受診者にとっては、健康であることを確認するための「健康診断」。一方で、健康診断をする側にとっては「顧客を増やすチャンス」という側面があります。

本記事では、『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』(KADOKAWA)の著者である久坂部羊氏が、健康診断というシステムの裏側にある事情を解説します。

健康な人を病人にいざなう「健康診断」というシステム

健康診断を受ける人は、健康であることを確認するために受けるのでしょう。受診者はそのつもりでしょうが、健診をする側はそれだけではありません。検査をすることで異常を見つければ、再検査や治療の対象者が増える。つまり、業界の顧客を増やすチャンスという側面もあるのです。

医療というのはパラドキシカルな業界で、病気を治すことを目的としながら、病気が治ると収益が減るというアンビバレントな状況にあります。だから、医療が発展して患者が少なくなると、困るという痛しかゆしの側面があります。

そんな本当のことは、もちろん医療者は口にしません。逆に医師会などは、「一人でも多くの人が健康になることを目指して」みたいなスローガンを掲げたりします。でも、本当にみんなが健康になったら、困るのは医療者です。

そこで目をつけたのが、予防医学という広大な埋蔵資源の領域です。患者さんがより安全に、より安心に暮らせるようにと、さまざまな検査の基準値を厳しくして、それまでのゆるい基準なら健康と判断された人を、どんどん病人と判定しています。

されたほうも、専門的な情報や説明で納得させられ、ときには感謝さえする始末。

医療者はみんなそのカラクリを知っていますが、業界に不利になるようなことはだれも言いません。

迂闊に健康診断なんかいらないなどと言うと、世間や医療界から「それで患者が増えたらどうする」、「手遅れになったらどうする」、「責任は取れるのか」などと、反論困難な攻撃が飛んできます。

健康診断に否定的なことばかり書いてきましたが、健康診断で安心する人も多いでしょうし、健康診断のおかげで病気が見つかり、早めの治療が功を奏した人ももちろんいます。だから、全否定するつもりはありません。

ただ、何事にもよい面と悪い面があるように、健康診断にもよい面と悪い面があることを知る必要があると思うのです。

症状もなければ治療の必要もない「異常」を見つけて、精密検査を勧めたり、医療機関の受診を勧めたりするのは、やはり無駄で迷惑なことだと思います。

健康診断に潜む「ダブルのバイアス」とは

健康診断の判定をする医者からすれば、いちばん避けなければならないのは見落としです。たとえば胸部X線撮影で、肺に気になる影があったとき、たぶん大丈夫と思っても、万一のことを考えると、精密検査を勧めることになります。

本当は異常なしと判定して、受診者を安心させてあげたいと思うのですが、万一、初期のがんで、見落としたため治療が遅れたら、医療ミスとして糾弾される可能性もあります。そう考えると、やはり「要精密検査」と判定するほうに傾きます。

さらに精密検査の設備もあるところは、「要精密検査」と判定すれば、患者が増えるという側面もあります。つまり、ダブルのバイアスがかかっているのです。

その結果をもらった受診者は、健康であることを確かめるために行った健康診断で、「要精密検査」と判定され、ショックを受けます。コメントには「たぶん大丈夫だと思うけど」とは書かれません。そんなことを書くと、それで安心して検査に行かない人が出てきて、手遅れになるとまた責任問題になるからです。

というわけで、安心のために受けた健康診断で、ハラハラドキドキさせられ、病院に行って長い待ち時間にイライラし、すぐに検査してもらえず、診察を受けて、予約を取って、検査を受けて、また改めて結果を聞きに行くという時間的、経済的、心理的負担をこうむるという側面が、健康診断にはあります。

それでも先にも述べたように、健康診断で早めの治療が功を奏することもあることを忘れてはなりません。健康診断を受けるべきか否か。

それはこのような実態を知った上で決めるのがいいでしょう。

ちなみに私は受けていません。

久坂部 羊小説家・医師