この記事をまとめると
■1960年代から1980年代にピラーレス構造のクルマが流行った



■ピラーレスのメリットは乗降性や開放感



■ボディ剛性と側面衝突時の安全性を確保しにくいためピラーレス構造は減少した



センターピラーレスのクルマが少ないワケ

ダイハツ・タントは、左側のセンターピラー(ボディ中央のルーフを支える柱)を省いた。目的は乗降性の向上で、ピラーレス構造だから、左側の前後のドアを開いたときの開口幅は1490mmに達する。一般的な軽自動車のスライドドアは、開口幅が600~650mmだからタントは大幅にワイドだ。

子育て世代のユーザーなら、雨天時などはベビーカーを抱えた状態で乗り降りできる。便利で快適な使い勝手を実現させた。なおタントの右側は、普通のセンターピラーになる。



センターピラーを省く構造は、以前の乗用車では、いろいろなカテゴリーに見られた。実際、1960年代から1980年代には、ピラーレス構造の2ドア/4ドアハードトップが流行した。



日本車で最初にピラーレスハードトップを採用して宣伝したのは、1965年に3代目トヨタ・コロナに追加されたハードトップであった。60年後の今では、2ドアクーペに近い形状だが、当時はトヨタ2000GTやトヨタ・セリカは登場していない。外観がカッコよく、新しいカテゴリーが生まれたような衝撃を受けた。



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その後、1972年になると、日産セドリック&グロリアに4ドアハードトップが登場する。後席側のドアヒンジを装着するため、柱状の部材はあるが、天井を支える背の高いピラーではない。



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日産セドリック 4ドアハードトップ(3代目)のフロントまわり



ちなみに2ドア/4ドアハードトップのメリットは、サイドウインドウをすべて開いたときに、開放感が得られることだ。ボディ形状はコンバーチブルの幌を閉めた状態に近く、幌のソフトトップをスチール製に変えたという意味で「ハードトップ」という言葉が生まれた。



現在の衝突安全基準では今までのようなモデルは作れない

ピラーレスのボディをタントのような空間効率の優れた車種に最初に採用したのは、1982年に発売された3列シートミニバンの初代日産プレーリーだった。ボディはコンパクトで、全長が4090mm、全幅は1655mm、全高は1600mmに収まる。後席側のドアはスライド式で、左右両側にセンターピラーを装着しないため、すべてのドアを開くと車内がとても開放的になった。



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日産プレーリー(初代)のフロントまわり



ただしプレーリーは2代目になると、一般的なピラーを備えたボディスタイルに変更された。ピラーのない2ドア/4ドアハードトップも、今ではピラーを備えた2ドアクーペや4ドアセダンに変わっている。典型的なピラーレスボディは、タントの左側面と、観音開きのドアを備えたマツダMX-30などに限られる。



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マツダMX-30のピラーレスドアを開けた様子



ピラーレス構造が減った理由は、ボディ剛性と側面衝突時の安全性を確保しにくいためだ。日産の開発者は「初代プレーリーのボディスタイルは、今の衝突安全基準では絶対に実現できないものだった」と振り返る。



それならタントはなぜ成立するのか。ピラーレスに見える左側面も、スライドドアのなかに強固なピラーが内蔵され、側面衝突時の安全性を確保するからだ。そしてタントの開発者は「ボディの左右で形状や剛性が大きく異なるため、走行安定性や運転感覚などを整えるのに苦労する。ふたつの車種を開発するような手間を要する」と述べた。



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ダイハツのピラーレスドアの構造



つまりピラーレスボディが減った背景には、衝突安全基準などに対する設計の難しさがある。しかもタントはピラーレスボディにしたこともあって販売は好調だが、MX-30は不振だ。苦労してピラーレスボディを採用しても、優れた効果が得られるとは限らない。これらの事情で、今はピラーレスボディが減っている。

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