「『卒業』は私にとって“運命の宝物”」「でもアイドル歌手には違和感が根強くて」斉藤由貴が振り返る40年「今思えばとても子どもだなと(笑)」
「『卒業』は私にとって“運命の宝物”」「でもアイドル歌手には違和感が根強くて」斉藤由貴が振り返る40年「今思えばとても子どもだなと(笑)」

女優・歌手として活動を続ける斉藤由貴が歌手デビュー40周年を迎えた。彼女のデビュー曲と言えば、今も卒業式シーズンになると、テレビやラジオ、そして街中でも耳にする『卒業』。

もはやスタンダードナンバーともいえるこの名曲を斉藤は、「私にとって運命の宝物」と表現する。実は、「アイドル歌手としての違和感があった」と語る彼女は、どんな思いで歌に取り組んできたのか。話を聞いた。(前後編の前編) 

『卒業』は私にとって“運命の宝物”

1985年2月21日発売のシングル『卒業』で歌手デビューを果たした斉藤由貴。当時としては珍しく、デビュー曲にしてヒットチャートでトップ10入りする華々しい幕開けを飾ったが、当初は「歌うことは自分に合わないと感じていた」という。

「演技をすることは最初から大好きだったし、自分に合っていると思ったんです。(歳を取ってからでもできる)おばあちゃんの役柄もありますから、死ぬまで続けられたらいいなと思っていました。

ただ歌を歌うことに関しては、私の芸能界の入口がいわゆる“アイドル歌手”っていうジャンルだったので、最初からすごく違和感があったんです。特に、歌番組が本当に苦手で…。キラキラしているし、自分の価値みたいなものを一生懸命示さなければいけない気がして。

そんな違和感を抱えながら歌っていたところがあったので、いわゆるアイドル的な年齢を過ぎたら、自然に歌手としての活動は先細りしていくと思っていたし、実際にそうなりました。だから、まさかまたこんなに長く歌を続けさせてもらえるとは思っていなかったのが正直なところです」

“アイドル歌手”というカテゴリーに違和感を覚えたという斉藤だが、『卒業』でデビューできたことは、自身にとって大きな出来事の1つだと語る。

「デビュー曲の『卒業』は、私にとって“運命の宝物”。

たぶんこの曲がなかったら、歌手活動は全然違う方向性になっていたんじゃないかと思うんです。

私がとても運がよかったなと思うのは、ブレーンと言われる周りの人たちしかり、デビューしてから出会った人たちに恵まれたことです。

例えばマネージャーさんも、もちろん基本は社会人でビジネスですから、結果が出せなければダメなわけですけど、そこだけに執着するのではなくて、新しいアプローチに挑戦してみようと言ってくれる人でした。

『卒業』を作ったディレクターさんも、当時のステレオタイプ化されたアイドルのジャンルや路線に惑わされずに、『本当にこの人が輝ける作品を探そう』みたいな純粋な思いを持っていた方で。そんな人たちが周りにたくさんいてくれた気がします」

「曲は最初から最後までで1つのもの」

現在50歳の筆者は当時放送されていた斉藤のラジオ番組を聴いていた世代だ。

その番組内で、「歌は1番(の歌詞)だけでなく、2番、そして(一曲通して)最後まで含めて世界観を伝えているのに、テレビ番組では2番が歌えない」と語っていたのを強烈に覚えている。

その発言から、斉藤は「歌に並々ならぬ思い入れがある人」という印象をもっていたため、今回の「歌手活動に違和感があった」という発言は驚きだった。

「もう本当にその通りでしたね。そして、それはずっと変わらずに今も心に思っています。

曲は最初から最後までで1つのもの。3~4分という短い時間ですけど、その間に1つの物語を表現する、演じるっていう感覚です。

というか、そもそも私がそんなに歌が上手じゃないから(笑)、自分で納得して、なにかしらの自信を持ってマイクの前に立とうと。ただ、自信を持ってマイクの前に立てることもあまりないんですけど(笑)」

そう笑う斉藤だが、当時からコンサートという場には楽しみを感じていたと振り返る。

 

「コンサートって、看板としては自分のみ。そこで2時間なら2時間のショーを、自分も意見を出しながら、1つの物語として起承転結や世界観を作れます。 

お題目はアイドル歌手でしたけど、それでもとてもやりがいがあったし、楽しかった記憶がありますね」 

「きっと歌ゆえに届けられる感動がある」

1990年代半ばには一度は歌手活動を休止した斉藤だが、追加公演を含む2008年に13年ぶりの単独コンサートを開催すると、毎年12月にクリスマスライブを行なうなど、再び積極的に歌に取り組んでいる。

歌手デビューから40周年を迎えた今年2月21日からは、全国8か所を巡るホールツアー「斉藤由貴 40th Anniversary Tour “水辺の扉”~Single Best Collection~」もスタートさせた。

全国ホールツアーの開催は、実に36年ぶり。『卒業』をはじめ、多くの楽曲にて編曲を手掛けた音楽プロデューサーの武部聡志とともに、ツアーに挑む。

「武部さんがアレンジャーとして関わっていただいたシングル曲を中心に、すべて当時のオリジナルアレンジのままお届けしますよっていうのが1つの大きなコンセプトなんです。

ただ当然のことながら、アレンジは当時のものだけれど、歌うのはそれから40年の人生を生きてきた今の私。そのすり合わせが、とても大変なことなんですね。

『40周年だから歌います』って納得できればいいのかもしれないですけど、なんとなく私の中ではそれだけだと面白くないなというか。自分の中で、昔のアレンジを今の私が歌うことの答えというか、なにか確たるものを持って臨みたいって」

その答えを見つけるのが難しかったと語る斉藤だが、リハーサルを重ねることで考えがまとまってきたという。

「今言ったこととはものすごく逆なことを言うようですけど(笑)、自分が納得することにこだわりすぎてはいけないっていう発想になっています。

デビュー曲『卒業』からの楽曲をオリジナルアレンジで、今聴きたいと思ってくださるお客さんがいる。私はあれからさまざまな人生を歩んだし、聴きに来てくださる方も同じようにさまざまな人生を過ごしてきた。

ステージの上と客席という境目みたいなものはあるのかもしれないけど、『お互いにここまで頑張ってきましたね』『あのときからここまで時間が経ったんだな』って思っていただくような手渡し方。それが、今回のツアーに関して言うならば正解かもしれないと思っています」

40年の月日を経た今、斉藤は歌という表現の楽しさをどのように捉えているのだろうか。

「ものすごい当たり前のこと言うんですけど、演じることと比べてその違いは『音楽がある』っていうことですよね。

音楽って世界中どの場所に行ってもあるもので、その旋律、調べは、演じることよりももっと奥に届く根源的な何かをはらんでいるし、きっと歌ゆえに届けられる感動がある。

歌わない時期もありましたけど、また歌を歌うようになって、心から歌というものを楽しめるようになってきました。

アイドル歌手っていうものに対して、なにか偏見や嫌悪感がね、私の中で根強かったんですね。そういうこだわりは、今思えばとても子どもだなと思うんですけど(笑)」

後編では、斉藤にとって大きな軸の1つである「演技」について聞いていく。デビュー当初から「長く続けていける」と感じた演技の仕事だが、出世作であるドラマ『スケバン刑事』には大きな戸惑いがあったという。

取材・文/羽田健治

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