
ピアニスト仲道郁代が進行中のリサイタル・シリーズ「The Road to 2027」。6月には、その14回目にあたる「高雅な踊り」を開催する。
2027年は、ベートーヴェンの没後200年と自身のデビュー40年が重なる節目の年だ。「The Road to 2027」は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを核とした「春」のシリーズと、ピアニズムの新境地に挑む「秋」のシリーズの2本柱で構成されており、毎回、プログラムの構成テーマを示すタイトルが掲げられている。6月のリサイタルのテーマが「高雅な踊り」だ。
【プログラム】
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ 第24番《テレーゼ》
ピアノ・ソナタ 第25番
ピアノ・ソナタ 第26番《告別》
リスト:メフィスト・ワルツ第1番《村の居酒屋での踊り》
ラヴェル:優雅で感傷的なワルツ
ショパン:
ワルツ《告別》Op.69-1
ワルツ Op.64-2
ポロネーズ第6番《英雄》Op.53
ワルツやポロネーズはもちろん、ベートーヴェンのソナタにも舞曲もしくは「踊り出したくなるようなリズム」が使われている。そして、踊りのリズムがもたらすのは“高雅さ”という感覚なのだと仲道はいう。
「“高雅・優雅”vs“世俗・日常”という印象があるかもしれませんが、“高雅さ”というのは、本能に対立する、きわめて人間的な概念ではないかと思うのです」
たとえば「歩く」や「走る」は生きるために必要な行為だが、「踊る」は生きるために直接役に立つものではない。つまり、生きるという動物の本能だけで生きているのではない、人間だからこそ踊るのだ。なるほど。踊りは身体行為であるだけに、ついそれが人間の本能的なものだと考えたくなるが、そうではないというわけだ。
「ある種、本能が壊れた、人間だけのものではないかと。
いっぽう、踊り・舞曲といっても、ピアノ作品の場合は、実際に踊るための音楽ではない。では、踊るためではないピアノ曲に、作曲家たちはなぜ踊りのリズムを用いたのか。そこにどんな思いを込めたのか。踊りだからこそ聴こえてくるものがあるのではないか。仲道が掘り下げるのはそこだ。当然それも、きわめて人間的なものになるのだろう。
「踊りの曲に向き合っているとき、もちろん体感として、踊り出したくなるような感覚を持ちますが、私の場合は、踊る感覚を再現しようとしているのではなく、その中に精神性を見出しています。
ベートーヴェンのソナタの中では、大勢の人々の力。ひとりだけではない、複数の人の視点。そしてワルツが抑圧に対する反発でもあった時代性と、ベートーヴェンの作品が人々を鼓舞するような感覚を持ちます。
リストの《メフィスト・ワルツ》では、悪魔にそそのかされた人の性(さが)。
ラヴェルでも、人々の踊らずにはいられないエネルギー。ラヴェルの時代は、絵画の世界でも、ドガやロートレックが踊る人々をたくさん描いています。《優雅で感傷的なワルツ》では人々の喧騒、退廃が描かれ、でも視点が個へ移っているとも感じます。
ショパンのワルツは、相手が不在の、心に沈潜するワルツです。ワルツは元来、必ず男女がペアで踊るものです。でもショパンを弾いていると、そこにいるはずの相手が、いないかもしれないという心持ちを、私は感じます。不在や喪失、郷愁は、ショパンの大きなテーマだと思っています。《英雄ポロネーズ》では、あのリズムに鼓舞されながらもそこには絶望があります」
「The Road to 2027」は、最初に10年間・20回分の曲目とテーマをすべて決めてスタートしている。そのアイディアが直感的に降ってきて、あっというまに決まったというのもすごいが、各回のリサイタルに取り組む際には、そこにもう一度向き合うことになるわけだ。この記者懇親会もだが、プログラム冊子に掲載される毎回のテーマにちなんだ知識人との対談など、ピアニストが見識や思惟を深めようとする過程の一端を垣間見ることができるのは聴き手にもうれしい。
取材・文:宮本明
The Road to 2027
仲道郁代 ピアノ・リサイタル 高雅な踊り

■チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2454799(https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2454799&afid=P66)
6月1日(日) 14:00開演
サントリーホール 大ホール