
昨年デビュー45周年を迎えた竹内まりやは、1955年3月20日島根県の生まれだ。幼少期から音楽が好きな子どもだった彼女が「あまりの衝撃で…」と語る出来事とは、いったい何なのか。
弘田三枝子、坂本九がお気に入りだった小学生の竹内まりや
竹内まりやが衝撃を受けたのは、前触れもなく流れてきたテレビのCMだった。一緒にテレビを見ていた兄に「今のは何?」と尋ねると、「ビートルズ」と教えてくれたそうだ。
その時、竹内まりやは9歳。「あまりの衝撃で、ミコちゃんもパラキンもどこかに行ってしまった感じ」だったという。
その当時の少年少女たちの多くがそうだったように、お気に入りは欧米のポップスを日本語でカヴァーしていたミコちゃんこと弘田三枝子や、ダニー飯田とパラダイスキングのヴォーカリストだった坂本九だった。
映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(A HARD DAY'S NIGHT)』がロードショー公開されたのは、中高生の夏休みに合わせた1964年の夏から秋にかけてのこと。
東京が8月1日、地方では福岡が5日、京阪神地方が15日、名古屋と札幌が9月1日、仙台が11月で、それ以外では公開されていないようだ。
だから地方に住んでいた少年少女たちは、動くビートルズを見ることができなかった。
「東京に住んでいたら絶対あそこにいたのに…」
しかし、森永製菓の「ストロングチョコ」のCMに、映画の1シーンが使われて9月20日から流された。それを見た感度の鋭い少年少女たちが、少数ながらも衝撃を受けたのだった。
高橋幸宏は、「ジョージ・ハリスンがギターを持ってピョンピョンはねている姿に妙に興奮した」と語っていた。
杉真理も「女の子がギャーって泣き叫ぶシーンと演奏シーンが使われていて……それ観て『カッコイイ!』」と感じたという。
当時500円で4曲入りのコンパクト盤というレコードが出ていたのですが、お小遣いをつぎ込んで買い集めてた。ビートルズの情報がたくさん載る「ミュージック・ライフ」という雑誌も購読していました。
田舎だったので、東京なんかより1カ月遅れて届くんですよ。それを隅から隅まで読んで、いつか絶対イギリスに行ってやるんだと思ってましたね。
島根県出雲市の出雲大社の前にある老舗の旅館に生まれた竹内まりやは、音楽が大好きで、小学生になると家のステレオの前に座ってレコードを聴いていた。
ザ・ピーナッツにもはまり、小学校低学年の頃から一つ上の姉と一緒に「ふりむかなぁ~いでぇ~」とハモッていた。
1966年6月30日、ビートルズが来日公演を行なった日本武道館には1万人近くの若者が集まった。しかしまだ小学生だった竹内まりやは、涙をのむしかなかった。
「なぜ私は(コンサートがある)武道館に行けないの」って、家でさめざめと泣いたのを覚えています。コンサートの模様をテレビで見て、東京に住んでいたら絶対あそこにいたのにって。
ビートルズとの衝撃的な出会いから20年の月日が流れて、シンガー・ソングライターになった竹内まりやは、山下達郎との結婚によるブランクを経て、1984年のアルバム『ヴァラエティ』で、ビートルズへの気持ちを綴った『マージービートで唄わせて』を歌っている。
その当時の胸の高まりがビートルズの時代のサウンドで溢れてくる、ストレートなオマージュソングで、間奏のオルガン・ソロも竹内まりや自身の演奏だ。
ビートルズの衝撃は、竹内まりやにとって音楽における体験だけにとどまらなかった。英語を学ぼうとも思ったのも、海外に留学してみようと思ったのも、ビートルズとの出逢いから始まった。
衝撃を受けた音楽をどう自分のものにするのか、それはその人が持っている音楽の力なのかもしれない。
「最初で最後のデュエットになろうとは夢にも思わず…」
もう一つ、竹内の音楽の力を感じるエピソードを紹介しよう。
1967年にフランク・シナトラと娘のナンシー・シナトラが歌った『Something Stupid(恋のひとこと)』は、全米No. 1ヒットになったデュエットの定番ラブソングだ。
竹内まりやは大瀧詠一と一緒に、長年のお気に入りの曲として、この『恋のひとこと』を歌うことになった。
きっかけは山下達郎のラジオ番組『サンデー・ソングブック』(JFN系列)である。
竹内まりやはこの番組に、夏と年末の2回、“夫婦放談”にゲスト出演することが恒例だった。そこではカラオケ素材を使って、好きなオールディーズを歌うというコーナーが人気を呼んでいた。
余興にしておくのがもったいないようなそのコーナーは、やがて1960年代のポップ・スタンダードやカンツォーネ、ボサノヴァなど、竹内まりやにとってのルーツ・ミュージックを現代によみがえらせるカヴァー・アルバムになる。
昔からお気に入りだったフランク&ナンシー・シナトラ親子によるこのヒット曲をカバーするのなら、一緒に歌う相手は大瀧さんしかいない、と決めていました。最初で最後のデュエットになろうとは夢にも思わず、スタジオで2人並んで声を発した時の、あの嬉しさと感動は今でも忘れられません。
『恋のひとこと』が収録された竹内まりやのカヴァー・アルバムは、『Longtime Favorites(ロングタイム・フェイヴァリッツ)』として完成。そして2003年の秋に発売になり、アルバム・チャートで初登場1位を獲得した。
また、2013年に他界した大瀧詠一のオールタイム・ベストアルバム『Best Always』には、シングルを中心に35曲が収められているが、生前最後の公式レコーディングとなった『恋のひとこと』で幕を閉じている。
竹内まりやは、その『Best Always』のインナーに寄せた文章で、こんなふうに心境を述べていた。
いつか達郎と3人で「ナイアガラ・トライアングル3をやろう」という計画が叶えられなかったことを悔やんでいます。大瀧さんの残して下さった「ポップス魂」をしっかり継承し、彼に喜んでもらえるような音楽を作り続けることで恩に報いたいと思っています。
歌も、音楽も、そして人への思いも、こうして人から人を介して、後世へと引き継がれていくのである。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/『歌を贈ろう』(2024年8月28日発売、WANER MUSIC JAPAN)
参考・引用
(人生の贈りもの)「シンガー・ソングライター、竹内まりや:2 ビートルズに衝撃、英語に興味」朝日新聞2014年9月2日号より