
脈動する毛筆、炸裂する墨液…。第二次大戦後、そのあまりにも強烈すぎる書の数々で、美術界やデザイン界にも大きな影響を与えた井上有一の没後40年を記念した展覧会が、9月6日(土)から11月3日(月・祝)まで、東京の渋谷区立松濤美術館で開催される。
1916年に東京市下谷区に生まれた井上有一は、1935年から横川尋常小学校で教師を務め、その後、書家の上田桑鳩(そうきゅう)に弟子入りする。1945年に勤務中の小学校で米軍の爆撃を受けて一時仮死状態となったものの、奇跡的に息を吹き返した井上は、1949年に書家としてデビュー。1950年代は、書や生け花などの伝統芸術の革新運動が巻き起こった時代で、欧米の抽象絵画ブームを背景に登場した井上も、その時代の潮流に乗って注目を浴びた。

井上有一著・福田繁雄造本『花の書帖』求龍堂 1971年 個人蔵 Ⓒ UNAC TOKYO
1960年代、井上は「凍墨(こおりずみ)」と呼ばれる独自の技法を開発する。墨に入れた膠(にかわ)を冷やして固めることで、筆の毛1本1本の痕跡を紙面に浮かび上がらせ、躍動感に満ちた仕上がりを得る手法である。こうした井上の特異な書業にグラフィックデザイナーたちが鋭く反応し、1970年代には、名だたるデザイナーが井上作品を用いた印刷物に携わり、1980年代以降は、デザインや広告を経営戦略に取り入れた、いわゆる「セゾン文化」の中で井上の書が紹介されていく。
同展は、井上の各時代の書を展示するとともに、井上の書とグラフィックデザインの連帯が何を目指し、そしていかにして成立したのかを紐解くものだ。サンパウロ・ビエンナーレで高評価を得た初期作《愚徹》や、戦災で知人や同僚や生徒を多数失った壮絶な経験をもとにして書かれた大作《噫(ああ)横川国民学校》、最晩年の《夢幻記》など、代表作が並ぶのが同展の見どころのひとつだ。

井上有一《噫横川国民学校》1978年 墨・紙 群馬県立近代美術館蔵 Ⓒ UNAC TOKYO
教職を続けながら、日常を生きる庶民の立場から自らの芸術をつくりあげようとした井上は、1985年、69歳で病没する。だが、没後の1986年、デザイナーらが中心となって、渋谷西武シードホールで「生きている井上有一」展を開催。これにより、井上の名が広く社会に知れ渡ると同時に、後のデザイン界に決定的な影響を及ぼすこととなった。西武とパルコを擁する渋谷の地にある松濤美術館が、井上の書とデザインの関係を探究する同展はまた、「戦後」という時代がどのように移り変わっていったかを振り返る手がかりとしても興味深い。
<開催概要>
『井上有一の書と戦後グラフィックデザイン 1970s-1980s』
2025年9月6日(土)~11月3日(月・祝)
※前期は10月5日(日)まで、後期は10月7日(火)から
会場:渋谷区立松濤美術館
時間:10:00~18:00、金曜は20:00まで(入館は入場30分前まで)
休館日:月曜(9月15日、10月13日、11月3日は開館)、9月16日(火)、9月24日(水)、10月14日(火)
時間:一般1,000円、大学800円、高校・60歳以上500円、中小100円
※土日祝は小中学生無料、金曜日は渋谷区民無料
公式サイト:
https://shoto-museum.jp/exhibitions/209inoue/