この記事をまとめると
■スバルからレガシィアウトバックの生産が終了すると発表があった■初代が誕生したのは1989年でそこから6世代にわたり販売されてきた
■6代目以降はレヴォーグがその後釜を担いレガシィアウトバックがフラッグシップになった
6世代に渡って愛されたレガシィを振り返る
スバル・レガシィが誕生したのは、1989年である。この年には、トヨタからセルシオが生まれ、日産ではR32スカイラインへのモデルチェンジがあり、GT-Rが16年ぶりに復活した。また、セルシオと競合するインフィニティQ45が登場している。
レガシィは、それまでのレオーネの後継に位置づけられる。レオーネは、スバルとして初の量販市販登録車となるスバル1000の後継で、技術を継承したクルマだった。それゆえ、1980年代のクルマとしてやや時代遅れとなりつつあり、性能の限界が近づいていたといえる。
そこでレガシィは、車体から一新したまさしく新型車両であり、そのなかで当時スバルが主張したのは、車体剛性の高さであった。

ちなみにホンダは2代目プレリュードで、ダブルウイッシュボーンサスペンションの採用をひとつの技術的特徴とし、走行性能の高さを示そうとした。外観の造形も、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)でありながらウェッジシェイプの精悍さであった。
90年に登場する日産プリメーラも、マルチリンクサスペンションを採用し、FFでありながら操縦安定性の高さと俊敏な走りを特徴とした4ドアセダンとした。

それらに対し、レガシィはこれまでと変わらぬストラット式サスペンションを継承しながら、優れた操縦安定性の基になるのは車体剛性であると主張し、10万kmの連続走行による耐久性や、世界ラリー選手権への出場を通じ、実証に努めた。そして93年のニュージーランドラリーで初優勝を果たす。その成果を次のインプレッサへつなぎ、95~97年まで3年連続で製造者としてタイトルを獲得する。

また、スバルの人気を高めた4輪駆動と、独自の価値を生み出したツーリングワゴンが、レオーネから引き継がれている。
スバルのフラッグシップを担うまでに
2代目レガシィは、メルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務めたフランス人のオリビエ・ブーレイがデザインに加わり、欧州風味の造形が特徴だった。ここで、米国向けとしてアウトバックが登場し、国内ではグランドワゴンと名乗った。ほかに、ブライトンという車種ではエアサスペンションを採用している。

3代目は、レガシィといえばツーリングワゴンという認識が定着したなかで、4ドアセダンに再び価値をもたらすため、B4という名を与え、セダンの販売比率を拡大した。リヤサスペンションをマルチリンクにしたり、ポルシェデザインによるBLITZEN(ブリッツェン)という限定生産車を出したりするなど、新たな試みが行われている。ほかに、99年には、のちのアイサイトの前身となる運転支援機能のADAをランカスターに搭載した。
ここまでが、5ナンバー車である。

4代目から3ナンバー車になった。衝突安全や、欧州市場への対応がその理由だ。それでも、高張力鋼板やアルミニウムの活用により、車両重量を軽く仕上げている。

09年の5代目では、さらに車体寸法が拡大した。ここから、米国市場の比重が高まっていく。そして、レオーネ時代から伝統的なサッシュレスサイドウインドウが廃止され、一般的な窓枠付きになった。また、リニアトロニックと呼ぶチェーン駆動のCVT(無段変速機)が初めて採用された。

14年の6代目で、これまでレガシィといえばツーリングワゴンの印象が強かったのがなくなり、セダンとアウトバックの2本柱となる。しかし、2020年に4ドアセダンの受注が終了し、アウトバックのみとなって、スバルのフラッグシップと位置付けられた。

5代目以降、レガシィは国内でやや大きすぎるとの声が消費者の間でも高まり、それを受け、レヴォーグが2014年に誕生した。3ナンバー車ではあるが、レガシィが最初に全車3ナンバーとなった4代目に近い車体寸法であった。
