
7月27日から始まるパリオリンピックの男子バスケットボール。金メダル候補筆頭のアメリカ代表の合宿を現役選手でもある松井啓十郎が訪ねる。
「代表合宿を見学したい」アメリカ代表HCに直メール
「ひさしぶり。楽しんでいって。ところで家族は元気かい?」
バスケットボール男子アメリカ代表HCのスティーブ・カーは、そう言って笑った。
ひさしぶりというには長すぎる時間が経過していた。テレビ電話やメールでのやり取りは重ねていたものの、実際に面と向かって会話するのは28年ぶりなのだから。
本来なら2022年に再会を果たせていたはずだった。NBA JAPAN GAMES 2022、カーはゴールデンステイト・ウォリアーズのHCとして来日。「レセプションで会おう」とメールで約束していた。
しかし当日、諸事情によりカーはレセプションに参加できず。再会は叶わなかった。
パリオリンピックを最後に、カーはアメリカ代表HCを退任する意向を発表している。代表HCとしてのカーに会うならば、残された時間は少ない。
さらに今大会のアメリカ代表は、レブロン・ジェームズ、ステフィン・カリー、ケビン・デュラントらを擁し、1992年のバルセロナオリンピックで初めてマイケル・ジョーダンらNBA選手を派遣し“ドリームチーム”と呼ばれた伝説のチームと比較しても遜色ないスーパースター集団となっている。
いつ訪れるかわからない再会のタイミングを待っているより、今こそ会いに行くタイミングではないかと思えてならなかった。
6月、思い切ってカーにメールを送った。「パリオリンピック、頑張って。できれば7月の代表合宿を見学したいと思ってる」と。カーからの返信は予想以上に好意的だった。
「ありがとう。期待に応えられるよう頑張るよ。ラスベガスの合宿に来こられるようなら力になる。カナダとの親善試合のチケットも手配できるか確認してみるよ」
カーは、練習会場を写真付きで、練習時間の詳細も教えてくれた。
そして7月7日、アメリカ代表合宿会場、UNLV(ネバダ大学ラスベガス校)のメンデンホールセンターでカーとの再会は叶った。
父親が家に連れてきたスーパースターたち
カーは2021年にアメリカ代表のHCに就任している。
NBAファンの方なら、ウォリアーズのHCとして4度の優勝を成し遂げた名将であることを知っているだろう。
オールドファンの方なら、シカゴ・ブルズ時代、マイケル・ジョーダンとチームメイトだったこと。1997年、ユタ・ジャズとのNBAファイナル第6戦で、ジョーダンからパスを受け、優勝を決定づけるシュートを沈めた名シューターであったことも覚えているかもしれない。
僕がカーに初めて会ったのは10歳のときだった。カーに関する最も古い記憶は、沿道に敷いたビニールシートに座り、阿波おどりを観覧する姿だ。
カーとの出会いと関係を説明するには、ドリームチームが世界を席巻した1992年に遡る必要がある。
あの夏、世界で何万人がジョーダンのスーパープレーに憧れただろう。6歳だった僕も、その中のひとりだった。ジョーダンのハイライトシーンをVHSのビデオテープが擦り切れるくらい繰り返し見た。そして思った。
「NBA選手になりたい」
そんな果てしない夢を実現するために父親と一緒に逆算した。
当時、NBA選手になる唯一の方法はドラフトされること。そして、ドラフト候補に名を連ねるためにはアメリカの大学で活躍する必要がある。
今のようにインターネットで、世界中の様々な情報が即座に入手出来る時代ではない。どうにかアメリカへのきっかけを掴もうと試行錯誤を重ねる日々だった。
バルセロナから4年後の1996年、チャンスが訪れる。
当時、ブルズでプレーしていたカーとその友人であり同じくNBA選手のショーン・エリオットと日本でバスケットボールクリニックを開催することを知り、僕はそのクリニックに参加した。
牧歌的な時代だったのか、僕の父親が強引だったのか、クリニック後、カーとエリオットが僕の自宅に来ることになった。
実家は東京・高円寺。朝早くビニールシートで場所を確保しておいた。ふたりのNBA選手が、そこに座り阿波おどりを観覧する姿は、今思い出してもどこか微笑ましい。
そして、ふたりのクリニックをきっかけに、僕のバスケットキャリアは好転していった。
マイケル・ジョーダンと1on1対決
同年秋、マイケル・ジョーダンが『HOOP HEROES』というナイキ主催のイベントで初来日することが決まる。
イベント中、小学生とジョーダンが1on1を行う催しが企画され、対戦相手の選考の場にいたのがショーンだった。
「日本人の上手な小学生をひとり知っている」
ジョーダンと対戦できるのはふたり。
バスケの神様との1on1は、アメリカへの想いを一層強くさせ、2000年、僕はアメリカ・メリーランド州にあるモントロス・クリスチャン高校に進学する。
モントロスは何人ものNBA選手を輩出する名門校だ。在籍期間こそ被らなかったが、今大会のアメリカ代表の一員、ケビン・デュラントや日本代表のキャプテン富樫勇樹らが後輩にあたる。
モントロス卒業後、僕はコロンビア大学に進学。NBA選手という夢は叶うことはなかったが、日本人初のNCAAディビジョン1選手になることができた。そして大学卒業後帰国し、日本でのキャリアがスタートした。
その間、カーとの関係は細細とではあったが切れずに今日に至っている。
アメリカ代表練習を見学、リラックスした表情に松井は…
ラスベガスに話を戻そう。
練習見学のためにカーが用意してくれたのは、体育館の1階席だった。マスコミも立ち入ることができない、全米の強豪大学のコーチ陣やNBA選手、その関係者が占める特等席だ。
カーとの会話はものの数分で終わった。
カー以外にも会っておきたかった人物がいる。ケビン・デュラントだ。
パリで4個目の金メダルを狙うデュラントは、今大会も間違いなくキーマンになるが、ふくらはぎのケガのため合宿で別メニューを行うことが決まっている。
合宿4日目、デュラントと話をすることができた。
これまで何度か会ったことがある彼に「ケガの具合はどう?」と聞くと「大丈夫だよ」と即答。ケガの詳細までは打ち明けられないだろう。話題を変え「フェニックス・サンズの試合、いつか見に行くよ」と伝えると「その時は連絡してくれ」と僕の携帯を手に取り、自ら新しい連絡先を打ち込んでくれた。
211センチの長身ながら、繊細なシュートタッチがデュラントの武器だ。アメリカ代表の男子オリンピック史上最多得点記録(435得点)を叩き出した、その大きな手で操作すると、iPhoneがまるでオモチャのように見えた。
カーもデュラントも、表情はとてもリラックスしていた。体育館に姿を見せるアメリカ代表の面々も、それは同じ。
その表情は油断になりかねないのではないかかと最初は思った。アメリカ代表が金メダルの大本命なのは揺るがない。
しかし、カーが初めて指揮をとった2023年のワールドカップ準決勝でドイツに敗れているように、もはや世界とアメリカの差は、いつどんなアップセットが起こってもおかしくない。
パリでも足元をすくわれる可能性があるのではないか。そんなことを思いながらアメリカ代表の練習を見つめると、練習開始からものの数分で、その考えが間違いであることに気づいた。
取材/松井啓十郎 構成/水野光博