
なぜ今の時代、「校正」が注目されるのか――。『kotoba』の人気連載「ことばの番人」がこのほど単行本に。
書き手を潰さないのが校正者?
髙橋秀実(以下、髙橋) (牟田の手元にある付箋がたくさんついた本を指差して)私の新著を読んでいただいたとのこと。初対面にもかかわらず、いきなりお聞きしてしまうんですが、誤植はなかったですか?(笑)
牟田都子(以下、牟田) この仕事をしていると、著者や編集者とお目にかかったときの第一声がそれなんですよね。(校正として)お金を貰っていないときは、誤字脱字は拾いませんって言うようにしています(笑)。我々は仕事でゲラを読むのと「読者読み」を区別しています。
夫も同業者なんですが、読者読みだと(誤字脱字に)気がつかないよね、なんて話しています。
髙橋 この『ことばの番人』では「校正」の重要性を書いています。誤字脱字に気をつけろと言いながら、間違っている可能性もある。
そこで巻末の著者プロフィールの後に「誤字脱字を見つけられた方は、お手数ですが、集英社インターナショナルHPのお問合せフォームまでお知らせいただけますと幸いです」という一文を入れています。
牟田 誤字脱字があるかどうかというのは、校正(※)について書くときの一番の難関ですよね(笑)。
髙橋 私の文章は、まず妻が読んで、気がついたところを指摘してくれます。最初の校正ですね。
私は彼女の原稿を読んで、「書き出しで引き込まないと」「展開が面白くない」「オチがついていない」、しまいには「取材が足りない」と言って赤字を入れた。そうしたら彼女は「じゃあ、あなたが書いて!」と激昂してしまって。
牟田 お察しします(笑)。
髙橋 私の指摘では、全面書き直しということになります。彼女の書き味を無視している。一方、彼女は基本、私の原稿を否定したりしません。面白いけど、こうしたほうがより面白いかもと、柔らかく指摘してくれるんです。彼女のほうが校正者の資質がある。絶対に書き手を潰さないのが校正者かもしれません。
牟田 校正の技術というのは、誤字脱字を見落とさない、漢字の形の違いに気がつく、言葉に詳しいという以上に、どこまで踏み込むか、かもしれません。ゲラに疑問があった場合、どこまで聞くのか、どういう聞き方をするのか。髙橋さんの言葉をお借りするならば、書き手を潰さないさじ加減、塩梅も技術の一つと言えるでしょうか。
時代によって変わる「普通」
髙橋 私にとって、校正のありがたみというのは、最後まで読んでくれたということなんです。誰にも読まれていないものを印刷することには大変な恐怖を感じます。たとえゲラに直しが一つも入っていなかったとしても、校正者の眼を通っていると思うと安心できるんです。
私は、校正者の身体には「普通」というものが宿っていると考えているんです。だから、これは、普通の言い方ではありません、普通とは違います、ということを判断してくれる。
牟田 ここで言う普通とは、日本語を母語とする日本語話者の平均、標準でしょうか。校正者のやっていることは普通の物差しを当てて、はみ出しています、足りませんと言うことかもしれません。とはいえ、「普通」の人が観るようなテレビを観て、新聞や本を読んで、森羅万象すべてにおいて普通の程度を維持するのは、一人の人間では不可能です。
髙橋 「普通」は時代によって変わりますからね。
牟田 ええ、かつては「とても良い」という言い方はしませんでした。
普通の物差しが辞書なんです。迷ったとき、我々は国語辞典を引く。それも1冊ではなく、2冊、3冊と引く。国語辞典には保守的な立場をとるものもあれば、新語を積極的に採用するものもあります。その中で複数の国語辞典に載っていれば、普通だと判断する。読者から問い合わせがあったときも、辞書にこのように載っていますからと説明できます。
髙橋 校正者の境田さんは辞書は根拠であるとおっしゃっていた。根拠とするために、辞書だけで7000点、(最初の近代的国語辞典である)『言海』を270点も所有しておられる。
境田さんによると、同じ『言海』でも同じ発行年月日、同じ版であっても、印刷や製本の時期がズレていたりして、内容が異なっているそうです。
牟田 そうおっしゃっていますね。
髙橋 私は自分がちょっと普通でないという自覚があります。少しおかしいという感覚です。いつも普通に読んだらどういう疑問が浮かぶんだろうと気になります。
牟田 こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、本を書くのは普通でない方(笑)。普通でないから本を書くことができる。だからこそ本にする過程で普通の人の眼差しが入ることは大事だと思うんです。普通はその文章がどのような読者を想定しているかによって変わってきます。想定読者の普通にこの文章は合っているかどうか。
SNSに誤字脱字が多いのは…
髙橋 本書で取材した中で、鷗来堂の栁下さんが「校正は楽しいです」と実に嬉しそうに語ってくださった。牟田さんも楽しみながら校正されていますか?
牟田 (大きく首を振って)私は楽しいと思ったことは一度もないです(笑)。ないですが、いろんなジャンルで校正をしている同業の方への興味はあります。『ことばの番人』で医薬品メーカーの方が「後ろから一文字一文字切り離して照合する」「言葉であることを忘れ、意味も考えずに文字合わせをする」という一節がありました。
髙橋 「消し込み」と言って、文字の一つひとつが「レ」点で塗り潰されていて、読めない状態でした。
牟田 文章として読んでいくと騙されるから、後ろから逆さまに読んでいく。なるほどと思いました。漢字の音読みと訓読みをひっくり返し、独特の抑揚で声に出して読んで校正する方もいます。音訓を逆にすることで、言葉として意味をなさなくなるので、文字をちゃんと見ることができる。
髙橋 この本でも取りあげていますが大阪毎日新聞社校正部が編纂した『校正の研究』という古い本があります。
牟田 うちにもあります。今ではなかなか手に入りにくくなってしまいましたね。
高橋 この本の文中と奥付の「校」の字が違うんです。
牟田 (髙橋が指を差した箇所を覗き込んで)あっ、本当ですね。書体の違いでしょうか。
髙橋 困ったことに、別の場所では「校」がまた違う。
『ことばの番人』では『校正の研究』から何箇所も引用しているんですが、それぞれの「校」の字が違う。だけど引用なんで、勝手に揃えることはできない。筆押さえなんて聞かなきゃよかったって(笑)。この本の中で引用している『校正往来』『大言海』でも「校」の違いが目について仕方がないんです。
牟田 校正の目で読むことを意識し始めると、細かいところが気になって仕方がなくなる。私も経験しました。ひらがなの「へ」とカタカナの「ヘ」が交ざっていないかとか。でもたくさん読んでいるとそのうち、読者読みでは気にならない時代が来ます(笑)。
髙橋 ある友人に「校正」について本を書いたので読んでほしいって連絡したら、それはいい、今の若い者の言葉が乱れている、よくぞ書いてくれたっていう興奮した調子でメールが来たんです。ところがそのメールに誤字脱字がたくさんある(笑)。感情が高ぶっていると誤字脱字が起こりやすい。
SNSに誤字脱字が多いのもしかり。それらは争いごとの種になる。一字一字読み返し見直してほしい。読み手あっての書き手なんです。私たちの本を読んで、ぜひ「校正」能力を身につけてください。
(※)校正とは何か――。『ことばの番人』の冒頭、校正者の山﨑良子への取材の中で髙橋はこう定義する。〈そもそも「校正」の「校」は訓読みすると「くらべる」。「校正」とは「写本または印刷物などを原稿や原本とくらべ、誤りを正す」(『講談社 新大字典(普及版)』)こと。元の原稿とゲラ(校正刷り)を照らし合わせる。あるいは引用の原文とゲラを照らし合わせる。さらには辞書・事典類、資料などと意味や事実関係を照合するのだ〉
文・構成/田崎健太(ノンフィクション作家) 写真/小林鉄兵
髙橋秀実さんが11月13日に逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 kotoba編集部
『ことばの番人』 集英社インターナショナル
髙橋秀実
校正者の精緻な仕事に迫るノンフィクション。
日本最古の歴史書『古事記』で命じられた「校正」という職業。校正者は、日々、新しいことばと出合い、規範となる日本語を守っている「ことばの番人」だ。
ユーモアを忘れない著者が、校正者たちの仕事、経験、思考、エピソードなどを紹介。
「正誤ではなく違和」「著者を威嚇?」「深すぎる言海」「文字の下僕」「原点はファミコン」「すべて誤字?」「漢字の罠」「校正の神様」「誤訳で生まれる不平等」「責任の隠蔽」「AIはバカともいえる」「人体も校正」……
あまたの文献、辞書をひもとき、日本語の校正とは何かを探る。
【本文より】
文章は書くというより読まれるもの。読み手頼みの他力本願なのだ。世の中には優れた書き手などおらず、優れた校正者がいるだけではないかとさえ私は思うのである。
【目次より】
第一章 はじめに校正ありき
第二章 ただしいことば
第三章 線と面積
第四章 字を見つめる
第五章 呪文の洗礼
第六章 忘却の彼方へ
第七章 間違える宿命
第八章 悪魔の戯れ
第九章 日本国誤植憲法
第十章 校正される私たち
『文にあたる』亜紀書房
牟田都子
《本を愛するすべての人へ》
人気校正者が、書物への止まらない想い、言葉との向き合い方、仕事に取り組む意識について——思いのたけを綴った初めての本。
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〈本を読む仕事〉という天職に出会って10年と少し。
無類の本読みでもある校正者・牟田都子は、今日も原稿をくり返し読み込み、書店や図書館をぐるぐる巡り、丹念に資料と向き合う。
1冊の本ができあがるまでに大きな役割を担う校正・校閲の仕事とは?
知られざる校正者の本の読み方、つきあい方。
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校正者にとっては百冊のうちの一冊でも、読者にとっては人生で唯一の一冊になるかもしれない。
誰かにとっては無数の本の中の一冊に過ぎないとしても、べつの誰かにとっては、かけがえのない一冊なのだ。