
世田谷パブリックシアターによる新企画、国内の若手クリエイターを育成して国際的に発信していくことを目的とした「あたらしい国際交流プログラム」が始動した。第一弾はアヴィニョン演劇祭のディレクター、ティアゴ・ロドリゲス作『不可能の限りにおいて』を生田みゆきの演出で、リーディング公演として上演。
「支援する側の視点」を届けたい。
――まずは本作がリーディング公演に取り上げられた経緯からお話いただけますか?
生田 最初に、翻訳の藤井慎太郎さんから世田谷パブリックシアターに「こんな作品がある。なるべく早く上演したほうがいいと思う」といった推薦があったそうです。それで今回の「あたらしい国際交流プログラム」でどのような作品がふさわしいのかを制作の方々と話し合うなかで、この作品に興味が湧いてきたんですね。とてもハードな内容なので読むのに時間がかかりましたけど、藤井先生が「早く上演したほうがいい」とおっしゃった意味がよく分かりました。ウクライナ戦争やガザ侵攻の酷いニュースは連日流れてきている状況です。とは言え、それが始まった当初は皆そのことに関心を寄せるけれど、その状況が続くと、私も含めてそういったニュースにも慣れてしまう。関心を寄せて支援活動などに協力しても、終わりが見えない現実に疲れてしまったり。そんな日々の中で、本作で描かれている「医療従事者など、支援する側から見た紛争」というのは、これまでなかなか紹介できていなかった視点じゃないかなと思いました。

あたらしい国際交流プログラム リーディング公演『不可能の限りにおいて
この作品の中では、人道支援者たちの活動現場である危険地帯を〈不可能〉と呼んでいます。日本にいる私たちにとっては、自らが紛争の直接的な加害者もしくは被害者になることは現実味がないですよね。それよりも、私たちのいる〈可能〉から〈不可能〉に出向いて支援に携わっている人がいる、それを知ることも、紛争地域を身近に感じることが出来るひとつの要素ではないかなと。そういう意味でもこの視点はぜひ紹介したいですし、私も多くの発見がありました。今回の上演が叶い、本当に嬉しいなと思います。
――岡本さんは今回のお話を受けて、本作をお知りになったのでしょうか。
岡本 劇作家のティアゴ・ロドリゲスのことはもともと知っていました。アヴィニョン演劇祭のディレクターですが、アヴィニョン(演劇祭)は自分がいつか行きたいと思っていた場所なんですよね。本作については仮訳の戯曲を読んだり、アヴィニョンで上演した時の記事をネットで探して読んだりして、本当に衝撃を受けました。日本にいると、戦争などのニュースに触れた当初は気にかけても、時間が経つと関心が薄れてしまうのを感じます。でも海外に住んでいた時は、「今こういうことが起きているんだよ」という会話を日常的に聞いたり、取材されたものが多く発信されるので、自分もそれなりに知っている気になるんですよね。今世界で何が起こっているのか、それを知ることはとても重要ですし、世界で起きている出来事や作家が伝えたいものを、自分の体を通して観客に渡すことができるのが役者という存在だと思っています。
「想像することは不可能」だからこそ、言葉だけで何ができるのか
――この春に行われたワークショップオーディションについて、生田さんが「俳優さんたちに役になることをなるべく排除して、言葉を紡いでもらった」とコメントされていますが、その狙いとは?
生田 リーディング公演は、衣裳や舞台セットなど台本が要求しているものを必ずしも準備するわけではない、劇世界を完全には作り込まない状態での上演とした時に、その面白さはどこにあるのかと考えました。私が見つけた答えは「俳優その人が見える」ということ。それで今回の作品も、あまり入り込まないことを要求したいなと。それに加えてやはり内容がハードなので、2週間くらいの稽古でこの作品で語られている現実を想像し、きちんと理解するなんて到底無理だろうと思ったんですね。それは劇中でも言われているんです。一番最初に「演劇は嫌い」といった話から始まって、途中でも「僕たちが何を見たか、それを想像するなんて不可能だよ」といったことが言われている。演劇の武器である「想像して誰かになる」ことを否定されているところが結構大変なんですが、むしろそれをいい方向に考えていきたいなと。

想像するなんて到底無理だけれど、実際にそういう話があると知った時、何もしないわけにはいかない。だからティアゴさんはこの作品を作ったのだと思うし、私も演出を引き受けたのはそういうことだと。俳優の皆さんも同じだと思うんですね。ワークショップで実際にテキストの一部をお見せしたうえで、「それでもやりましょう」となったメンバーなので。
岡本 ワークショップでやったことは、とても難しい試みでした。自分が海外で学んだ演技のメソッドは「役と自分を一緒にする」考え方なので、そうか、自分が役になっちゃいけないんだと(笑)。ただ、何かをしようとしない、演じようとしない、そういったことが一番大変で、自分の色をどんどんなくしていって、伝えたいことをただシンプルに相手の目を見て伝えていく、それもずっと学んで来たことです。今回の台本を読むと、その言葉からしっかり想像力をかき立てられるし、この台本に関しては生田さんのおっしゃるようなやり方、演出が一番伝わるんだろうなと。全体稽古に入った時にその言葉たちがどういう感じに聞こえてくるのか、凄く楽しみです。
――そのワークショップの後、今年4月の「SHIZUOKAせかい演劇祭2025」で、ティアゴ・ロドリゲス演出のオリジナルプロダクションによる『〈不可能〉の限りで』が静岡芸術劇場で上演されました。おふたりとも観劇されたそうで、どのような感想を持たれましたか?
生田 ティアゴさんもきっと私と似たようなことを考えてらっしゃるのだろうな、と思いました。例えばあるエピソードの文章を読んでいくと、明らかに女性の話だなと思うのに、男性の俳優さんが語っていたり。語り口に関しても「こんなに苦しんだ」といった感情を込めすぎずに、単純に言葉を発信していて、感情の部分はドラムを使った演出で補っていたように感じました。

岡本 舞台は本当に素晴らしかったです。招聘してくださってありがとうございます!と、まず静岡芸術劇場に感謝しましたね。ここ4,5年ほど海外に行っていなかったので、久しぶりに世界レベルの演劇を見たな!と。翻訳劇をやる以上はオリジナルを観ておかないとダメだと思いましたし、戯曲も原文で読まないといけないな……とか思いながら観ていたけど、途中からはとにかく「すごい!」と引き込まれていました。観られて本当に良かったと思ったのは、お客さんと舞台上の俳優さんたちのあいだに、びっくりするくらい壁がなかったこと。自分は日本にいて、安全な場所で生きているけれども、いつ戦争が起こるかわからないわけで……それは最近とくに現実味を帯びてきたように感じるし。「生まれた場所が違っただけで、どんな人にもこのようなことが起こり得るんです」といったことを、すごく身近に感じたんですよね。おそらく俳優さんたちが「表現しよう」と頑張ってしまったら、お客さんはちょっと引いて、違う世界で起こっていることとして見てしまう。だから壁はないほうがいい、でもそれって凄く難しいことですよね。なので、出来るだけたくさん稽古をしたいと思ったし、静岡で受けたこの衝撃を、次は自分がお客さんに届けないと!といった使命感みたいなものを強く感じました。
14名のキャストが壁を越えて観客に届ける
〈不可能〉に思いを馳せる時間になれば
――オリジナルプロダクションでは4名の俳優が本作を演じましたが、日本版は14名のキャストによる上演です。AとBの2チームに分かれているのは配役を変更した二通りを上演するということで、全公演に14名全員が出演するんですね。
生田 はい。今、岡本さんがおっしゃった「客席との壁をなくす」ことは凄く重要だと思っています。この劇世界で言われる〈可能〉と〈不可能〉、その境界は流動的で、いつでもどこでも〈不可能〉になり得る、という話とちょっと重なるような気がするんですね。単に「今日の舞台、良かったね」で終わってしまってはもったいない作品です。お客さんに何かを持ち帰っていただけるよう、壁をなくすにはどうしたらいいのか。単純に“客電を消さない”とか(笑)いろいろ考え得ることはありますが、やっぱり語ることにエネルギーのいる作品なので、俳優同士が支え合えるといいなと思ったんですよね。お客さんにこの作品を届ける第一歩として、まずは仲間と共有する。語っている当人だけじゃなく、観客との繋ぎになる仲間たちが周りにいる、しかもその人たちのリアクションがお客さんから見えることで、客席に波及しやすくなる効果が生まれないかなと思ったんです。また、発言する俳優の責任、背負う荷物の量も分散出来るのではないかと。そういうチームになれるといいなと思っています。
――先ほど稽古の一部を見学させていただきましたが、Aプログラムとして上演されるシーンで、Bチームの万里紗さんが岡本さんのギター演奏で語り歌い、Bプログラムでは、森準人さんのギター演奏で、岡本さんが語り歌っていました。このような形でキャスト全員が、チームをまたいでいくつかのエピソードに関わっていくのでしょうか。
生田 はい。例えば、岡本さんはBチームでの出演はもちろん、Aチームではギターを弾いたりBの時とはまた別のエピソードを一本、メインで語っていただきます。他にも、リーディングではありますが、ただ読むだけではなく、想像力に訴えられるような仕掛けは色々考えています。独立したエピソード14個に加えて、一番最初と最後のエピソードは14名全員で語ります。一つひとつ、結構ボリュームがあるので、変化がなさ過ぎて辛いなと...…その場に皆がいることで、いろいろ工夫していけたらと思っています。

リーディング公演『不可能の限りにおいて』稽古より。岡本さんは「サポートキャスト」として出演するAプログラム公演ではギター演奏も担当

リーディング公演『不可能の限りにおいて』稽古より。手前)ファド(ポルトガルの民族歌謡)を独唱する万里紗、奥)森準人

ファド指導の津森久美子さん
――さらに生田さんに、ワークショップなどでの岡本さんの印象、本作への期待をお伺いしたいです。
生田 恐れを知らない人だな、と。恐れを知らないというのは、新しいことに対して「それって上手くいくんですか?」みたいな疑問を挟まずに「やります!」と即答する、そういう瞬発力のある方だなと何度か稽古をしていて感じています。「もっとこうしたら面白いと思うんだけど」といった提案もたくさんしてくれますし。もちろん、「そうしましょう」という時もあれば、「ちょっとやめときましょう」って時もありますけど(笑)。
岡本 ハハハ!
生田 本当に恐れを知らずにいろんなものを提示してくださる、ちょっと稀有な方だなと思います。もしかしたら海外のご経験が長いからかもしれないですね。岡本さんのような方が積極的に意見を出してくださることで、皆が「喋ってもいいんだ、失敗してもいいんだ」と安心できるのではないかなと。座組の良い空気感を作ってくださるのでは、と期待しています。

――お話を伺って、おっしゃるように「良かった、面白かった」で終わるわけにはいかない作品であると強く感じました。チームの団結力でハードルの高い作品にどう挑むのか、それによって我々観客の心に何が刻まれ、繋がれていくのか、期待が募ります。
生田 国境なき医師団の方々など、紛争地域での支援という大変なことに長い時間と労力をかけて向かい続けている人たちは確かにいて、でも私たちがその人たちのようにサポートすることはちょっと難しい。それでも、ひとつの場所に集まってひとつのことを皆で考える、そんなプレシャスな時間を提供出来るのが演劇です。この劇場の中にいる時だけでも、まずは皆でさまざまな問題について考えたいですね。その上で、自分の出来る範囲で支援活動をしてみようかなと思ったり、人道支援の世界に入ろうと思う人が出たりすればそれは本当に嬉しいことです。その時だけで終わってはいけないと思いつつも、まずは一緒にこの時間、ここで語られるエピソードを皆でシェアしたい。世界中に……もしかしたら私たちの周りにもある〈不可能〉に思いを馳せる時間になるといいなと思います。
岡本 自分は演劇を観て、舞台上の人物に感情移入して心揺さぶられることも好きだけれど、劇場に来なかったら今、世界でこういうことが起きていると絶対に知ることはなかった、知れてよかった……と思う瞬間も好きなんですね。知ったことで劇場を出た後、自分のこれから生きる世界が少し変わるんです。まさに静岡芸術劇場でこの作品を見た後、僕の意識は結構変わりました。それこそ街で国境なき医師団の人たちとか人道支援者の方がスピーチしているのを見かけたり、SNSにそうした活動の情報が出てきたりするのを、これまで以上に気に掛けるようになったり。だから生田さんがおっしゃったように、まずはこの作品を観てもらう、知ってもらうことが大事だなと。スタッフさん、キャストさん、全員の総力で、観に来たお客様の今後生きる世界を少しでも変えられるように頑張りたい、今はただただそう思っています。
取材・文:上野紀子 撮影:荒川潤
<公演情報>
あたらしい国際交流プログラム
リーディング公演『不可能の限りにおいて』
作:ティアゴ・ロドリゲス
翻訳:藤井慎太郎
演出:生田みゆき
【出演】(五十音順)
■Aチーム
清島千楓 萩原亮介 前東美菜子 南沢奈央 薬丸翔 山本圭祐 渡邊りょう
サポートキャスト:市川理矩 岡本圭人 川辺邦弘 小林春世 小山萌子 万里紗 森準人
■Bチーム
市川理矩 岡本圭人 川辺邦弘 小林春世 小山萌子 万里紗 森準人
サポートキャスト:清島千楓 萩原亮介 前東美菜子 南沢奈央 薬丸翔 山本圭祐 渡邊りょう
2025年8月8日(金)~11日(月・祝) ※全6回公演
会場:東京・シアタートラム
【終演後ポストトーク】※開催回のチケットをお持ちの方のみ参加可能
2025年8月9日(土) 18:00
出演(予定):生田みゆき(演出)、白川優子(国境なき医師団(MSF)手術室看護師)、白井晃(世田谷パブリックシアター芸術監督)
2025年8月10日(日) 18:00
出演(予定):岡本圭人、小林春世、南沢奈央、薬丸翔(出演/五十音順)、生田みゆき(演出)
チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2522342(https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2522342&afid=P66)
公式サイト:
https://setagaya-pt.jp/stage/25020/