「醤(ひしお)の郷」伝統産業のM&A曼荼羅|産業遺産のM&A

小豆島の醤油造りは、400年もの歴史を持つ伝統産業だ。製塩業が盛んだった小豆島では、江戸時代に入り醤油づくりが始まった。

戦後、その醤油と海産物などを使った佃煮業を発展させ、オリーブ、素麺とともに醤油と佃煮は、小豆島の名産品になった。

小豆島町の安田地区から苗羽・馬木地区の県道沿いには醤油や佃煮工場が集積、明治の最盛期には約400軒の醤油醸造所があったという。その時期に建てられた一部の醤油工場や蔵が、今でも使われている。こうした産業の歴史景観を保存していこうと整備されたのが「醤の郷」である。

芳ばしい醤油の香り漂う郷に生まれた醤油メーカー

「醤の郷」とは醤油蔵通りと苗羽・馬木地区の散策路・地域の名称。2009年には、経済産業省から近代化産業遺産群に認定された。「醤の郷」周辺には今も20軒以上の醤油蔵や佃煮工場が軒を連ねている。

「醤(ひしお)の郷」伝統産業のM&A曼荼羅|産業遺産のM&A
黒炭の板壁が続く醤の郷の町並み

醤油用の桶(こが)を使った昔ながらの製法が今も受け継がれ、町を歩けば芳ばしい醤油の香りが漂ってくる。黒炭の板壁が続く町並みは、オリーブ畑や寒霞渓とともに、多くの観光客を迎えている。

その醤の郷で長く事業を続けている醤油醸造所の一つが、マルキン醤油。小豆島を代表する醤油であり、醤の郷にはマルキン醤油記念館もある。

昭和期に周辺醤油会社を次々にM&A

マルキン醤油の創業は1907(明治40)年のこと。小豆島の複数の有力醤油醸造家を経営者として、また多くの醤油醸造関係者などが株主として集まり、苗羽村(内海町を経て現小豆島町)に丸金醤油(株)として設立された。

複数の醸造家が集まって創業した会社だけに、丸金醤油は同族1社で伝統を守り抜くスタイルではなく、周辺の醤油会社を次々と吸収合併することで事業を拡大していった。

1934年には小豆島の内海醤油会社を吸収合併し、1962年には船山醤油、安田醤油、川野醤油、島一醤油を吸収合併していく。いずれも小豆島で醸造をしていた会社で、丸金醤油は昭和期には小豆島を代表する醤油会社に成長していった。

忠勇・JFLA・盛田などが繰り広げたM&Aの渦のなかに

時代は平成に移り、丸金醤油は大きな転機を迎えた。2000年には忠勇(株)という会社に吸収合併され、いったん会社としては消滅することになった。忠勇は2021年にJFLAホールディングスに吸収合併され解散したジャパン・フード&リカー・アライアンス(JFLA)という会社の前身であり、忠勇は丸金醤油の吸収合併時に、忠勇を存続会社、丸金醤油(株)を消滅会社としてM&Aを行うとともに、マルキン忠勇(株)と商号を変更している。

では、なぜ、いったんは消滅した会社が営々とビジネスを続けてきたのか。そこには“M&A曼荼羅”とでもいうべき離合集散の歴史がある。忠勇やJFLAなどマルキン醤油のM&Aに関わった企業の概略を振り返ってみたい。

まず、忠勇である。創業は1896(明治29)年、兵庫県武庫郡都賀浜村(現神戸市灘区)に設立された清酒会社で、商標として『忠勇』を使っていた。1966年に株式会社化し、忠勇に商号を変更した。

マルキン忠勇は前述のとおり、2000(平成12)年に 忠勇が丸金醤油(株)を吸収合併して誕生した会社だが、このときマルキン忠勇は本社を消滅会社である丸金醤油の本社に置いた。事業規模の小さな会社を存続会社にする「逆さ合併」という方式だった。

そしてマルキン忠勇は2001年、酒類・醤油・調味料・味噌などを製造する盛田(株)<6455>を中心とする盛田グループに参入する。さらに2006年に持株会社化し、ジャパン・フード&リカー・アライアンス(JFLA)に社名を変更している。もとのマルキン忠勇はJFLAの製造子会社として残ったが、2010年に盛田の子会社となり、2013年に盛田に吸収合併され消滅した。

次にJFLAだ。JFLAは2006(平成18)年にマルキン忠勇が持株会社に移行した際に、ジャパン・フード&リカー・アライアンスという商号でスタートした。同時に製造部門を分離し、マルキン忠勇として完全子会社化したことになる。

一方、JFLAの販売部門はどうなったのか。2006年にマルキン忠勇が分離され、製造部門を承継したのと同時にジャパン・フード&リカー・アライアンス食品販売となり、それが現在の盛田に承継されている。

では、盛田はどんな会社なのか。盛田は、愛知県名古屋市に本社を置く酒類・醤油・調味料・味噌などを製造する醸造会社だ。1665(寛文5)年に、尾張知多郡小鈴谷村(現常滑市小鈴谷)で創業し、清酒の醸造を始めた。1898年(明治31)年に盛田合資会社となり、1955年(昭和30)年に株式会社に改組。

沿革をたどるより、「ソニーグループの創業者、盛田昭夫の実家の事業会社」といったほうがわかりやすいかもしれない。

2001(平成13)年に盛田はマルキン忠勇の主要株主となり、2004(平成16)年に盛田ホールディングスに商号変更した。と同時に、会社分割により事業子会社の盛田(株)を設立した。

盛田は2010(平成22)年、マルキン忠勇をはじめJFLAグループの酒類・食品製造会社の親会社となった。さらに2013(平成25)年、盛田はJFLAグループのJFLA販売と、子会社のマルキン共栄(株)やマルキン忠勇などを吸収合併した。盛田は、マルキン忠勇をはじめ、グループ全体を傘下に収める立ち位置に着いたのである。

ブランド管理会社としての復活

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小豆島の伝統産業のブランド価値を向上すべく 盛田が復活させたマルキン醤油(株)

盛田は2017年、ブランド管理会社としてマルキン醤油(株)、忠勇(株)などを設立した。ブランド管理会社とは、企業のブランド価値を高めるためにコンサルティングや戦略の策定、広告制作などを行う会社のことだ。

醤油醸造会社をめぐるM&Aは、まるで伝統産業に綾なす曼荼羅・渦のように展開していった。マルキン忠勇の本社のあった土地は盛田の工場になり、マルキン醤油記念館が併設されている。記念館は繰り広げられたM&Aとは関わりがないかのように明治期の古い醸造蔵の姿を見せている。江戸時代から伝わる醤油醸造の道具など貴重な資料が数多く展示され、1996年には国の登録有形文化財に登録された。

現在の盛田は、会社としていったんは消滅したマルキン醤油を株式会社として復活させたことになる。その目的は、マルキンブランドの価値を向上させることにあった。

現在のマルキン醤油記念館は、そのブランド価値向上の一翼を担っていると言える。会社組織としての伝統産業は、ただ1社のみで営々と伝統産業を守り続けているとは限らない。M&Aという手法・ツールがあればこそ、守り続けることもできる。

文・菱田秀則(ライター)

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