
勉強もスポーツもよくできた40代男性は高校3年生の秋に突然、家から出られなくなってしまった。精神科クリニックに通院を始めたが、そこもすぐ行けなくなってしまう。
〈後編〉
ある日突然、家から出られなくなる
ひきこもり向けイベントで会った高田努さん(40代=仮名)。自己紹介を聞いて、あまりのふり幅の大きさに驚いてしまった。
「僕は高3から4年間ひきこもっていました。社会復帰するのにさらに2年かかりましたが、消防官になり、今は救急隊として働いています」
キリっとした精悍な顔立ちの高田さんは話し方もキビキビとしている。ひきこもりの当事者も支援者も、どちらかというと繊細でやさしいイメージの人が多いので、かなり異質な感じがする。
そもそも救急隊員になるような人が、どうしてひきこもってしまったのか。不思議に思って、詳しく話を聞かせてもらうと、本人にも不可解な始まり方だったという。
高田さんがひきこもったのは高3の秋だ。当時通っていた高校は、進学校だが3年生になっても学校行事に取り組む文武両道校。すべてのイベントが終わりセンター試験に向けて勉強に本腰を入れ始めたある日のこと。
「いつも通り学校に行こうとして、朝ご飯を食べて、顔を洗って、制服に着替えて、カバン背負って、で、玄関を出るところでまったく動けなくなって。めちゃくちゃ気持ち悪くなって、そこでもう、大量嘔吐。
そこからまったく外に出られなくなりました。ある日、突然だったので、自分でもちょっとわけがわからない感じでした」
高田さんの記憶にあるのは吐いたことだけだが、後から母親の久美子さん(仮名)に聞くと、少し状況が違っている。
高田さんは最寄りの駅まで自転車で通っていた。その日、息子を送り出した後、久美子さんが大きな音に驚いて玄関に行くと、信じられない光景が広がっていたという。
「今もありありと目に浮かびますが、自転車のブレーキをかけずにそのまま玄関の戸に飛びこんきたようで、ガラス戸が割れていました。言葉にならない『ウォー』という大きくて苦しそうな声を発していて、『どうしたの? 何があったの?』と聞いても本人からの返答は一切ありませんでした。
その状態が理解できず、私もパニック状態でオロオロするだけだったように思います。ただ、熱や吐き気があったので、とにかく横にならせることで頭がいっぱいでした」
高田さんの記憶から、自転車で突っ込んだという事実がすっぽり抜け落ちてしまったのは、本人にとってはそれほど衝撃だったということだろうか。
生きても死んでもいない仮死状態
それまで学校を休んだことがなく、皆勤賞も狙えるほどだったという高田さん。その日を境に、ほとんどの時間を布団の上で寝て過ごすことになる。発熱や吐き気といった身体的症状が治まっても起き上がることができず、何もできなくなってしまった。
「もうホント、ただ呼吸して、心臓動いて、たまにご飯食べたり、トイレ行ったり、お風呂もたまに入ったりするけど、学校は行けない。外にも出られない。
もう頭も全然働いていなかったような気がします。ずっと横になって、生きているとも言えないし、死んでいるとも言えない、仮死状態みたいな感じでしたね」
当時、父親は単身赴任中。担任教師が2回訪ねて来て母親と話したが、いじめなどがあったわけではなく原因はわからない。同じ部活に所属していた親友も心配して来てくれたが、高田さんは彼の顔を見ることが精一杯だったという。
不登校の子どもにも対応している精神科クリニックがあると聞いて、久美子さんは「病院に行こう」と何度も誘ったが、最初のうちは返答もしてくれなかったそうだ。ひきこもって半年が過ぎたころ、やっと車に乗せて連れて行くことができたという。
高田さんは、診察室に入ると年配の男性医師に向かい、心のうちをすべて吐き出した。
「何でこうなったのかわからないし、何にも力がわかないし、これからどうしていいかわからないし、みたいにモヤモヤを全部言ったんですよ。すごく泣いたような記憶もあります。先生はただ聞いてくれて、もしかしたら、この人だったら、わかってくれるかもっていう気がしたんです」
診察後、久美子さんだけが呼ばれて医師からこう言われた。
「今は真っ暗な、とてつもなく深い穴の底に力尽きてうずくまっている状況にあり、いつの日かその暗闇の中で、周りを見ることができるようになり、はるか上方を見上げると小さな隙間が見えて、そこからかすかな光が差し込んでいる。その光が親そのものです。
回復にどれほどの時間がかかろうとも、常に光になって本人を見守っていてほしい。家族も辛い思いをしているでしょうが、本人が一番辛く、どれほど苦しい思いをしているかを常に忘れないでいてほしい」
久美子さんは医師の説明を聞いて、「本人を見守りながら、親としてともに歩む覚悟が定まりました」と振り返る。
ところが、わずかな「光」が見えたと思ったのも束の間。通院を始めてわずか数回で、突然、高田さんは「もう行きたくない」と母親に告げる。理由は意外なことだった。
「受付にいたスタッフが中学の同級生で。相手はそれまでの私しか知らないじゃないですか。進学校に行ったのに、こういう病院に来てるなんて……。俺的には、それで行けなくなっちゃったんです」
通院もできなくなり、再び、高田さんは部屋にひきこもってしまった。
怒りを溜め込みひきこもった⁉
幼いころから高田さんは口数が少なく、自分の気持ちを話さない子どもだった。
「兄貴は学校でこういうことがあったとか、親によく話してたようなんですが、俺は全然話さなかったらしいです。寡黙だし、よくも悪くも自立心があった。
中学から運動部に所属。勉強も頑張り、高校は地区で一番の進学校に進んだ。高2のときには初めての彼女もできた。
「数か月で終わっちゃいましたけど(笑)。彼女は帰国子女で外国人の元カレと比較されて傷つきましたね。勉強も上には上がいるんだなと思ったし。でも、ひきこもった原因は、勉強とか恋愛じゃない気がしています。今でも原因ははっきりとはわかりませんが、大人への不信感や人間不信もあったんだと思いますね」
高田さんの所属する運動部は強豪だった。だが、顧問によるレギュラークラスの選手と、それ以外の部員の扱いが、天と地ほど違ったのだという。
「自分たちの学年は強くなかったんですよ。一生懸命やっているのに、試合に出られない選手はゴミ扱いというか、邪魔だから早く辞めろみたいな態度をされて。
反骨心で最後まで部活をやり切りましたけど、間違ったことに対する怒りっていうか、屈服させられる屈辱感みたいなものは強かったかもしれないですね」
やり場のない怒りを発散することもできず、1人で抱え込んだままひきこもることしかできなかったのだろうか。ずっと深い穴の底にいた高田さんは数年後、上方にかすかな「光」を見る――。
〈後編へつづく『救急隊員になった元ひきこもり男性の4年間…「黒歴史じゃなくて、むしろ誇りに思っている」と断言できるワケ』〉
取材・文/萩原絹代 サムネイル/PhotoACより