
約束の日、ふたりは「◯◯くんのパパ」「◯◯ちゃんのママ」であることを忘れ、見知らぬ街で互いの名を呼びあい、1日限りの夫婦となる──外山文治監督の短編映画『名前、呼んでほしい』で主演を務めた田中麗奈。
演じた役「沙穂」には夫と子どもがいるが、遠藤雄弥演じる「涼太」と逢瀬を重ねる日々。
44歳で感じる「言葉にはしない」大人同士の交流
──短編映画『名前、呼んでほしい』の撮影に際して、外山文治監督とは事前にどんな話をしましたか。
田中麗奈(以下同) 外山監督は、まだ映画監督という仕事を始められる前に観た『東京マリーゴールド』(2001年/主演:田中麗奈/監督:市川準)がすごく好きだということで、お会いしたときに「いつかお仕事をご一緒したいと思っていました」とおっしゃってくださいました。
それで今回の『名前、呼んでほしい』の脚本を書いている段階で、私が演じるイメージが浮かんできたらしく、オファーをしてくれたそうで。だいぶ前の作品のことを好きだと言っていただき、それが今の仕事につながったことがうれしかったですね。
──田中さんが演じられた「沙穂」という役については?
香港を舞台にしたウォン・カーウァイ監督の『花様年華』という作品を例に出されて、外山監督は「あの映画で描かれているような大人の恋愛を描きたい」と。それから私も『花様年華』を観たのですが、なんと言いますか……言葉にはしない、大人同士の交流は素敵だなと思いました。
──『花様年華』も不倫関係にある男女を描いた作品でしたね。
結婚している同士で出会ってしまったことがすべての始まりで、ある意味お互いに自分をしっかり持っているからこそ、言葉にはしないコミュニケーションで通じることがあり、そこが色っぽさにもなる。『名前、呼んでほしい』も、多くの言葉を交わす映画ではないですからね。
──しかも『名前、呼んでほしい』は26分の短編映画なので、そこに至るまでの背景や登場人物のキャラクターも観客は知らずにいる。
最初からクライマックスのような空気感がありますよね。
──田中さんご自身は「沙穂」を演じるにあたって、どのように物語を解釈しましたか。
「沙穂」にも娘がいますが、私にも娘がいます。それだけに、とても身近な話だと感じました。だからこそ、物語のメインである、遠藤雄弥さんが演じた「涼太」との関係よりも、むしろ「沙穂」という一人の女性がふだんどんな生活をしているのか、そちらのほうに思いをはせました。
キャラクターというより、彼女の置かれている状況だったり、日々感じているだろう気持ちだったり、そういったことがひとつひとつのセリフに反映されていると思ったので、自分なりの想像も入れながら演じました。
──子どもを通じた出会いの場だと、どうしても「○○ちゃんのママ」「○○くんのパパ」といった呼ばれ方になることが、本作のタイトルにもつながっています。
私自身は自分の名前でこういった仕事をしているので、そこに関しては「沙穂」の状況とは違うところもあるのですが、現実には、子どもが間に入らない、個人としての出会いや付き合いが減っていくことは多いんだろうなと思います。タイトルの『名前、呼んでほしい』というのは、そういった切実さを捉えていますよね。
時代ごとに女性たちがどう生きてきたのか知りたい
──本作や『花様年華』に限らず、不倫関係を描く物語が作り手を、あるいは観客を惹きつけるのは、なぜだと思いますか。
やっぱり誰しも、多かれ少なかれ、その願望を抱いているのではないでしょうか。実際にそういった関係性になるかは別として、感情移入する人が多いのだと思います。自分の現実と違うからこそ、映画やドラマといったフィクションで観たい。
作品を観て、もし自分だったら……と妄想することも映画やドラマの楽しさですから。ただ、外山監督としては、この作品はいわゆる不倫ものとは違う世界観、あくまで大人同士の交流を描く映画にしたいとおっしゃっていて、そこには私も共感しましたし、演じるうえでも、そう見えるように心がけました。
──作中の登場人物たちが、母親あるいは父親として昼間の公園にいるときと、男女の関係で密室に二人きりでいるときと、まるで雰囲気が違いました。
役割から解放される瞬間が映し出されるようなシーンがありましたよね。でもそれが普通なんだと思います。同じ一人の人間でも、その日の体調や気分によっても違うキャラクターになりますし、一緒にいる相手との関係性や、状況や場所によってまったく違う個性が発揮されることは、ごく当たり前のことで。
人には多面性があるということが、今はだいぶ理解されるようになってきましたが、少し前までは「あの人は明るい性格」とか「控えめでおとなしい人」とか、一面的に語られることも多かった気がします。本当はそんな一面だけじゃなかったとしても。
──演じる役が自分と近い価値観を持つ人物なのか、反対に、まったく理解できない考え方を持っている人物なのか、その違いは演技に影響しますか。
それは大きいと思います。今回の作品は、身近でも起こりうる出来事を描いていたので、ふだんの自分が生活している中で聞いたり感じたりしたことがそのまま役にも反映されましたけど、役があまりにも自分とかけ離れている場合は、事前の準備が必要ですね。
その最もわかりやすい例が、自分が生きていない時代の話。私が生まれるよりずっと前の時代を生きていた女性を演じるには、今の価値観で考えるだけでは理解できないので、その時代にはどんな考え方があって、日々どんなふうに生活していたのか、まずそこを勉強しないといけませんよね。
個人的にも、時代ごとに女性たちがどんなふうに生きてきたのか、知りたいという欲求があるんです。今では当たり前になっている、たとえば女性が社会に出て働くことが、決して当たり前ではなかった時代があったとか。
キャリアを重ねた年長者だからできること
──時代による変化でいうと、映像業界でも、ここ数年でたくさんの変化があったと思います。
ありましたね。今回の作品は、外山監督が脚本と監督だけではなく、個人で製作までやっていらっしゃるんです。宣伝ポスターやスケジュールの確認も、外山監督からメールがくるんですよ。あと、その前に出演した『福田村事件』(2023年/主演:井浦新・田中麗奈/監督:森達也)は、クラウドファンディングで製作費を集めた作品でした。
製作に関することだけでも、いろんなやり方が試されていますよね。自分たちでお金も集めて、自主制作で映画を作り上げるって、スタッフのみなさんはとっても誇らしいと思います。現場の話でいうと、今のテレビドラマの現場では、スタッフさんのお子さんも預けられるシッターさんがいる話を聞きましたし、こうしたいい変化はどんどん起きてほしいです。
──田中さんは10代の頃から仕事をはじめて、これまでのキャリアの中では、それこそ自主制作とは真逆のような、多くの予算と大人たちが動く現場や作品もたくさん経験されています。
俳優部の中では年長者になることも多くなりましたし、監督やプロデューサーといった責任のある役割のスタッフさんたちが自分と同世代のことが増えてきて、それはびっくりしますね。これまでそういった方々は、自分よりもずっと年上という時間が長かったので、まだその感覚が残っているのかもしれません。
でも、自分と同じ40代の方々が、日本だけではなく、世界でも評価されるような作品をつくっている姿を見ると、応援する気持ちも強くなりますし、私も頑張ろうって勝手に励まされたりもしています。
──キャリアを重ねたことによる、ご自身の中での変化はありますか。
自分が頑張ることは当然として、俳優部という全体をサポートする意識は強くなりました。これまで自分が先輩方に助けてもらってきたぶん、今度は自分が助ける側にまわらなきゃ、ということは考えますね。
最近読んだお気に入りの本は?
──映画でもテレビドラマでも、今はSNSやネットで簡単に大勢の人の感想に触れることができますが、そういうのは見たりされますか。
チェックしますよ。自分が観客として映画を観たいときにはレビューサイトを参考にしますし、SNSでの評判を見て映画館に行くこともありますし。とにかく情報量が多いですからね。
なるべくネガティブな接し方をしないように、いいところを活用して、うまく付き合っていきたいなと思っています。私自身、表に出る活動をセーブしていた時期でも、SNSがあったことで、近況を報告したり、趣味のことを知ってもらえたりしたので。
──では最後に。雑誌でたびたび本を紹介していたり、先日はインスタグラムで『C線上のアリア』(湊かなえ)を読んでいると投稿されていましたが、本好きとして、最近お気に入りの本を教えてください。
えー、そんなこと聞いてくれるんですか。ちょっと待ってください、ケータイ持ってきます! (楽屋から戻ってきて)お待たせしました。私にしては珍しく、漫画です。大白小蟹さんの『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』という短編集です。これはすっごくおもしろかった!
ファンタジーなんですけど、日常や生活に溶け込んでいるファンタジーという感じで、急に大きな展開があるとかでもなく、淡々としながら視点や角度がちょっと変わるような、そのバランスがちょうどいいんです!
素晴らしい本なので、ぜひ読んでほしい。それで、あの、せっかくおすすめを聞いてもらえたので、もしよろしければ、逆におすすめ教えていただいてもいいですか……?
取材・文/おぐらりゅうじ 撮影/井上たろう
ヘアメイク/八鍬麻紀 スタイリスト/岩田麻希