これまでも原点回帰することを繰り返してきたフェアレディZ
2020年9月に、日産フェアレディZプロトタイプのデザインが公開された。ロングノーズ・ショートデッキという、初代から続く外観の印象が継承されている。
フェアレディZは、このプロトタイプが発売されると7代目となる。
フェアレディZは、初代から世代を重ねるごとに、より高性能であるとかより上質であるといった発展をしつつ、やがて行き詰まり、原点回帰することを繰り返してきたといえそうだ。初代から2代目へかけては、基本的に初代を継承する方向ではあるものの、初代の途中で追加されたZGの長いノーズ先端を当初から造形に盛り込んだような外観になり、車体寸法もやや大型化した。3代目では車両重量が150kgほど重くなることに象徴されるように、装備が充実の度を増していた。4代目になると車幅が1.8mにもなり、上級スポーツカーの趣だ。そして、一旦生産が中断される。

そこから約2年の空白を経て、5代目が登場した。このとき、初代に通じる原点回帰が行われた。続く現行の6代目で、再び上級志向がはじまったと感じられる。外観の造形は洗練さを増し、乗車感覚にも上質さが加えられた。
そもそもことの起こりを振り返ると、初代フェアレディZは、それ以前のオープン2座席のフェアレディ(ダットサン・フェアレディ)の後継をいかに開発するかにあった。このとき、開発を任されたのが、少量生産のスポーツカーを担当する部署のチーフだった松尾良彦氏(今年7月に逝去)である。
松尾氏は、ブルーバード410のマイナーチェンジなどを手掛けたデザイナーだが、初代フェアレディZに関しては商品企画的な役割も果たしている。構想するに際し、フェアレディの生産現場を見学した松尾氏は、「月に300台しか売れないフェアレディが、手押し車の上で一台ずつ組み立てられていた」と、現実の衝撃を語る。そして、その10倍の月に3000台を売るスポーツカーの構想を練ったのだ。

その詳細は、フェアレディZと同様のオープンカーの構想も併せながら、クローズドなクーペも考え、当時世界最大の自動車市場である米国を視野に、実用性を加味しながらスポーティで、安全性や高速性能をより高め、魅力的な造形と、大柄な欧米人でも快適に乗れる室内空間、そしてモータースポーツ用に簡単なチューニングを楽しめ、なおかつ手ごろな価格で誰もが手にすることのできるスポーツカーであるとした。
これが、フェアレディZの原点だ。
初代は手ごろな価格でポルシェのようにスポーツカーを楽しめた
そして米国日産の社長であった片山豊氏の目に触れ、クーペ姿の初代フェアレディZの開発がはじまったのである。結果は、米国で爆発的な人気を得ることになる。
当時「プアマンズポルシェといわれた」と、松尾は振り返る。その意味は、裕福でない人が乗るポルシェというような負の意味ではなく、手ごろな価格でありながらポルシェのようにスポーツカーを楽しむことができる賞賛の言葉であるのだそうだ。
クルマが発明され、そして量産技術によって世界的な普及の足掛かりをつけた、欧米の人々は、それまで馬を駆って速さや躍動を体感してきたように、クルマの運転からも、たんに実用性や快適さだけでなく、躍動感を感じ取ろうとし、それを暮らしのなかで楽しむ姿がある。

「レースをやっている」「サーキット走行を楽しんでいる」との言葉が、日常会話のなかに出てきて、それはプロフェッショナルを目指すような高度な話ではなく、自分の技量のなかで楽しむ喜びを、当たり前のように語るのである。そうした欧米人に、フェアレディZはまさに待ちかねたスポーツカーとして映ったのだろう。
一方で、あらゆる車種においてフルモデルチェンジでは、さらなる進化を求めることになる。それによって誰もが手ごろな価格で手に入れられる価値から、高性能や上級さを求めるようになり、当然ながら手にできる人の数は限られ、そこで原点回帰が起こるわけだ。
7代目を迎えるに際して、再び原点回帰が行われるなら、今度の新型フェアレディZも大いに期待できるのではないかと思う。
