
2023年12月17日、全国No.1の風俗嬢が決定した。全国で約50万人の風俗嬢が登録されている、日本最大級の風俗情報サイト「シティヘブン」が主催するミスコン「全国ミスヘブン総選挙2023」の結果が発表されたのだ。
逆ナンパ師時代に狙ったのは「弱ってそうな冴えない感じの人」
──全国No.1受賞おめでとうございます。まりてんさんは、いつごろから風俗嬢として働かれているのでしょうか?
まりてん(以下同) 大学時代に浜松の美大に通っていまして、4年生のときに浜松のデリヘルで働いたのが初めてです。22歳の冬ですね。
──それは、どういったきっかけで?
大学時代、毎日のように一緒に男を狩ってた女友達がいたんです。その子が私より1か月先に風俗で働きはじめて。「どうせ男を狩るなら、お金になるし、風俗で働いてみれば? 意外と怖い仕事じゃないよ」って誘われたのがきっかけです。
──女友達と一緒に男を“狩ってた”とは…?
例えばその子と居酒屋に飲みにいって、隣で男性のグループが飲んでたとして。その男性グループの中の1人がトイレに立ったら、後ろから追いかけてトイレのところでキスするとか(笑)。

全国No.1風俗嬢になった、まりてんさん
──居酒屋でそんなことがあり得るんですね。その女友達と出会ってから男狩りをはじめたのでしょうか?
いえ。大学1年の後期から実家を出て一人暮らしをはじめて。それから1人でよく逆ナンパ師のような活動をしていました。
──逆ナンパ師の活動とは…?
雨の日に見知らぬ男の人の傘のなかに勝手に入って、家までついていってワンナイトを過ごしたり。
──ナンパってそんな方法があるんですね(笑)。
あと、コンビニで酔っぱらってアイスを選んでいる男性を見つけたら、「これ入れて!」ってカゴの中にアイスを入れるのもよくやっていました。アイスを買うということは家が近い証拠なので、直接家までついて行けます。
──合理的な考え方ですね。怖がられたりはしないんですか?
そういうときは学生証を見せるようにしてました! 大学名も本名も書いてある学生証が一番の安全証明ですからね。
──(笑)。まりてんさんはどんな人をナンパしてたのでしょう?
弱ってそうな冴えない感じの人。“人生で突然起きたサプライズ”を演出して、自分の希少価値を感じたかったので。
──サプライズになりたかったんですね(笑)。ナンパの楽しみはどんなところにありましたか?
ワンナイトをした男の人が、解散してからどれくらい時間が経ってどんな連絡を自分にしてくるのかを予想して、それがドンピシャで当たったときが一番気持ちよかったですね。「また会いたい」って連絡が来たらもう満足で、その後はLINEブロックとかしちゃってました。
──そうした逆ナンパ活動をしてゆく中で、狩り友達もでき、風俗で働きはじめたんですね。風俗は働いてみてどうでした?
ナンパと違って男の人が自動的に供給されるのがよいですし、「リピートしたいと思わせたい!」というナンパ時代には独りよがりでしかなかった私の気持ちが、風俗で働いた途端に周りから評価されるものに変わったので、天職だと思いました。
風俗玄人はルックスやプレイより、壁のない関係を求める?
──そのまま風俗嬢として、全国No.1まで上りつめていったのでしょうか?
いえ。大学卒業とともに上京して、東京の制作会社でWebデザイナーとして働きはじめて。しっかり本職の仕事に専念しようと、そのタイミングで風俗嬢はやめました。でも、その決意は長くは続かなかったです。会社員3年目くらいからは仕事も覚えて時間に余裕が出てきたので、暇な週末だけ池袋の風俗店で働くことにしたんです。
──風俗で働くことが楽しかったから?
そうですね! ありがたいことに、池袋でもすぐに完売して予約が取れないくらいの人気嬢になれて、やっぱり自分はこの仕事が向いてるんだなぁと思いました。

取材は池袋で行われた
──どうしてすぐに人気になれたのでしょうか?
池袋は風俗玄人のお客さんが多いんです。そういう人たちは風俗で遊び慣れすぎて、女の子のルックスとかプレイ内容よりも、女の子との壁のない関係性を求めるんです。私は相手の懐に入るのが得意なので、人気になれたのだと思います。風俗はお客さんに何を売ってるのかというと、関係性を売ってるところだと考えています。
──なるほど。
いえ。その後、風俗店を経営することにしたんです。
──プレイヤーではなく、経営側に?
はい。もともと会社員を3年やったらデザイナーとしてフリーで働きたいという考えを持っていたのですが、いざその時期が近づいて本当に自分が好きなことは何かと考えたとき、風俗専業で働きたいなと思ったんです。
でも、風俗嬢一本で働くのはリスクが大きいし、プレイヤーとしての寿命が短い職業なので、どうしたら好きな風俗の世界にずっと居続けることができるだろうかと考えた結果、風俗店を経営しようという考えに至りました。
──すごいですね。会社員3年目、25歳での起業ですね。
はい。でも、風俗店の経営ってどうすればいいのかわからなかったので、ノウハウを盗むために錦糸町のデリヘルでWEBスタッフのバイトとして働きました。半年くらいバイトしたら、なんとなく仕組みもわかって経営のイメージが湧いたので、制作会社の仕事をやめて池袋でデリヘルを立ち上げました。
前代未聞のスタートアップデリヘル、その天国と地獄
──経営は上手くいきましたか?
はい。
──風俗店の立ち上げは難しいと聞きます。
立ち上げの難しいところは、お店が認知されなくて電話が鳴らないことです。それが原因で9割のお店が半年以内に潰れてしまうと言われています。
私の場合は、池袋の風俗嬢として働いていたころのお客さんがいたので、店長兼プレイヤーとして「予約した女の子が当日欠勤した場合は代打で私がいきます」とか「お店を3回利用したら私を指名できます」というキャンペーンをしていました。
以前から私のことを知ってくれてる方が、「もしかしたら、まりてんさんと遊べるかもしれない」と思ってくれて、初月から集客をすることができました。

思い入れがあるという池袋のラブホ街
──人気者ならではの力技ですね。その後も、お店の経営は順調だったのでしょうか?
2年半ほど続けることができました。運営のスタッフも6人になって、女の子も50人ほど在籍して、シティヘブンの池袋の人気お店ランキングで1位をキープできました。ただ、私自身のメンタルに問題が出てきて…。
──と言いますと…??
立ち上げたお店は、風俗嬢のセカンドキャリアの場になればいいなと思っていたんです。だから運営スタッフ全員、元風俗嬢の子たちで。
そんなの風俗業界では当たり前なんですが、人間不信になってしまいました。お客さんはリピートしてくれたら自分のことを好きでいてくれてるとわかるので信頼できるのですが、女の子の場合は何を信頼していいのかわからなくなってしまって…。
──それで経営はやめられたのでしょうか?
メンタルに限界が来て、ある日、営業終わりの深夜0時半ころに事務所があるビルの5階から飛び降りようとしたんです。そしたら警察の人に見つかって、そのまま池袋署に連れてかれました。夜中なのに実家のある愛知から親が車で迎えに来てくれて、そのまま愛知の精神科に連れていかれて入院することになったんです。
風俗店の経営を断念し、精神科に入院することになったまりてんさん。はたして、そこからどのように全国No.1風俗嬢へと上りつめていったのだろうか。後半では、その復活への過程について話を聞いた。
文/山下素童 写真/Keigo