
20年前に地元・愛知で開催された「愛・地球博」に魅了され、会期中の185日間毎日通ったことなどから「万博おばあちゃん」として名を馳せた山田外美代さん(76)。その後も世界各国の万博を訪れた山田さんは、4月13日に開幕した大阪・関西万博の会場にも姿を現した。
会場近くの大阪市にお引越し
大阪・関西万博が開幕した4月13日早朝、すでに会場内には「万博おばあちゃん」の姿があった。
「やっとこの日が来たかと、感無量です。開幕の日が待ち遠しくて、夢洲が更地だったころから何度も足を運んで見守ってきました。今回も185日間毎日通います!」
そう豪語するのは、「万博おばあちゃん」の愛称で親しまれる愛知県瀬戸市の山田外美代さん。20年前に地元で開催された愛・地球博に毎日通ったことをきっかけに、当時「万博お母さん」「万博おばさん」などの愛称で親しまれた。その後も万博愛は冷めることなく、韓国や中国、ドバイなど世界各国の万博に足を運んだ。
今回の大阪・関西万博も“皆勤”を狙うべく、昨年12月に会場近くの大阪市住之江区に部屋を借り、夫と息子を引き連れて引っ越すほどの力の入れよう。会期中のチケット代や引っ越し代、交通費代など万博に毎日通うためにかかった費用は計300万円ほどだ。
開幕前の昨年9月には転倒により全治2カ月以上の大けがを負った山田さんだが、奇跡の回復力をみせ、会場では木のリングに登ったり、パビリオンを見て回るなど元気いっぱいの様子。さらに今回は自作の「万博おばあちゃんバッチ」も作成し、来場者やスタッフに配りながら交流を深めていた。
愛・地球博から20年の時を超え、「万博おばさん」から「万博おばあちゃん」として参戦する今回の万博への意気込みを聞いた。
「『パビリオンは国の分身・分体である』ことを2005年の愛知万博で教わりました。
愛知につづき、中国・韓国の万博も皆勤の偉業
2005年に地元・愛知で開催された「愛・地球博」との出会いが、これまでの山田さんの人生を大きく変えた。
「私はずっと目も悪くて病気がちで5度も手術をしたんです。だから、そのころ毎日通うのは万博ではなく病院でした。地元で万博が開幕することを機に、かかりつけの医師から『散歩がてらに毎日行ってみたら』と勧められたことがきっかけだったんです」
愛・地球博を「万博学校」と見立て、当初はリハビリ目的で通うことにした山田さん。しかし、日々進化していく会場内の様子に圧倒され、環境を見直すことの大切さを学んだり、異国のスタッフとの交流を深めるなかで、次第に前向きな生活を取り戻していったという。
「継続のコツは『必ず続けることの要素を作ること』だと息子に言われ、会場に行った際には必ず写真を撮り、それをノートに記録しています」と万博ノートも見せてくれた。
愛知万博を皆勤したことで、当時の小泉純一郎首相からお礼状をもらった山田さん。以降も万博愛は一層深まり、2010年の中国・上海万博では自費で上海市にマンションを1年間借り、再び皆勤を遂げ、中国メディアにも取り上げられるなど一躍時の人に。2012年の韓国・麗水万博でも同じく自費でマンションを借り、これまた皆勤を果たしたのだった。
「『物好き』とか『毎日行ったってパビリオンの中身や会場が変わるわけない』とこれまで散々批判もされてきましたが、それは違うと思っています。入場の気分の高まりはもちろん、日常では見られないパビリオン内の様子や、参加国のナショナルデーのイベントもあり、そこで各国の香りや踊りや国民性に直で接することができる。日々変わっていく国の表情を感じられるのは毎日来た人の特権だと思います」
毎日通う上での心がけ
愛知・上海・麗水につづき、4度目の皆勤を狙う大阪・関西万博。76歳の後期高齢者でもある「万博おばあちゃん」だが、毎日通う上で心がけていることを聞いてみた。
「体力を減少させないため、会場近くに部屋をおさえたほか、いつも同じリズムで生活することを心がけています。朝5時に起きてご飯を6時に食べて駅に7時半ごろについて、会場に午前9時に入場し、午後3時ごろに退場する。並ぶ時間も日々同じ程度にするようにしています」
誘致が決まったときは「息子の合格発表の10倍うれしかった」と語る大阪・関西万博は、愛知万博と異なり、完全事前予約制が採用されているが、それが山田さんにとってはプレッシャーとしてのしかかっている。
「愛知は予約もあって、並んでいいゲートも設けられていたので、並べば必ず入れるという安心感がありましたが、今回は予約制なので自力で行けない可能性があるのは、すごくプレッシャーです」
と語る。実際に万博会場を巡ってみた感想を聞いてみると、
「すでに頭の中に万博会場の地図がインプットされていますが、敷地が広くて回るのは愛知万博のときよりも大変ですね。ただゴミの島だった夢洲が、現在は環境を考える国際博に生まれ変わったことにとても感動しています。閉幕後もこの土地を見るたび、大阪・関西万博を思い出すような、話題性にあふれた理念の継承の地になってほしい」
と、愛知から足しげく通い2000日前から工程を見守ってきた夢洲会場にも思いを馳せる。「此花区 万博広報大使」にも任命された山田さんだが、すでに多少の関西弁を使いこなし、会場内外で万博の魅力を広める活動をしているという。
「大阪に引っ越してきてから、地域の人とコミュニケーションを取るために夜は銭湯に通っています。なるべく関西弁で『今日な、万博行ってきたんよ!楽しそうやったで!』と言って銭湯も主戦場に万博のPRをしてます(笑)
一度会場近くの地元の人と話した際、『万博が大好きで毎日行くために大阪に引っ越して入場券も毎日買ったんです』って話をしたら、『あんたアホやな。万博やってるけど、誰も行こうって言わへんよ』と言われて大変ショックを受けました。そういう方々にも万博の魅力を熱心に伝えていきたいと思います」
会期中185日間の皆勤を目指す「万博おばあちゃん」。
取材・文・撮影/木下未希