
3月31日より放送開始する春の連続テレビ小説『あんぱん』のモデルの一人であるやなせたかし。「アンパンマン」のイメージが強いやなせだが、それは彼が生み出した作品のひとつにしかすぎない。
天才に愛された天才・やなせたかし
「やなせさんの人生を見ていると、天才は天才を知る、ということがよく分かりますね」(柳瀬博一氏、以下同)
やなせはアンパンマンを描く前、すでにイラストレーターや舞台芸術の作成、ラジオ番組の台本作成や文章の執筆・編集など、ありとあらゆる仕事を行なっていた。今でいう「マルチクリエイター」だ。しかも一緒に仕事をしたのは、当代一流の文化人ばかり。
「やなせさんはライターとしても活動していたのですが、とあるインタビュー記事で『永六輔という人がおもしろい』と書いたところ、突然、永さんがやなせさんのところを訪れ、坂本九さんが歌う『見上げてごらん夜の星を』のミュージカル版の舞台美術を頼みました。しかも、やなせさんはそれまで舞台美術をやったことがなかったんです(笑)」
それ以外にも、手塚治虫や向田邦子、宮城まり子、羽仁進など、名だたる文化人から直接オファーをもらうことが多かったという。
「まだマルチタレントなんて言葉はなかったのですが、当時のクリエイターの多くはみんなマルチにいろいろなことをやっていました。永六輔さんがまさにその典型ですね。そういうことをおもしろがる人の目には、同じくマルチな才能を持った人が目に止まります。そこで多くの天才クリエイターがやなせさんに注目したのでしょう。
やなせさんを最初に評価したのは、新しい表現を模索する天才クリエイターたちだったんです」
「メルヘン」がつないだ人脈
やなせの才能は、詩の世界にまでおよんだ。実はやなせは生涯で何冊もの詩集を出版した詩人でもあった。
「その詩はメルヘンな色彩の強いものですが、当時の文芸界ではメルヘンは少し下に見られていました。しかしそんな中でもやなせさんの才能を高く評価したのが、谷川俊太郎さんで、やなせさんの詩集『てのひらを太陽に』で長文の解説を書くなどしました。
さらに、メルヘンで忘れてはいけないのが、ハローキティなどで知られる「サンリオ」との関わりだ。
「あまり知られていませんが、やなせさんはサンリオの設立当初から深く関わっていました。メルヘン好きであることを公言していたやなせさんのメルヘン願望を叶えてくれたのが、当時はまだ絹製品を販売する『山梨シルクセンター』という社名だった、後のサンリオの社長である辻信太朗さんです」
やなせの詩集や絵本はサンリオから出版されたが、もともとサンリオは出版社ではなく、書籍流通のノウハウはなかった。そこで、同社はゼロから出版の知識を学び、手売りでその詩集を売ったという。
その後、やなせはサンリオから刊行された『詩とメルヘン』という雑誌の編集長を務め、そこでアンパンマンにつながる作品を描いていく。
「サンリオ」と「アンパンマン」という、日本を代表する2つのIPは実は深いつながりがあったのだ。それも、やなせという「天才に愛された天才」がなせる業だったのだろうか。
やなせは、戦後日本メディアの生き証人だ
やなせが影響を与えたのは同世代の文化人だけではない。後進にも大きな影響を与えた。そんな一人が、コピーライターとして知られる糸井重里だ。
「糸井重里さんは、生前のやなせたかしさんとご自身の運営する『ほぼ日』で2013年に対談されています。
この対談の中で糸井さんは、やなせたかしさんが1950年代に書いた『まんが入門』という本を中学生時代に読んで、漫画家を志したことがある! と明かしているんですね。ちなみにやなせさんの処女作がこの本です。
ここから先は、僕の感想ですが、糸井重里さんとやなせたかしさんはすごく似ていらっしゃるところがあるなあ、と。どちらも世間一般の「正義」に対する懐疑心がある。
団塊世代の糸井さんご自身は学生時代に学生運動に参加していました。でも、学生運動の正義の一部を暴走して、テロまで起こしてしまった。それを見て自分たちが信じていた“正義”が揺らぐという体験をした方は少なくないはずです。
糸井さんは70年代から80年代にかけて、西武百貨店をはじめ、日本の広告を牽引する仕事を次々と行います。学生運動の視座からすると『商業主義』と揶揄されかねない側面もあったはずです。
でも、素敵な広告を見て、普通の人たちが買い物をしたり、日常生活を楽しめるようになる、ということこそが、普通の人たちにとっての“正義”じゃないか。これ、って、やなせさんがアンパンマンで描いた“正義”と通底するなあ、と。
戦時中に国から押し付けられた“絶対的な正義”は、戦争に負けたら、どこかへ行ってしまった。じゃあ、正義はないか。ある。
こうして見ていくと、戦争経験者としてやなせの活動は戦後のメディアやカルチャーとともにあり、その人生を見ていくだけで、戦後日本の姿までもが浮き彫りになってくるといっても過言ではない。
「『アンパンマンと日本人』では特に、やなせさんがこうした天才たちと戦後のメディアをゼロから作った、という話に力点を置いています。やなせさんは94歳まで生きましたが、戦後メディアができあがるプロセスの最後の生き証人だったと私は考えています」
マルチな才能がアンパンマンの人気を作った
興味深いのは、さまざまな文化人との交流や影響関係の中で磨かれたやなせのマルチタレントぶりが、後年のアンパンマンの人気を支えたことだ。
「アンパンマンは、アニメや映画などさまざまなメディアミックスがされていますが、そのなかでも作品が持っているコンセプトはブレることなく伝え続けられています。
実際、やなせさんはアニメや映画の制作についても、かなり細かく注文を出していたようです。ご自身でなんでもできるということもあり、その要求の水準も非常に高かったのでしょうね。
だからこそ、ここまで一貫したメディア展開ができている。いわば、やなせさんのマルチタレント性が今のアンパンマンの長寿ぶりを担保しているように思います」
連続テレビ小説『あんぱん』の放送は3月31日から。アンパンマンが生まれる過程だけでなく、やなせの文化人との交流や多才ぶりにも注目すると、よりドラマをおもしろく見ることができるのではないだろうか。
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取材・文/谷頭和希
アンパンマンと日本人 (新潮新書 1080)
柳瀬 博一