人はなぜ「よいしょ」と言ってしまうのか? 卓球の「チョーレイ!」も同じ理屈だという日本語独特の“気を合わせる”ということ
人はなぜ「よいしょ」と言ってしまうのか? 卓球の「チョーレイ!」も同じ理屈だという日本語独特の“気を合わせる”ということ

重たいものを持つとき、長時間の立ち仕事が終わり腰をおろすとき、思わず「よいしょ」と言ってしまうのはなぜなのか? 「気合い」つまり気を合わせることにこの言葉は起因しているという。

書籍『いい音がする文章』より一部を抜粋・再構成し「よいしょ」の原点に迫る。

ひとむかし前、唄は人生の一部だった

徳島県の山間部にある那賀町(なかちょう)が、数年前なんと町でCDを出した。地元の民謡や祝い唄、田植え唄などを収録したこの『阿波の遊行』は、発売からしばらくするとミュージシャンの間で話題になりAmazonランキングでも上位に昇った。

この音源は1960年代から20年間、現代舞踊家の檜瑛司(ひのきえいじ)さんが四国をまわり村に残る民謡をフィールドワーク的に収録したもので、亡くなったあと、家族により役場に寄贈され、そこから久保田麻琴さんによって再編集された。

那賀町役場の柔軟さよ! 四国にとって大切な資料が、私たちの手に届く形になったことに感動した。

聴いてみると、音楽というよりも唄が暮らしに必要不可欠なものであったことが見えてくる。たとえば収録されている『美郷の田植え唄』や『牟岐の麦打ち唄』は、労働から唄ができている。作業の息を合わせるために自然に生まれた唄だろう。日本人は農耕民族だから、全国いろんなところに田植え唄が残っている。

我が家も代々農家で、田植え機や稲刈り機といった農機具のない時代は、水田に大きな立方体の木の定規のようなものをあてて、そこへ数名が一列に並んで唄を歌いながら苗を植えていたそうだ。

そうするとピッタリと苗の位置を揃えることができた。定規を前へ進ませ、歌で息を揃えて田植えをしたのだと祖母から聞いた。

つまり、労働効率を上げるための田植え唄だったのだ。想像するとなんと美しい光景。

でも、ずっと手作業で腰が痛かっただろうなあ。祖母の代の女性はみんな腰が曲がっていて「よく働いた証だ」と言われた。

いま私は百姓もしているので、少しは農作業のしんどさもわかるのだけれど、機械化が進んで救われたのは農家の女性だろう。

そんなきつい農作業が、田植え唄により少しは楽しくなったのではないか。あの時代の人はいつでも唄を携えていた。家でも、銭湯でも、畑でも、祭りでも。祖父母も近所の人たちも、玄関先に集まればみんなすぐ歌っていた。カラオケに行かずとも、唄は人生の一部だった。

農業をはじめ、林業や漁業など大人数が協力しないとできない第一次産業には労働歌が必要不可欠な道具だったのだと思う。また、しんどい労働のあと、お酒を一杯やりながら皆で歌うためでもあったと祖父が言っていた。

今は、ほとんど機械化され、大量生産できる時代になったので、労働歌や掛け声は消滅しつつあるが、畑のチームでバンドをやりながら、唄がチームの心を繋いでいるなとも感じている。

民族音楽としても、檜さんの残した音源はとても価値のあるものだ。

労働歌には、プロのミュージシャンが歌うのとはまた違った力強さと、説得力、生命を燃やす人間の色気を感じる。こういった唄の多くも口承だったため、書いたものが残っていなかったりするのだ。

なぜ「よいしょ」と言ってしまうのか

今も私たちが重いものを持ち上げたりしながらつい言ってしまう「どっこいしょ」とか「よいしょ」とか「せーの」も、労働歌に近い。声を出すことで気分の切り替えができるし、タイミングも計れるし、気合いが入って何倍もの力を発揮することもできる。

「気合い」という言葉もまた、気を合わせるという目には見えない感覚的な力を表す日本独自のものである。

スポーツ選手が実際に声を出しながら試合をするのも、そういう理由があるという。槍投げの後の雄叫び。卓球の「チョーレイ!」。見えない気の塊が飛んでくる。

先日、能楽師の有松遼一さんと対談させていただき、特別にお能の「謡」を披露してくださった。話をしていたときと空気が一瞬で変わる。ものすごい声量。有松さんの体全体がびりびりと響いているのがわかる。

体という筒がラッパやチューバのように鳴っている。ああ、体は楽器だなあと思った。

歌うとき、笑うとき、叫ぶとき、体にこもった気がぽーんと飛んでいく感覚。山で「やっほー」と叫ぶとき、とても気持ちがいい。そう、「気の持ちようが良い」のだ。

音とは、声とは、体の中から出てくる気なのだとわかる。だからこそ、しゃべり言葉は文字では見えない人となりが見えてしまう。隠しようがないから困ることもある。

メールやSNSばかりで、声という臓器があまり使われていない今は、感情に乏しい時代だとも言える。声は動物の証でもある。泣くときにも笑うときにも、感情とともに声が出るのには意味がある。

湯船に浸かるとついつい「はぁー」と言って息を吐いているのも、心身を整える上で必要なことなんだろう。

「呼吸法」はときおり話題になるけれど、情報ばかり受け取ってしまう現代において、吐き出すことが足りてないことは一目瞭然。

ストレスが体にこもってしまうと、空気が流れない。いつも唄を携えていた祖父母たちは、自然にそのことがわかっていたのだ。歌えば気が晴れていく。それは、体に風を通すことだったのだ。

唄や掛け声にもリズムがあるように、会話、演説、落語……話し言葉には100人いれば100通りのリズムがある。政治家は政治家っぽい話し方になるし、先生は先生の、噺家は噺家の話し方になる。同じ職業の人全員が同じ間合いでもない。

話し方は性格の最も反映されるところだ。そのリズムこそが、ごまかしようのない自己紹介である。

手紙やメールではあんなに流暢だったのに、会ってみると無口でしゃべらない人もいて、そのギャップに驚いたこともあった。声はいつも一発勝負。

文章のように推敲も書き直しもできない。だからこそ本心が出やすい。

数年前、中四国地方の民間放送ラジオの大会があり、審査員をさせてもらった。1ヶ月の間に、実に100時間近いラジオ番組を聞いていると、とてもよくわかるのだ。心が。

声やしゃべり方、間合いで、本音か建前かが伝わってくる。文字では隠せても、声は表情の一部なんだなと思った。

写真/shutterstock

いい音がする文章 あなたの感性が爆発する書き方

高橋久美子
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2025/1/151,870円(税込)314ページISBN: 978-4478117620

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