この記事をまとめると
■1994年にニスモはブランド初のコンプリートカー「270R」を販売した■270Rはエンジンや足まわりだけでなくエアロやインテリアに至るまでトータルで仕上げられている
■270Rは単なる10周年記念車ではなくNISMOのその後の事業の基礎作りにも貢献した
NISMO初のコンプリートカー「270R」は単なる特別仕様じゃない
2024年に創立40周年を迎えたNISMO(現・日産モータースポーツ&カスタマイズNISMO事業部)。現在記念サイトが設けられ、その栄光のヒストリーを振り返るとともに、創業当初のロゴを配したオリジナルパーツを発売するなど、多彩なコンテンツを展開。大いに盛り上がりを見せている。
いまから約30年前の創立10周年を振り返ると、S14型シルビアをベースとした特別なクルマの開発、販売が行われ、世間の度肝を抜いた。それがNISMO初のコンプリートカー「NISMO 270R」だ。
NISMOは旧日産大森ワークスから数えると長い歴史をもち、当時、プロトタイプカーやツーリングカーなどの活躍により、レース業界では世界と肩を並べる確固たる地位を築いた。
同時期、その圧倒的なネームバリューとモータースポーツ活動で得た知見や技術を活かしてアフターパーツ事業へ参入を果たしたが、その先に見据えていたのはコンプリートカービジネス。それは、欧州の名だたるワークスチームが製作するパフォーマンスカーがエンスージアストから熱狂的な支持を得ていたからだ。

その布石として、創立10周年の記念事業と銘打ち、コンプリートカーを手がけることを決めた。ベース車両の候補にはR32型スカイラインGT-R、Z32型フェアレディZ、S13型シルビアなどが多彩な車種が挙がったようだが、最終的にはNISMO初代社長・難波靖治さんにより、S14型シルビアK’sが選ばれた。
NISMO 270Rの車名だが、「270」は目標出力である270馬力に由来し、Rはレーシングスピリットを表している。サーキット仕様ではなくロードカーとして開発が進められ、エンジン、駆動系、足まわりといったパフォーマンス系だけでなく、エアロパーツからインテリアに至るまでトータルで仕上げられている。

開発期間は約1年で、生産台数は30台。カラーはブラックのみの設定。販売価格は450万円とR32型GT-R並みと高額であったが、NISMO初のコンプリートカーということもあり、予想を超える応募が殺到。

SR20DET型エンジンは本体、ターボチャージャーこそ変更なしだが、カムシャフトは専用品が奢られ、過給圧が引き上げられた。さらにインタークーラーを大型化して効率をアップすることで、ノーマル比で50馬力/6.5㎏‐m向上の270馬力/34.5㎏‐mまで到達(280馬力の自主規制に考慮したという話も……)。
出力向上に合わせてインジェクターと燃料ポンプも高流量タイプへ変更するなど安全マージンも担保した。ちなみにヘッドカバーも専用のブルーに塗装されている。
ディテールに至るまで隙なく磨き上げられた270R
トランスミッションも純正のままだが、ファイナルギヤ比をローギヤード化することで加速性能を向上。ストリート仕様ゆえに、低中速域のトルクを重視しつつ、高回転まで落ち込むことなく、スムースに吹き上がる特性を狙ってチューニング。クラッチは高出力化に合わせてNISMO製の強化品に変更、リヤデフにもNISMO製の機械式LSDを装着。パワーをしっかりと受け止め、トラクション性能も高められた。

サスペンションは、エンジンマウントやリンクブッシュなどすべてをNISMO製の強化ゴムに交換した上で、NISMO製の減衰力調整式ダンパーとタイプDと呼ばれたローダウンスプリングを組み合わせた。ただし、当時は車検制度の規制緩和前であったため、車高は10mmダウンに留めている。
ブレーキはR32型スカイライン用のフロント4ポット、リヤ2ポットキャリパーとローターに交換。

エクステリアは、NISMO製のフルエアロキットを組む。フロントバンパー、サイドスカート、リヤスポイラーなどは購入可能だったが、エンジンルーム内の冷却性を狙った270R専用のエアスクープ付きボンネットは購入不可。シルビアオーナー憧れのパーツとなった。

インテリアはチェッカーフラッグ柄の生地となり、メーターパネル、ステアリングやシフトノブもNISMOロゴの入った専用品だ。アフターマーケットのチューニングショップが手がけるマシンのような飛び抜けたパワーはもたないが、メーカー系のコンプリートカーらしく、欧州車コンプリートカー同様に各部が隙なく磨き上げられているのが特徴だ。

この成功により、NISMOはR33型スカイラインGT-Rをベースにしたコンプリートカーである「NISMO 400R」の開発に本格的に着手することを決断。
270Rは、単なる10周年を記念した特別仕様車ではなく、NISMOがコンプリートカー市場に本格参入するための礎となったモデルであり、その後、ビジネスの柱となるアフターパーツ事業の基礎作りにも貢献。そして、現在のNISMOロードカーシリーズへと繋がる重要なマイルストーンでもあった。