この記事をまとめると
■日本ではあまり見かけないが4分の1マイルをどちらが速く走るかを競う「ドラッグレーシング」がある■アメリカではモータースポーツとして細かにクラス分けもされた人気競技となっている
■日本にも競技団体があったが、走行時間が10秒前後と短く競技内容が単調で普及しなかった
どちらが4分の1マイルを速く走るかを競う単純なモータースポーツ
「ドラッグレーシング」という言葉を聞いたことがあるだろうか? 2台のクルマあるいはモーターサイクルがスタートラインで並んで停まり、スタートの合図で同時に走り出しどちらが速くゴールラインを走り抜けるかを競う、発進加速のレースのことである。残念ながら日本では、かつて一部ファンの間で支持されていたが、現在ではほとんど目にすることがないレースとなっている。
ドラッグレースの発祥は、第二次世界大戦直後のアメリカで、創設には退役軍人が多くかかわっていたという。
本国アメリカでは、現在も広く親しまれているモータースポーツの1カテゴリーで、トップフェーエル、トップフューエルファニーカー、プロストック、プロモディファイド、プロストックモーターサイクルなど、車両規定に応じて細かくクラスわけされている。

最速であるトップフューエルクラスでは、走破タイムが3.7秒を切り、ゴールライン通過時には530km/hを超す壮絶なデータが記録されている。
日本の風土と趣向が競技にあわずに廃れていった
日本では、1970年代後半に競技として行われるようになり、1984年にJAF公認競技としてRRC(ロードランナー・レーシング・クラブ)が開催。その後、開催数は多くないもののチューニングショップを中心に参加者が集まり、開催ごとに走破タイムが縮まる活況ぶりを見せていた。また、日本ドラッグレース協会(JDRA)も組織され、体系立った発展が期待されたものの、2000年代に入って下火となり、現在は公式競技としてほとんど開催が見られない状況である。
下火となった理由はいくつか考えられるが、走行時間が10秒前後と短く、また直線の発進加速だけを競う競技内容が単調で、日本では観客を動員するイベントとしてあまり適していないという見方が一般的だ。

むしろ、参加型のモータースポーツとして新たに台頭した「ドリコン」がドラッグレースに代わり人気となった。もともとは自動車雑誌が主催したドリフト・コンテストがその発祥で、ジムカーナコースにパイロンを立てた簡易コースやミニサーキットを使った競技会が頻繁に開かれるようになり、競技車両のアクロバティックな動きが観客の心を捉え、気がつけばアメリカにも飛び火して、現在では1大モータースポーツカテゴリーとして市民権を得たかっこうになっている。

SS4分の1マイル、いわゆる0-400m発進加速は、1960年代後半、自動車メーカーが自社製品の性能をアピールする目的で、最高速度と合わせカタログに記載された歴史もある。1960年代後半から1970年代初頭にかけ高性能車を選ぶひとつの目安として、ゼロヨンタイムは大きなセールスポイントとなっていた。また、赤信号で性能自慢のクルマ同士が並び合わせると、青信号に変わったとたんどちらが速いかを競う「シグナル・グランプリ」が展開され、日常の光景として珍しいことではなかった。

アメリカのように国土が広く、規模の大小を問わず気軽にドラッグレースが行える環境が整っていれば、モータースポーツとして幅広い支持が得られるはずだが、日本の走行環境を考えると、ゼロヨンではなくドリフトが台頭したのも無理のない話かもしれない。