キューブリック『博士の異常な愛情』の世界初・舞台化が激熱! ロンドン公演を映画館で──【おとなの映画ガイド】
ナショナル・シアター・ライブ2025『博士の異常な愛情』 NTLive『博士の異常な愛情』 Photo by Manuel Harlan

昨年末、巨匠スタンリー・キューブリック監督作『博士の異常な愛情 』が初めてイギリスで舞台化され、世界の映画ファンが驚き、話題をよんだ。その公演を臨場感たっぷりに収録した映像が、5月9日(金) から「ナショナル・シアター・ライブ」の1本として、日本の映画館で公開される。

冷戦下の恐怖を背景に作られたこの強烈なブラックコメディ、何がおきるかわからない現在の世界情勢からみても、ずしりと刺さる傑作です。



ナショナル・シアター・ライブ2025『博士の異常な愛情』



キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』が公開されたのは、1964年。その2年前に、アメリカとソ連が“核戦争”寸前までいった「キューバ危機」という事件があり、まさに世界中が核恐怖の真っ只中にいた時期だ。この大きなテーマにキューブリックは真っ向から向き合い、それをあえて皮肉たっぷりなコメディに仕立てあげた。



キューブリック『博士の異常な愛情』の世界初・舞台化が激熱! ロンドン公演を映画館で──【おとなの映画ガイド】

ストーリーは、アメリカ空軍基地の司令官が、激しい被害妄想にとりつかれて、核兵器を搭載したB-52戦略爆撃機のパイロットたちに「アメリカが攻撃された! ソ連に報復の“核攻撃”をせよ」と命令し、基地を封鎖してしまうところから始まる。目の前に迫った核戦争勃発の危機を回避するため、アメリカ大統領はペンタゴンの戦略室で、政府首脳や軍幹部、核兵器開発の科学者と緊急対策を協議するのだが、それがとんでもない事態に……、というもの。



ユーモア溢れるシュールな会話と度肝を抜く展開、そして強烈なラスト! この映画に衝撃を受けた往年のシネマファンは多いはず。公開から60年も経った現在も、配信の人気コンテンツだし、「20世紀最高の風刺映画」と絶賛する声もある。



キューブリック『博士の異常な愛情』の世界初・舞台化が激熱! ロンドン公演を映画館で──【おとなの映画ガイド】

この作品が世界で初めて舞台化され、2024年10月から12月に、ロンドンのノエル・カワード・シアターで限定上演された。キューブリック監督の遺志を受け継ぎ、厳格なことで知られる遺産管理団体が、初めて公認した、由緒ただしい舞台だ。



その収録映像が日本の映画館で観られることになった。



キューブリック監督は、映画製作に関するトリビア的な話が数多くある人(手塚治虫に『2001年宇宙の旅』の美術監督を打診したとか……)なのだけれど、この舞台には、マニアも喜びそうなそんな仕掛けが、しっかり用意されている。



キューブリック『博士の異常な愛情』の世界初・舞台化が激熱! ロンドン公演を映画館で──【おとなの映画ガイド】

たとえば、主演が何役もかねる件。



映画は、『ピンク・パンサー』シリーズでおなじみとなったピーター・セラーズが、空軍基地に派遣されているイギリス軍のマンドレイク大佐役と戦略室を取り仕切るマフリー米大統領役、そして、かつてナチスの科学者だった大統領科学顧問ストレンジラヴ博士役の「1人3役」を演じていたが、実は当初、B-52のパイロットであるコング少佐の役も、セラーズの予定だった。それが、撮影中に彼が怪我をしたため、スリム・ピケンズが代役を務めている。



キューブリック『博士の異常な愛情』の世界初・舞台化が激熱! ロンドン公演を映画館で──【おとなの映画ガイド】

舞台では、英国アカデミー賞を7回受賞した実力派・人気コメディアンのスティーヴ・クーガンが、キューブリック監督の構想通り、コング少佐役にも挑戦、4役を演じている。



キューブリック『博士の異常な愛情』の世界初・舞台化が激熱! ロンドン公演を映画館で──【おとなの映画ガイド】

場面転換にも驚かされる。空軍基地、戦略室、そしてB-52の操縦席、この3箇所で繰り広げられるスリリングなドラマを、巧妙にステージにのせていく。



そのほぼすべての場面で、4つの役をとっかえひっかえ演じるスティーヴ・クーガンの早変わりに舌を巻き、クセ強なキャラの演じ分けに目を奪われる。大統領と博士の両方が登場する演出は、まさにお芝居の楽しさ。映画を越えた瞬間だ。



空軍基地で、コカ・コーラの自販機を壊す、あの心くすぐる場面なども、ちゃんと登場する。米大統領とソ連首相の電話でのやりとりや、ストレンジラブ博士の奇妙な仕草、ブラックなのに笑っちゃうセリフの数々……。どこをとっても、キューブリック作品への愛情を感じる作り。



キューブリック『博士の異常な愛情』の世界初・舞台化が激熱! ロンドン公演を映画館で──【おとなの映画ガイド】

これを観ると、いまや映画館って映画だけを愉しむ場所じゃないな、とつくづく思う。コンサートのライブビューイングだけでなく、こういう演劇やオペラ、バレエの鑑賞も面白い。まず、幕が上がる前に、観客の姿や美しい劇場のインテリアが映しだされ、自分がそこで観ているかのような臨場感に包まれる。本作では、インターミッションまで組み込まれている。セリフに大笑いする声や、どよめきが聞こえるのも心地いい。普通の映画料金よりは若干高いけれど、その価値は十分すぎるほど。



キューブリック『博士の異常な愛情』の世界初・舞台化が激熱! ロンドン公演を映画館で──【おとなの映画ガイド】

毎日のニュースで米大統領の危うげな動向が報じられる昨今、この作品のようなことがおきないとは限らないと思うと、空恐ろしくなるが、たまには、異空間で、息遣いを感じる名作に触れるのも、いいものです。



文=坂口英明(ぴあ編集部)



キューブリック『博士の異常な愛情』の世界初・舞台化が激熱! ロンドン公演を映画館で──【おとなの映画ガイド】

NTLive『博士の異常な愛情』 Photo by Manuel Harlan

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