
なぜ日本において学歴社会・学歴主義はなくならないのか。誰のために存在するのか。
『学歴社会は誰のため』より一部抜粋・再構成してお届けする。
「労働=企業」という企業中心社会
学歴論争とは一言で言うと、学歴の価値、意味付けを巡る論争です。価値や意味を見出す・見出さないの話について、ロジカルに精査しようとするならば、その価値や意味を決める(付与する)側の言い分を考える必要があるでしょう。
つまり、学歴は要るだの、要らないだの、やんや言われる様を前章で見てきたうえで、問うべきは次の2点なのです。
(1) 大学に行ったかどうかや、名門校に行ったかどうかの「意味付け」、すなわちは学歴の「評価」を直接的に行なってきたのはいったい誰か?
(2)誰が学歴に良し悪しという「価値」を植えつけたのか?
この2つの問いを考えるに際して、「労働=企業による雇用」ではない事例から考えてみるとスムーズです。どういうことでしょうか。
企業などに勤めに出るのではなく、特定の職能を活かして独立独歩で仕事をする姿を想像してみましょう。学歴はその人の将来のパフォーマンスを予見する材料になるでしょうか。たとえば、ある15歳の青年が「僕は寿司職人になりたいんだ」と意気込んだときを思い浮かべてみます。「それなら東大に行くんだぞ!」と叱咤激励する人は……いるか? という話です。
調理師免許を取り、魚をはじめさまざまな食材の知識をつけ、「修業」というかたちで実地で学んでいくことでしょう。
求められる技能が明確で、その職業に就く道筋も特定の技能の有無やレベルによって明らかなとき、学校から職業のトランジションにおいて、なにも「学歴」という情報をありがたがってかませる必要は必ずしもないのです。
しかし、別の15歳が「国内最大規模の商社で世界をまたにかけたビジネスをやりたい」と言ったらどうしましょうか。名門商社の総合職には大卒資格がいまのところは必須ですし、学歴のみならず学校歴としても、上位校とされるところでないと選抜を潜り抜けることは難しいかもしれません。
現にある就活情報サイトに、2023年度の三井物産の採用大学ランキングが掲載されていたので見てみます。おっと……。慶應義塾大学、早稲田大学、東京大学、京都大学、一橋大学……これなら「大学、それも『いい大学』に行くんだぞ!」とのアドバイスはなんら的外れではないことになります(良し悪しの話はまったくしていません)。
採用において─企業研究サイトの現状
要するに、企業で行なわれず、専門性や職務要件が明確な仕事─スポーツ選手や、いわゆる資格制度のあるような専門職─に就くための切符は何か? という選抜要件は、明確なのです。学閥という考えは一部にありますが、まずはその職業的専門性の試験をパスしていることなのです。
先の寿司職人や美容師の例のほかにも、たとえば理学療法士などを思い浮かべてもいいでしょう。「企業研究」サイトにあるような、学歴の話題はほぼないでしょう。学校ごとの国家試験の合格率ランキングなどの情報は出てはいるものの、それも就職先の病院を企業組織に準じるものとした場合、学閥の影響がありやなしやという程度の話です。
したがって、学歴という情報をありがたがるのは、企業への就職という前提があってのことなのです。しかも、企業のなかでも、現場社員というより人材の選抜や登用に携わる経営陣や人事にとってです。企業は業績を上げるために存在していますから、そこに参画することで利益をもたらし得る人材がほしいのはもっともとも言えます。
というわけでここからは、企業が学歴という情報をいかに扱ってきたか? について、人材フローに沿って見てみましょう。
企業に就職する際に、労働する前の教育の履歴を参照して、その人(の能力)を見立てようとすること。これが企業社会における労働の登竜門=就職プロセスの1つであることは周知の事実でしょう。ある最大手人気商社への就職を狙う人の多くが、次のような「企業研究」サイトの情報を事前にチェックするのはもはや常識とも言えます。
ちなみにこちらのサイトには、役員面接に備えて、役員の出身大学一覧もご親切についています。(「“三井物産の採用大学レポート”学歴フィルターとTOEIC点数を公開。採用をもらうための最低条件とは?」(大手の“学歴と年収”リサーチ、2022年11月21日))
加えて、この「学歴と年収の研究室─面接官のホンネ 大手の“学歴と年収”リサーチ」サイトは無償でオープンな情報提供ですが、こうしたサイトを運営する大手は、より情報商材化している場合もあります。
たとえば就活情報サービスなどを展開するワンキャリア社のサイトでは、会員登録しないと「〇〇社 採用実績徹底解剖」(「【140名の狭き門】三井物産の大学別採用実績を徹底解剖:三井物産編」(ONE CAREER))というシズル感のあるコンテンツを見ることができません。個人情報と引き換えに、やっと手に入れる「機密情報」なのです。
実績という「過去」の他人の情報を見たところで、「いまの」自分ができることは限られているわけですが、人気企業への就職が狭き門である(選抜的である)以上、その企業の選別傾向(評価軸)を知っておくことは、選んでもらわなきゃならない個人側にとって合理的な行動と言えましょう。
入社後の登用において
さて、仮に過酷な選抜をくぐり抜けられたとして、いざ入社してからのことも考えてみましょう。昇級・昇格などの評価・処遇の情報はより個人情報かつ企業の秘匿情報ですから、公の情報はないことを先に断ります。
よって、公開されている入社後の配置や昇級・昇格の状況から事態を推察してみたいのですが、これまた学歴が何ら無縁だとは……おそらくほとんどの人が思っていないのではないでしょうか。卑近な例で言えば、日本の上場企業の社長の出身大学ランキングなるものを見てみるなり、なるほどなという感じがしてきます。
いやらしい話ですが、「上場企業」という序列を取り払って日本の社長輩出大学ランキングとしてみると、学生数の多い日本大学がトップに躍り出て、東大・京大あたりがすっかりなりをひそめる旨も触れておきましょう。
要するに、学歴(学校歴を含む)情報の価値づけというのは、企業の採用や昇格などを含む人事にまつわる意思決定においてなされているということです。それも暗に。
ただし、繰り返しですが、学歴は、その職業遂行のための要素(スキル)が分解・特定されている場合には必ずしも、最重要情報かのごとく参照されない点は強調してもしすぎることはないポイントです。
したがって、学歴という個人の情報が無効化されない要因の1つには、大企業を射程とした、企業中心社会という前提が潜んでいる、という点をまずは指摘させてください。
ここからは、さらに企業中心社会において、なぜ学歴という個人情報を無効化しない慣習が続くのか? に踏み込みます。論を先取りすると、日本型雇用慣習が、職務を特定しない方向で学歴の意味づけを強化しているメカニズムをお話します。
文/勅使川原真衣 写真/shutterstock
『学歴社会は誰のため』(PHP研究所)
勅使川原真衣
長年の学歴論争に一石を投じる!
学歴不要論など侃侃諤諤の議論がなされるのに、なぜ学歴社会はなくならないのか。
背景にあるのは、「頑張れる人」を求める企業と、その要望に応えようとする学校の“共犯関係”だった⁉
人の「能力」を測ることに悩む人事担当者、学歴がすべてではないとわかっていてもつい学歴を気にしてしまうあなたへ。
教育社会学を修め、企業の論理も熟知する組織開発の専門家が、学歴社会の謎に迫る。
【本書の要点】
●学歴は努力の度合いを測るものとして機能してきた
●ひろゆき氏の学歴論は本質を捉えている⁉
●日本の学歴主義の背景にあるメンバーシップ型雇用
●仕事は個人の「能力」ではなくチームで回っている
●「シン・学歴社会」への第一歩は職務要件の明確化
【目次】
第1章:何のための学歴か?
第2章:「学歴あるある」の現在地
第3章:学歴論争の暗黙の前提
第4章:学歴論争の突破口
第5章:これからの「学歴論」──競争から共創へ