この記事をまとめると
■バブル期には今でも語り継がれる数多くの名車が生まれ、飛ぶように売れていた■販売チャンネル別に専用車も多く用意されていたのもバブル期の特徴だ
■景気がいいからと言って、何でもかんでも売れたわけではなかった
バブル期に売れたクルマ、売れなかったクルマ
景気がいい、金まわりがいいとなると、人はやっぱり財布のヒモが緩みがち。バブル時代がまさにこれで、今思えばよくあんなの売れたよなぁってクルマが数多くありました。例えば、ホンダNSXはバブル最高潮の1989年に発表、翌年の発売時にはプレミアがつくほどの大人気を博したものです。
それまでの日本にはなかったミッドシップスポーツという本質はともかく、財布のヒモを緩ませた理由はふたつ。まずはF1での圧倒的な勝利で、1989年はかの名車「マクラーレンMP4/5」で16戦10勝という圧倒的な成績でドライバー/コンストラクター双方でチャンピオンシップを獲得。ホンダブランドの力強さ、また景気がいい宣伝にほかなりません。で、もうひとつは発売を翌年としたことで巧みに「期待感」や「渇望感」を醸成させた戦略も奏功したのでは。ただし、先のF1も影響しているとは思いますが、この戦略に少なからずミーハー層が食いついてしまったことは否めません。

「今のうちに予約しておいて、発売後にプレミアつけて売っぱらおー」てな輩が少なくなかったことは、発売と同時に迎えた「バブル崩壊」によって多数のキャンセルが出たことからも伺えるかと。せっかくNSXのアルミボディ用に発電所まで工場内に作ったホンダの面目丸つぶれ、ですよね。
一方、金まわりが良かったのはユーザーだけではありません。バブル期に販売網5チャンネルを打ち出したマツダもジャブジャブお金を使っていました。ユーノスやアンフィニ、オートザムやオートラマなどそれぞれに専売モデル(なかには兄弟車もありましたが)をラインアップするって、素人考えでも「リスキーじゃね」となるはずなんですがね。しかも、ユーノスロードスターの超絶な売れ行きでさらにヒモ緩んじゃってM2なんてスペシャルブランドまで設立! 初代ロードスターオーナーだった筆者もワクワクしたこと忘れられません。

バブルだからといって何でもかんでも売れたわけではなかった
とはいえ、5チャンネルはバブルが崩れていくのと歩を合わせるように収束されていったのも事実。
景気の良さを陰で支えた税制改革の追い風を受けて、自動車メーカーが軒並み3ナンバーの大型セダンでデッカく儲けようとするなか、500は愚直なまでに5ナンバーにこだわった中型セダン。それでも、マツダ独自の高品質な塗装や、シックな内装、昔のカペラで培ったアウトバーンでも破綻のないシャシーなど「いいもの感」たっぷりだったのです。その上、800との差別化、ライバルたちへのアドバンテージとして「そこそこなお値段」で提供されたのですから売れないわけもありません。

一方の800は「十年基準」と銘打ち、10年飽きない品質やミラーサイクルなんて手が込んだエンジンまで搭載したもののバブルの恩恵は今ひとつ。これは、ユーノス販売店に出かけるとショールームの一等地に飾られたコスモやロードスターに比べ地味だったこと、先の500が800に似ているわりにお手頃だったことが理由かと。

もっとも、ご承知のとおり800は「ミレーニア」と名前を変えてバブル後2003年まで生産されるなど、商品力の確かさは証明されています。コスモがありえない高騰をしている今なら、800こそねらい目なクルマかもしれません。

ところで、三菱自動車は出自が財閥系だけあって昔も今もエリートが多数在籍しているようです。もちろんバブル期においても同様で、そんなエリートが東大同窓生なんかと飲みに出かけたと思ってください。すると、いくらかお酒で口が軽くなった大蔵省勤務の同級生が「いいよな、オマエんとこは! 今度の税制改革ででっかいクルマじゃんじゃん売れんじゃん」みたいなことをポロっともらす。「え? なになに、3ナンバーの税金下がるの!」てな会話があったかどうかわかりませんが、三菱自動車は1989年の改正を事前にキャッチしていたとしか考えられないタイミングで3ナンバーFFセダン「ディアマンテ」を発売。

めっちゃ売れまくったのは他メーカーが続々と後追い車種、すなわちトヨタ・ウィンダム、日産セフィーロ、ホンダ・アスコットイノーバなどを発売したことでも証明されています。言うまでもなくディアマンテの商品力が高く、時代にマッチしていたことが大ヒットの要因ですが、好機を逃さない三菱自動車の企業姿勢もまた評価されるべきファクターにほかなりません。

この他、バブルの落とし子的に語られることが多いマツダ・ペルソナ、トヨタ・カリーナED、ホンダ・インスパイアなど、全部が全部バブル景気だから売れたってわけでもなさそうです。むしろ、バブルは名車を育むゆりかごのようなものだったのかもしれません。それにつけても、財布のヒモを緩める時代が再び来てくれること、切に願いたいものですよね。
