
アーティスト「チャットモンチー」の元ドラマーで作詞家、作家の高橋久美子さん。彼女によると、いい文章にはいい音がするそうだ。
書籍より一部を抜粋・再構成し、日本人なら誰もが知っている名曲『上を向いて歩こう』が世界中で愛される理由を解説する。
『上を向いて歩こう』はなぜ人の胸を打つのか
論理的に正しいことを言われても余計に悲しくなったり頭に入ってこないということはないだろうか? 励ましの言葉は特にそうかもしれない。でも、同じ言葉なのに、歌になったらすっと心の隙間に入ることがある。
3・11のあと、いろんなところから坂本九さんの『上を向いて歩こう』が流れた。この曲は、1961年に誕生し、戦後日本の復興から高度経済成長期という激動の時代を支えてきた日本の代表的な歌謡曲だ。
台湾に旅行に行ったときにもタクシーの中で流れていて、運転手さんが口ずさんでいたことにも驚いたし(ちなみに、千昌夫の『北国の春』も歌っていた)、海外でもこの曲だけは知っているという外国人も多く、日本の歌謡曲の中では最も認知度が高い曲じゃないだろうか。
上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
思い出す春の日 一人ぽっちの夜
具体的に何があって涙がこぼれそうなのかは書かれていない。春も夏も秋も涙がこぼれないように上を向いて歩くというとてもシンプルな歌詞だ。
でも「泣きながら歩く一人ぽっちの夜」というフレーズ。結局泣いているんです。
リスナーは、主人公が上を向きながらも涙を流していることに救われたのではないか。そして、「あなたは一人じゃないよ」とは言わずに、「一人ぽっちの夜」と言い切ったからこそ、みんな、自分だけではないと思えたのではないだろうか。
「人生にはいいことも悪いこともあるんだから前向きにがんばろうよ」とか「ときには泣くことも必要だ」とか「僕もこんなことがあって悲しいんだよ」とか、説教じみたことを言ってない。良い歌詞には余白があるな。書きすぎず、それぞれに想像を委ねる余地のある歌詞だ。
「前を向いて歩こう」ではなく「上を向いて歩こう」なのがいい。論理的にこの歌詞を分析するなら、そもそも上を向いて歩いたら転ぶだろってなるんです。
でも、「上」って言葉のまとっている雰囲気が、みんなに伝わったのだと思う。「前」という現実的な言葉だと、道がどこまでも続く絶望感も想像してしまう。
でも「上」には空しかない。同じ空の下で、みんなでがんばるんだと思えたんじゃないかな。広まっていく歌詞の多くは論理の対極で、空気をたっぷり含み、個性に個性が重なったものなのだねぇ。
ジャズアレンジだから世界中に響いた
作詞者の永六輔さんからこの歌詞をもらった作曲者の中村八大さんは、ヨナ抜き音階で、ジャズアレンジにした。ヨナ抜き音階は童謡によく使われる、ドレミファソラシドからファとシを抜いた音階だ。
そのことにより子どもやお年寄りにも親しみのあるメロディーになったのではないか。
私たちは歌詞だけでなく曲調によって泣けたり、前向きになったりしているのだ。
この曲のすごいのは、牧歌的なバラードや童謡にせず、ジャズアレンジにしてモダンに軽やかにしたところだが、さらにさらに、坂本九さんの歌い方、びっくりするくらい鼓膜を圧迫しない。
同じ歌詞でも、もしべたべたのバラードで、感情たっぷりに歌い上げるメロウなボーカルがついていたら「SUKIYAKI」というタイトルで世界でヒットすることも、多くの日本人の心を打つこともなかったと思うのだ。
坂本九さんの独特の歌い方について、永さんは、「(坂本さんの)ご兄弟はみんな三味線の名手で名取の方もいます。『この子は三味線で育ててきたのに、中学に行くようになったらギターを持ってロカビリーなどやかましいことをして』というのがお母さんの言葉でした」と書いている。
坂本さんは、邦楽が日常的に鳴り、唄われる家で育ったのだ。
この人はロックシンガーでした。
しかし、あの人の歌い方を一度、じっくり聞いていただくとわかるんですが、完全に邦楽の歌い方なんです。(中略)『♪ふへほむふひいてあはるこおおほほ』と聞こえてきませんか?
あれは邦楽の歌い方なんです。
新内(しんない)、常磐津(ときわづ)、端唄(はうた)、これが全部彼のロカビリーのなかに入っているんです。同じことですが、さだまさしもそうです。谷村新司もそうです。
伝統として受け継いできた日本の歌い方が、いま、歌っている人たちの歌のなかに生きているということ、本人たちも気づかないままに伝統を受け継いているということ、これがとても大事なことだと思います。
永六輔『上を向いて歩こう 年をとると面白い』(さくら舎)より
なるほどあの歌い方は邦楽からきているのかと、環境の偉大さを知ったのだった。
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いい音がする文章 あなたの感性が爆発する書き方
高橋久美子
★発売1ヶ月で3刷出来★
「ありそうでなかったアプローチ」
「自分の音を鳴らしたいと思った」
の声、続々。
元「チャットモンチー」ドラマーの作家が教える
あなたの感性が爆発する書き方
「いい音がする文章は、あなたにしか書けない文章。AIには書けない、人間の証。」今井むつみ(認知心理学者・『言語の本質』著者)
あなたは、どんな音楽を聴いていますか。たとえば、好きな曲の、好きな歌詞。その歌詞が好きなのは、ほんとうに言葉だけの力でしょうか。
声、メロディ、ギター、ベース、ドラム、ピアノ、編曲、そういう「音の良さ」をまったく抜きにして、
歌詞だけが好きでしょうか。
あなたは、どんな文章が好きですか。その文章が好きなのは、ほんとうに内容や意味だけの力でしょうか。文体、リズム、語感、ビート、そういう「音としての言葉」の良さをまったく抜きにして、文章を好きになれるでしょうか。
この本では、これまでほとんど語られてこなかった、「文章の音楽的なところ」を扱います。
文豪やエッセイストや詩人の作品、ミュージシャンの歌詞、絵本、ルポルタージュ、方言の小説、たくさんの「いい音」を紹介しながら、新しい文章の魅力を明らかにします。
言葉は、音符です。文章は、音楽です。人の心に深く残り、何度も何度も読みたくなるような、そんな「いい文章」の正体は、「いい音がする文章」なのです。
読むことと、書くことが、
今よりもずっと楽しくなる本です。