この記事をまとめると
■ポルシェはこれまでに何度も倒産の危機に見舞われている■1990年代の倒産の危機を乗り越えられたのはボクスターのおかげだった
■コストカットの象徴のようなボクスターであるがポルシェにとっては救世主だ
必ずしもポルシェの歴史は順風満帆ではなかった
ポルシェはいまでこそプレミアムブランドとして盤石な地位を築いているかのようですが、創立してからこっち何度も倒産の危機に見舞われてきました。戦後すぐにはフェルディナンド・ポルシェ博士の投獄やオイルショック、はたまた労働争議など、その歴史を見ればまさに波乱万丈。もっとも、深刻な危機のたびに救いの手が差し伸べられたり、起死回生の逆転ホームランが生まれ、ポルシェというブランドは奇跡に近い復活を遂げています。
意外なのは、最悪といわれた1990年代の経営危機を救ったのは911ではなく、初代ボクスターだったこと。ポルシェが会社の存続をかけて、なりふり構わず突き進んだボクスターの開発を振り返ってみましょう。
1980年代を迎えたころ、ポルシェのエンジニアにとってミッドシップスポーツは念願を通り越して喉から手が100本くらい出るほどの悲願だったに違いありません。むろん、914というよくできたミッドシップモデルはあったものの、半分はVWとのコラボであり、バイザッハの全知全能を傾けたものとはいい難い。また、914の開発は1960年代ですでにカビが生えており、さらにはフラットシックスを使いたいという気もちも強かったことでしょう。

そんなミッドシップモデルの計画はなにもボクスターが最初というわけではなく、何度となく計画がもち上がっては消え、ポルシェの金庫には数十パターンもの設計図が眠っているとさえ噂されているのです。ちなみに、(914以降)ポルシェ首脳陣がミッドシップスポーツに踏み切らなかった理由は「911が売れているから」というシンプルなもの。
ですが、皮肉なことにヒット作の911は964以降は徐々に売り上げペースが落ちていき、開発に投じた予算こそ回収できても、それまでのようなウハウハな儲けを生み出すことはなかったのです。加えて、968と928もさすがに旧さが目立つようになり、とても屋台骨を支えるような売り上げは期待できませんでした。

そこで新規巻き返しだ! 今度こそミッドシップの新型だ! となったのはご想像のとおりですが、ポルシェの財政状況は新型ミッドシップを開発できるまでの余裕がなかったのです。993の開発で予算はほぼ底をつき、残されていたのは次の996へむけた微々たる金額のみ。ここで経営陣は「996で会社が立て直せるのかどうか」の判断が迫られると「新型911だけでは立ち行かない」と結論づけることになり、経営陣は頭を抱えたとされています。
ポルシェの未来を切り開く変えたボクスター
そんなとき、役員会のメンバーだったヴェンデリン・ヴィーデキングがひとつの提案をしました。996をベースとして、別のクルマを作ったらどうか、と。彼はもともと実業家であり、エンジニアではなかったのですが、それ以前にトヨタの経営哲学を学び「経営効率の鬼」と化していたのは有名な話。
彼のアイディアで、ミッドシップはもちろん、4ドアセダンなど、没になった計画が次々と金庫から引っ張り出され、「これなら996のフロントセクションを共有することで開発コストが抑えられる」となったのが、ほかでもないボクスター計画だったのです。

とはいえ、ことはそう簡単ではありませんでした。なにしろ、それまでポルシェの生産規模は町工場に毛が生えた程度でしたから、996の生産に主力を注いでしまうととてもボクスターの生産は間に合わないことが明らかだったのです。
911よりも低価格にして量販することで儲けを得ようとしていたのに、量産できないとなると意味がない。かといって、928や968の生産ラインは古くて効率もよくない、もちろんボクスターのためだけに生産拠点を新設する予算などありません。
ヴィーデキングの計画はとん挫するかに見えたのですが、ここにフィンランドから救いの手が差し伸べられました。1970年代から、フィンランドのヴェルメット・オートモーティブはメルセデス・ベンツ(Aクラス等)やサーブ(99や900等)の量産を請け負っており、欧州メーカーにとってはお馴染みの工場。

ヴィーデキングは1990年には打診していたようですが、実際に生産が始まったのは1995年のこと。当初はシュツットガルトからボクスターのフロントセクションとエンジンコンポーネントを輸出し、フィンランドで組み立てるという工程でしたが、1996年には生産の大部分をヴェルメットが担うよう効率化。

じつはボクスターを外注した際にポルシェが得たノウハウこそ、のちにメルセデス・ベンツ500EやアウディRS2アヴァントの製作請負に役立ったとする史家もいます。あるいは、ヴィーデキングに生産請負ビジネスを思いつかせたとも。
いずれにしろ、生産効率はもちろん、経営方針(平たくいえばコスト削減)まで大きく舵を切ることになったのはまぎれもなくボクスターが嚆矢となったこと間違いないでしょう。

初代ボクスターはクルマ好きの目からすればコストカットは明らかなものでしたが、ポルシェの執念なのか売上げは伸び続け、見事に史上最悪といわれる危機を救ったのでした。