
7月11日に第8話、9話が配信され、ついに物語が完結する恋愛リアリティ番組『バチェロレッテ・ジャパン』シーズン3。今シーズンでは異例のトラブルが続出してしまったが、いったいその理由はなんだったのだろうか。
辞退者が続出したバチェロレッテ3
超ハイスペックな男性を複数人の女性が取り合う恋愛リアリティ番組『バチェラー』の、男女逆転版として企画されたのが『バチェロレッテ』。世界的な人気を誇るこの番組フォーマットで、日本版の初代バチェロレッテになったのが福田萌子さんだ。
福田さんをめぐる男性たちのバトルは熾烈を極めて、特に最後の3人に残った男性はそれぞれ最高の名シーンを作り、数ある『バチェラー・ジャパン』『バチェロレッテ・ジャパン』のシーズンの中でも特に、魅力的なエピソードとなって今も語り継がれている。
制作費がすさまじく、ほかの恋愛リアリティ番組とは一線を画すバチェラーシリーズだけに、今回の『バチェロレッテ3』にも当然期待の声は多かった。しかしその内容は、残念ながら視聴者の期待するものではなかった……。
はっきり言って、これまでバチェラーシリーズの配信中にネットが荒れなかったことはなく、毎回、出演者の誰かしらの言動が何かしらの炎上を起こしているが、今シーズンの炎上に関しては次元が違う。そもそも、番組の企画が成り立たないような事態に陥っているのだ。
というのも、バチェラー・バチェロレッテの両シリーズに共通しているのは、一人のハイスぺな男・女を射止めるために、参加者が死に物狂いでアピールを繰り返すが、今回のシリーズではそういった様子がほとんどなかった。
さらには、過去のシリーズで“ごくまれ”に発生していた辞退者が、今回のシーズンでは続出。1シーズンで複数名の辞退希望者が出るのはこれまでの例にない。
SNS上では〈バチェロレッテ3かわいそうすぎる 見てられないー〉〈今回のバチェロレッテかわいそうだわ 男が悪すぎだろ〉〈今回まじでヒドい… 番組成立せんレベルちゃう? これ男側の情熱が全然無さすぎ〉といった声があがり、この異常事態を受けて、過去のシリーズ参加者から苦言が出るほか、今回のシリーズの参加者がSNS上で謝罪コメントを発表するなどしている。
こうなった原因は結局、参加者の男性がバチェロレッテ・武井亜樹さんのことを好きになれず、猛アピールするまでの気持ちになれなかったことが理由だろう。人間なのだから、急に目の前に現れた相手を好きになれと言われても、難しいのはもちろんわかる。
これまでシリーズを視聴し、的確な考察や感想がSNSでたびたび話題になる、総合商社勤務のみつきさん(@hitorigototw1)に、今回のシリーズの問題点を分析してもらった。
バチェロレッテ3はなぜ崩壊していったのか
まずみつきさんが指摘したのは、参加者男性同士の絆が深まりすぎたことだ。
「シーズンの途中から参加者同士が相部屋で過ごすようになっていましたが、ここが1つの大きな問題だと考えています。参加者同士で仲良くなりすぎてしまうと、友人同士の旅行のようになってしまって、亜樹さんへ気持ちが向きづらくなるんじゃないでしょうか。
去年放映されたバチェラー5でも女性陣同士が仲良くなりすぎてしまい、バチェラーとのデート以上に、参加者同士の交流や摩擦が編集の中心になっていました」(みつきさん、以下同)
確かに今回も、参加者の一人である櫛田創さんが、本来はライバルであるはずの飯野和英さんを亜樹さんの前でベタ褒めし、一瞬微妙な空気が流れる一幕があった。
これまで、ライバル同士の絆が感動的なドラマを生み出してきたことが何度もあったが、あくまでそれは、サイドストーリー。ここがメインになってしまうと、企画が崩れているといえるだろう。
また、亜樹さん側の言動にも少々空回りが見られたという。
「亜樹さんは、中盤以降くらいから、あまり余裕がないように見えました。男性をジャッジすることに主眼を置きすぎて、個別に関係性を築くことが疎かになっているというか……。選ぶ側に立っていることの前提が強すぎて、男性陣から愛されるよう努力をしよう、みたいなことはあまり考えてなかったんじゃないでしょうか」
この問題点を特に現したのは、トップ3にまで残った北森聖士さんの辞退宣言だった。
こうした熱意の低さは、今回の参加者男性の多くがあまりにもハイスペックで、社会的地位をすでに確立していることも関係しているという。番組内で、亜樹さんを落とすアドバンテージがそれほどないのだ。
バチェラーはそもそも、超ハイスペック男性を射止めることで女性が幸せを手にするというシンデレラストーリー。だが今回のバチェロレッテでは、そのシンデレラが最初からお城に住んでいるような状態で、王子様が手を貸す必要性が全く見当たらないのだ。
そしてなにより、今シーズンの悲劇の最大の原因は、参加男性たちの“自分探しの旅”になっている点だとみつきさんは指摘する。
恋愛よりも優先された“心の成長”
「バチェロレッテは『一人の女性を大勢の男性が取り合う』という筋書きの物語です。私は、リアリティショーは“体(てい)”で楽しむものだと思っていて、亜樹さんは完全無欠のバチェロレッテ、という体。出演者は亜樹さんのことが大好きで選ばれたいと望んでいる、という体。
この体裁を守らなければ、そもそも『大勢の男性が初対面の1人の女性を奪い合う』という無理のある設定が成立するわけないのです。
それなのに今回の参加者は、その覚悟が定まらないまま参加して、ショーの幕が開いた後も、自分の心ばかり気にしてる。
今回の旅で、参加者男性が自分の悩みやトラウマに立ち向かうシーンが何度かあり、亜樹さんとの恋愛がそっちのけになる部分があった。そのためか、例え亜樹さんにフラれて帰国することになったとしても、悔しがるよりも“自分が成長出来て満足!”という顔になってしまっていたのだ。
もちろん、そんなドラマが作られることは悪いことではない。参加者の心の成長はあってしかるべきだ。
しかし、バチェロレッテにおいて参加者の心の成長は、あくまで亜樹さんとの恋愛を通して生まれる副産物であるべきであり、亜樹さんとの恋をないがしろにして、自分の心の成長に注力しては本末転倒だ。
「私はバチェロレッテを、参加男性の成長ストーリーではなくて、亜樹さんが愛を探す物語ととらえています。だから、バチェロレッテを愛せるか自信のない人たちがなぜかバリに集まり、勝手に気づきを得て満足そうな顔をして帰って行くのを見せられるのは、コレジャナイ感がありました。
亜樹さんとの恋愛に躊躇するような男性が何人かいましたが、武井亜樹という一人の人間と対等に向き合えるかどうかを真剣に考えるのは、ファイナルローズに選ばれてカメラのない場所で交際が始まってからで良かったんじゃないでしょうか。
番組が終わるまでは、コンセプト通り、亜樹さんという一人の女性を奪い合う姿、彼女に選ばれ続けようとあがく姿を、最後まで見せてほしかったです」
男性たちが無我夢中になって行動しないのは、視聴者の好感度を気にしすぎているせいとの指摘もある。これに関しては、SNSであーだーこーだといわれてしまう恋愛リアリティ番組すべてが抱える問題ともいえるだろう。
今回のシーズンで、番組の存続すら危ぶまれ始めたバチェラー・バチェロレッテだが、果たして制作陣に状況を打破する秘策はあるのだろうか。
取材・文/集英社オンライン編集部 サムネイル/『バチェロレッテ・ジャパン』公式Instagramより)