
これまで、さまざまな精神疾患に振り回されてきた谷口麗さん(仮名・女性)。21歳のときには自殺未遂をして、精神科の閉鎖病棟に隔離されたが、そこでの入院生活はつらく苦しいものだった。
外部との連絡手段は遮断され…
谷口麗さんは、高校卒業した就職後、仕事の激務によるストレスが原因で、12歳から度々やっていたオーバードーズ(以下、OD)に加え、アルコール依存症に陥ってしまう。そんななか心身ともに限界を迎え、2021年に自殺未遂を図る。
幸いなことに集中治療室(ICU)に運ばれ、一命を取り留めた麗さんだが、その先に待っていたのは精神科での入院生活だった。「提携先の内科への転院」という形で、なかばだまされる形で閉鎖病棟に運ばれた。
「私が入院したのは、女性患者限定の棟の4人部屋で、ベッドと簡易式のトイレしかない独房のような部屋でした。
入院当初は、17時以降の外出は禁止されていたため、本当にやることがなくて暇でした。同部屋の人と話したりもしましたが、その人が全然話が通じないんです。ちょうどコロナの時期だったので、『コロナのワクチンで体内にチップを埋め込まれた』とか、『私に向かって毒電波を流しているんでしょ』とか言われ、余計に疲れました。
しかも消灯は21時なんですが、そんな早い時間に寝られるわけがなく、夜中になっても別の患者が騒ぐので全然眠れないんです。同室だった40歳くらいの女性は、深夜に壁を叩きながら『ここから出せ!!』『ふざけんな!!』としょっちゅう騒いでいたので、全然安眠できませんでした。もう一生この人は、“こっち側”に戻って来れないのだと思って、ゾッとしましたね」
自由の効かない入院生活だったが、麗さんは徐々に回復していく。精神科の診断では、うつ病とアルコール依存症とADHDと診断されたものの、次第に外出制限も緩くなり、入院から3ヶ月後には外泊も許可されるようになった。
入退院を10回繰り返している患者も
そうして精神科に入院してから4ヶ月後、今度はアルコール依存症を克服するための病棟に移る。
「当時はガンマGTP(肝機能を表す指標で101以上は要治療と見なされるケースが多い)が680ほどあったものの、断酒剤を飲んで数値を下げてました。抗酒剤とは、少量でもお酒を飲むと心臓がバクバクして泥酔したように気分が悪くなる薬で、強制的にお酒が飲めない状況にしていました」
ほかにも、麗さんをアルコールから遠ざけたのが自助会の存在だった。同じアルコール依存症患者の境遇を聞くことによって、病気への理解が深まり、グループのメンバーからアルコールによる悲惨な経験を聞くことで、お酒を遠ざけようとより危機感が生まれた。
「自助会では、自分より壮絶な経験をしたアルコール依存症の患者とたくさん出会いました。泥酔して嫁と子供に暴力を振るってもお酒を辞められない人、運転中にどうしてもお酒が飲みたくなり結果的に事故を起こした人、アルコール依存症で入院するのが10回目の人、彼氏が暴力団で薬物や風俗を強要させられてそのストレスからアルコールにおぼれた人、肝硬変になってもう先が長くない人など……。
そういった人たちと交流していくうちに、まだ自分はやり直せるという気持ちが芽生え、ちゃんと社会復帰しないといけないと思うようになりました」
アルコール依存症の病棟に入ってから4ヶ月半が経ち、麗さんは退院を決意する。このまま病棟にいるより、社会と接点を持たないといけないと思い、医師の許可をもらって、通院生活に切り替えたのだ。
マッチングアプリで寝床を探す
ほぼ強制的に退院した麗さんだが、入院時に実家も解約されており、定職があるわけでもなかったので、路頭を彷徨うこととなる。そこで友人の家や、インターネットカフェを転々とするなか、マッチングアプリで居候させてくれる人を探すようになる。
「友達の家にお世話になりっぱなしになるのも気が引けるし、漫喫はそれなりにお金がかかるし。それなら身の危険は感じるけど、見ず知らずの男性にお世話になった方が迷惑がかからないかなと思って」
結果的に、マッチングアプリで知り合った男性とは、トントン拍子に話が進んで交際にいたる。そこから同棲生活が始まり、2人での生活が始まった。
とはいえ、実生活を送る上での不安が消えたわけではない。
「このころはパートナーが仕事に行き、日中は1人の時間が多かったこともあり、思い詰めてしまう時間が多かったんです。時間がたくさんあったので、睡眠薬とかADHDの薬をチャンポンして、服用量の10~15倍ぐらい飲んでましたね。
睡眠薬を過剰摂取して丸2日昏睡していたり、あとADHDの薬は血圧を下げる作用があって、ひどい貧血のようになって3~4日間、目眩や耳鳴りで動けなかったり……。正直、もうあんな経験はしたくないですね」
「パートナーの存在がなければもっとひどくなっていた」
退院したはいいものの、またODを再発してしまった麗さんに歯止めをかけてくれたのがパートナーの存在だった。
「パートナーは、私がODして家で倒れていたり、ずっと吐き気や目眩で苦しんでいたりするときを見ていたので、さすがに心配になって病院に行こうと提案してくれました。私からしたら、過去にだまされるような形で精神病棟に入院していたので、すごく抵抗がありました。パートナーの存在がなければもっとひどくなっていたんだろうなと」
結局、通院での治療は変わらず、ODしないためにはどうすればいいのかを、パートナーや担当医とともに話し合った。家に1人でいる時間を作らないこと、ケースワーカーに相談して自立支援とつながることなど、自身が不安になる環境から遠ざけ、社会復帰していこうと決めた。
そこからは仕事を見つけ、パートナーとも婚約することで、麗さんの生活は安定していく。すると次第に、自身が抱えている精神疾患とも折り合いをつけられるようになった。
「正確にいえば、薬物依存やアルコール依存から、完全に決別できたかといわれるとそれはそれで違うんです。今でもいつ自分がまた再発してしまうか不安に思うときはありますし、薬やアルコールを過剰に摂取したくなる瞬間もあります。
ただ、自分の意思ではコントロールできなくても、日々の生活を規則正しく送ることで、薬やアルコールを遠ざけています。例えば、不安になるひとりの時間を作らないよう、友人との予定を入れたり、日中に自助会の予定を入れて自分を戒めたりと、ODしないよう外堀を埋める努力をしています。
きっと依存に関しては、一生完治することはなく、今後も付き合っていかないといけない。あくまでも今は依存に走る気持ちを抑えるために、なんとか生活しているといった感覚なんです。それぐらいアルコールや薬物依存に陥ることは怖いことだと思います」
現在は仕事もプライベートも順調な日々を過ごしている麗さんだが、いつまたアルコールや処方薬に手を出してしまうか、自分でもコントロールできない恐ろしさを常に抱えている。それほど薬物依存やアルコール依存は恐ろしい病気と言える。
取材・文/佐藤隼秀 写真/本人提供