奥が深い。
そのうえでのクルマ、そしてエンジンからモーターへ駆動が移る技術的変化や、環境適合、自動運転などなど、クルマへの興味は尽きないのである。