「バンドマンのセカンドキャリアは地獄」は本当か? 実業家に華麗なる転身をはたした元V系バンド・ベーシストの奮闘
「バンドマンのセカンドキャリアは地獄」は本当か? 実業家に華麗なる転身をはたした元V系バンド・ベーシストの奮闘

かねて「セカンドキャリアは絶望的」とのイメージがあったバンドマンだが、令和の今、実際のところはどうなのか? ヴィジュアル系バンドν[NEU]のベーシストとして活躍し、解散後はエステティシャンとして活躍中のヒィロさんに話を聞いた。 

「付き合ってはいけない男」の「3B」 

著者のような昭和生まれ、平成育ちの女子からすると「付き合ってはいけない男」に「3B」というものがあった。それはバンドマン、バーテンダー、美容師だ。

いずれもかっこいいイメージを持たれやすいが、実際に付き合うと苦労も多く、不安の多い恋になりがちという理由からだ。

なかでもバンドマンは、バーテンダーや美容師に比べて「将来性が不安」「セカンドキャリアが絶望的」と敬遠される向きも。

ヴィジュアル系バンドν[NEU]のベーシストとして活躍し、32歳で美容家に転身、2016年プライベートエステサロンLily【リリィ】(のちに店名をDearLilyに変更)をオープンさせた異例の経歴をもつヒィロさんもこれを否定しない。

「バンドに限界を感じているのにやめた後が不安でやめられないとか、バンドはそこそこ売れていたのに解散したあとに周りの人たちが離れていくとか、年だけを重ねていって最終的にフリーター以外に選択肢がない…とか、たしかにひと昔前までのバンドマンにはそんなイメージがあったと思います」

だが、ここ最近はヒィロさん以外にも、セカンドキャリアで「意外と成功している元バンドマン」は少なくないという。

「かつての知名度を生かして飲食店を経営するとか、IT企業で成功したとか、大手芸能事務所で敏腕マネージャーになった、といった話も多く聞くようになってきました。バンドマン時代の経験や人脈に加え、個人で宣伝ができるSNSの普及も大きいと思います」

現在はエステティシャンとしての地位も確立し、販売しているエスティックコスメ DearLily【ディアリリィ】も好評だというが、最初から順風満帆だったワケではないという。

ヒィロさんがベーシストを務めるν[NEU]は2011年にメジャーデビュー。オリコン週間5位を記録したこともある人気バンドだったが、2014年12月末に渋谷公会堂でのラストワンマンライブをもって解散することになった。当然だが、バンドが解散した瞬間から無職になる。

「バンドの解散を伝えたときに両親や兄は悲しんでいたのですが、義理の姉が、『いくらバンドでメジャーにいっても一般社会ではその経歴は通用しないからね。何か資格でもないとキツイよ』ってド正論をかましてきたんです。あぁ確かにこのままいくと『俺、昔バンドで売れてたんだよ』って居酒屋とかで語る痛いオジサンになりかねないな、と危機感を覚えました(笑)」

当初、年が明けて1月はゆっくりする予定だったというが、1月上旬より働き始めた。

「五反田にある某芸能プロダクションで社員として就職しました。その傍ら、表情筋マッサージのセミナー講師になる講座を受けつつ、休みの日にセッションでライブなども出ていました」

芸能プロの仕事は土日休み、朝9時出社で帰宅は遅いと23時。正社員だったが、手取りはまさかの13万円だった。

「今思えば超ブラック企業でしたね(笑)。ただ僕はバンド時代の貯金が多少あったので、すぐには金銭的に困らなかったです。バンド時代は、お給料をもらった後はすぐにコンビニのATMに入れていました(笑)」

エステサロンをオープンも女性専用風俗と間違われて… 

その後は正社員として働きながらも、表情筋マッサージの資格を取り、キャリー1つで全国各地を飛び回り、美容のセミナー講師をしていたそうだ。

「お客さんはそこそこ入っていたのですが、所属していた協会の理事と意見が合わなくて喧嘩して辞めることになったんです。バンドでずっとリーダーだったからか、間違っていることに対して『それはおかしいです』とか『こうした方がお客さまのためですよ』とか生意気にも意見しちゃって。実際にセミナーのお客さんがいたので、余計に我慢できなくて」

この頃、ちょうど元バンドマンとしてではなく美容家として認知が上がってきたところだった。

「セミナーで来られた方に座学や実技を教えることは楽しかったので、今度は自分がお客さんを直接キレイする場所をつくろう!と思い、協会を辞めたその日にエステサロンを開くことを決めました」

そして、芸能プロの仕事を辞め、バンド時代の貯金を「エステ開業のために全部使った」という。

「仕事をやめて時間があったので、1年近くみっちりエステと経営のことを学校や講座に行って学びました」

そして今の店舗を見つけて、店員を雇わずにひとりでエステサロンをスタートさせたヒィロさん。そのバイタリティは相当のものだ。

「全然いい物件がなくて、正直みつかるまで時間がかかりました。

今の物件は元々エステ向きじゃなかったのですが、大家さんが僕の経歴を理解してくれたので『こういうエステサロンにしたいのでフルリフォームさせてください』と伝えたら『ヒィロ君ならいいよ』と了承してもらいました。店の改装費用にそれなりにお金がかかったので、ここで貯金はすっからかんになりました」

だが満を辞してオープンしたのに関わらず、“元V系バンドマンのエステ” は「怖い」「怪しい」と、予想よりもイマイチの客足で「女性専用風俗と間違われてしまうこともあった」そうだ。

「まるで“ネットでは人気なのに、ライブに人が全然入っていないバンド”のようで辛かったです(苦笑)。ただ、お客さんが来てもこなくても固定費はかかるので『1年以内に“予約が取れない店”にしよう!』と目標は立てていました」

エステサロン専用のSNSを作ったり、お客さまに口コミを書いてもらえるように毎回お願いして、週5~6日予約があれば朝から晩まで施術をした。

「とにかくお客さまに尽くそう!と。施術時間ギリギリまで、時間が過ぎても次の予約まで余裕があれば、満足いただけるまでやってました。朝から夜までは一般のお客さま、夜から夜中は友達のバンドマンを施術して、感想をSNSに書いてもらったり」

その努力の甲斐があって、DearLilyはOPEN半年で予約の取れない店になった。そして次の段階に移る。ヒィロさんは「予約の取れない店にしたあとに化粧品を作る、と決めていたんです」と話す。

「お店は予約の枠が決まっているから、これ以上は伸ばせない。だから、お店に来れる方はエステで、お店に来れない方々をキレイにするために化粧品を作ろう、と。化粧品メーカーとして会社も作りました。

エステサロンって全国に何千店もある。ぶっちゃけ国家資格じゃないから誰でもやろうと思えばできるんです。でも、予約の取れないエステサロンは簡単には出来ないし、そのエステサロンが作った化粧品には他にない価値がある、と思っています」

バンド時代に培った数字を読む力が活かされた 

バンド時代に培った「数字を見る力」をフルに使い、いつまでに何をどれだけどうするか、の目標を具体的に立てて行動に移した。「2年以内にメジャーデビューをする」という計画を立てて遂行したバンドマン時代の経験がセカンドキャリアで存分に活かされたのだ。

「正直、現役バンドマンの頃はファンの子たちがずっとついてくると思ってました(笑)。でも『一生ついていきます!』って子たちが、バンドが解散した直後から徐々に散っていくんです。転職してからもライブ活動をしていましたが、ライブをするたびに来てくれるファンの子の数が減っていく。焦りや不安がすごかったし『悔しい』って気持ちもあったけど、もともと裏切ったのは僕の方だし、やっぱり動いているものに価値があるんだと、あらためて思い知らされました」

そんなヒィロさん「僕は美容で成功しないと死んでしまうと思って生きてきたけど、美容も飽きたらやめます」と話す。

「今は美容が大好きだからやめる予定は全然ないですけど(笑)。でも、もしエステを辞めて他のことをやっても、必ず成功させます。それはやっぱりバンドでガムシャラに頑張って、自分なりに納得する結果を残せたことが自信につながっているからだと思う」

今後の展望を聞いてみると、「規模感を大きくしすぎないこと」なんだとか。

「実力以上に規模感が大きくなってしまったこともバンドが壊れてしまった原因の一つなので、自分の実力以上のことはやらない。

僕が責任をもってやれる範囲でやる。これもバンドの経験

があって学んだことです」

ν[NEU]のメンバーとは五年前に再会を果たし、美容業と並行して活動をおこない、2025年1月4日の渋谷公会堂でラストワンマンライブを行い、完全完結した。

ヒィロさんは「16歳からはじめたベーシスト人生の最後の一音を、自分の大好きなバンドの大切な楽曲で終えることが出来て良かった。その音を上書きをしたくないからもう二度とベースを弾くことはない」という。

「10年前のように渋谷公会堂をもう一度完売させたかったのですが、バンドで疲弊をしてメンバー同士の仲が悪くなってしまうのが怖くて、途中でスケジュールを増やすのを諦めました。でも、やれることは全てやりつくしました。ライブが終わって1ヶ月後に集まったときに『これで完売していたらν[NEU]は解散していなかっただろうし、もっと売れていたよね(笑)』と、メンバー同士で笑いあえたのが良かったです」

ヒィロさんは「もうバンドマン人生に悔いはない。」と一切の音楽活動を休止。今後はさらに「自分自身がワクワクすることを探して、行動していきたい」と意欲的だ。

「バンドでメジャーデビュー、美容家、実業家という部分だけ聞くと聞こえはいいですが、僕はもともと太っていていじめられていたり、引きこもりで不登校だったり、32歳で一度無職になったり…と幼いころから不安が常につきまとっていて、今でもずっと不安です。でも、こういう経験を発信することにより、自分の生き方が誰かの救いや力になれたならば、僕が生まれてきた意味があるのでは…と40代の今は考えています」

今後のヒィロさんの活躍に期待するばかりだ。

取材・文/吉沢さりぃ 撮影/村上庄吾 

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