「勝者と敗者、超富裕層と貧困層、善と悪、領主と農奴」世界を二分化するテック・ジャイアントたちの思惑 「テクノ封建制」がもたらす近代社会の破滅
「勝者と敗者、超富裕層と貧困層、善と悪、領主と農奴」世界を二分化するテック・ジャイアントたちの思惑 「テクノ封建制」がもたらす近代社会の破滅

GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)などの巨大テック企業がサービス料や手数料などをピンハネすることで富を集積し、強力な存在として君臨するようになった経済システム、「テクノ封建制」。ギリシャの経済学者であるヤニス・バルファキス氏が提唱しているものだ。

思想家・内田樹氏によると、巨大テック企業の人たちが好んで使うメタファーが「青いピルを飲めば幻想の中で眠り続けられるが、赤いピルを飲めば痛ましい現実に目覚める」というものだという。彼らが世界をどのように捉えているかを解説してもらった。

テクノ封建制の背景にあるゼロ・イチ思考の危うさ

――いまの世界は「テクノ封建制」に突入している、というバルファキスの現状分析をどのように受け止めていますか?

内田 本当に現実味を帯びてきていると思います。人々が「利潤」を求めて経済活動をするのではなく、「レント(地代・使用料)」を得ようとする。一度農奴身分に落ちた人間には、そこから上に這い上がる回路がほとんどないという社会構造になる。

そうなると、社会的流動性は失われる。中世がそうだったように、長期にわたる停滞期に突入すると思います。

ホイジンガの『中世の秋』やカントロヴィッチの『王の二つの身体』が活写したような、社会そのものは停滞しているのだけれども、人間の生活は過激で、貧困も病気も狂信も飢えや寒さも今では想像できないほど非人間的で、痛みや刑罰や屈辱も、どれも受忍限度を超えるほどすさまじいものだった。たぶん、そういう時代にアメリカはあえて向かっているのだと思います。

そういう意味では「前近代への退行」「中世化」というふうに現在の資本主義社会を形容することは間違っていないと思います。

このまま事態が進行すれば、遠からず一部の富裕層が人類の富のほとんどを独占し、圧倒的多数のクラウド農奴たちがその下で希望なく暮らすという中世的な「静止社会」が生まれることになる。でも、人間って、本来そういう状態には耐えられない生き物であるはずなんです。

人間の本性には「変化を求める欲望」や「自由を求める欲望」が標準装備されている。

だから、テクノ封建制は資本主義そのものの形態変化の必然性がもたらすものではありますけれども、別に人間の本性的な欲求に応じて出現したものではない。なので、いずれ経済システムと人間の本性の間にはげしいフリクション(摩擦)が起きることは避けられない。

人間って自由を求める生き物なんですよ。もっと自由に動けるようになりたい、可能性を追求したい、連続的に自己刷新を遂げたいとと思っている。それが生物としての人間の本質なんです。停滞に耐えられない。

だからこそ、いま進行しつつある「テクノ封建制」に向かう流れに対しては、はっきりと「それは嫌だ」と言わなければならない。「そういう社会は、人間にとって不幸な社会なんだ」ということを、はっきり指摘する必要がある。

でも困ったことに、この仕組みに向かって突き進んでいるテック・ジャイアントの人たちというのは、二極化が大好きなんですよね。勝者と敗者、超富裕層と貧困層、善と悪、領主と農奴……。とにかく、世界をきれいに二分割してしまいたい人たちなんです。

本来、人間社会にはもっとグラデーションがある。

曖昧さや中間領域があって初めて人間社会は成立している。でも、彼らはそういうアナログな連続体としての社会が嫌いなんです。アナログ的な多様性や曖昧さに対して、本能的な嫌悪感を持っているように見えます。

テック・ジャイアントの思考って、徹底的にデジタルなんです。だから、彼らが一番嫌うのが「程度の差」という概念なんですよ。「これはこっちにちょっと近いけど、あっちにも少し含まれている」とか、「白黒はっきりしないグレーな存在」とか、そういうのがもう我慢ならない。

加速主義者たちが好んで使う比喩にもこのことがよく表れています。それは映画『マトリックス』で、モーフィアスが主人公のネオに差し出す、赤いピルと青いピル(レッドピル/ブルーピル)の喩えです。「青いピルを飲めば幻想の中で眠り続けられるが、赤いピルを飲めば痛ましい現実に目覚める」というあれです。

加速主義者たちはこのメタファーが大好きなんですよね。「あなたはレッドピルかブルーピルか、どちらを選ぶのか?」と読者に迫って来る。「目覚めるか、眠り続けるか、二者択一だ」と。

そんなわけないじゃないですか。薬一粒飲んだら真実が眼前に展開するなんておいしい話、あるわけないでしょう。

世界がどういう成り立ちであるのか知るためには、長い時間かけて、身銭を切って学習する以外に手立てはないんです。「この薬一粒飲めば世界の真実がわかる」という言い方をするのは「教祖」と「詐欺師」だけです。

いま必要なのは「知性と近代の奪還」

――まさにゼロ・イチ思考ですね。

内田 そうなんです。でも、これは本当に人間の知性に対する冒涜だと思います。現実を理解するのって、こつこつと汗をかいて、自分の身体を使ってやるしかないことなんです。段階的で、漸進的なものなんですよ。

だから、「レッドピルを一粒飲んだら、世界の真実がすべてわかった」なんていうのは単なるイデオロギーなんです。人間の成熟というものを全否定する思想です。人間が変化し成長するということそのものをまったく信じていない思想ですね。それが僕にはとても危うく見える。

「私の言うことを信じれば、世界の真理が開示される」というのは宗教なんです。知性の働きではなく、うるわしい信仰です。いまテクノ封建制を主導しているイーロン・マスクとかピーター・ティールのような人たちは新興宗教の教祖だと僕は思いますね。

彼らの世界観ってとても単純なんです。一方にはすべての善があり、一方にはすべての悪がある。世界は単純に二極化されている。そして、人々に「お前もこの『善の側』に来い」と誘いかける。

でもね、そういうタイプの稚拙な世界理解って、これまでも何度も何度も現れては消えてきたものなんです。泡のように出てきては消え、また出てくる。そういう泡沫のような思想の盛衰を僕たちはもう何度も見てきたはずなんですけれどね。

テクノ封建制を支えている、あるいはそれを加速させているイデオロギーは――バルファキス自身はそこまで明確には書いていないんですが――「反知性・反成熟」のイデオロギーだと僕は思います。「反近代」と言ってもいい。



それに対してバルファキスは、はっきりと「ノー」を突きつけ、知性と良識の奪還を目指している。それは「近代の奪還」、つまり適切な社会契約に基づいた近代市民社会をもう一度取り戻すということです。その愚直な姿勢に僕は共感しました。

一神教的な世界観から抜け出せない人たち

――封建制という言葉からは、中世ヨーロッパのキリスト教的な世界が想起されます。そう考えると、テクノ封建制に対応するような宗教性やイデオロギーが力を持ちつつあると見てよいのでしょうか。

内田 そうだと思います。一神教的な世界観ですよね。欧米の人たちはどうやっても一神教的な思考の枠組みから抜け出せないとつくづく思います。本人たちは自分は無神論だ、信仰や宗教性なんて持っていないと言うかもしれないけれど、やはり彼らの世界観は骨の髄まで一神教的なものだと思います。

一神教というのは頂点に神を置いたピラミッド型のような構造で世界を捉えるんです。フランス語では「ordre(オルドル)」と言います。英語の「order(オーダー)」と同じ語源で、「秩序」と「階層」と「同業者集団」という意味を持っています。

つまり、世界は三角形の階層構造になっていて、頂点には創造主がいて、その下に天使がいて、その下に人間がいて、動物がいて、植物がいて、鉱物があって……という序列で万象が配列されている。



問題は、この序列の適切性ではなくて、むしろ「誰がそれを見ているのか」ということなんですよ。人間はこの序列の中に「不完全な生き物」として位置付けられているわけですから、人間がこうした全体構造を一望的に俯瞰し、把握できるはずがない。

でも一神教的世界観は、その俯瞰図が「見える」ことを前提にしている。「神の視線」に立って世界を一望して、その上で「自分はこのへんにいるから、こうやって上を目指せばいい」というようなアイデンティティーの定位を行う。これはやはり論理的に不当だと思うんです。

自分自身を「マップ」の中に位置づけるというのは、ものすごく手間のかかることなんです。それができたら一人前。半人前の人間にはそれができない。神の視点に立って、自分の階層内的ポジションを定位するというのは、神の視点を先取りしているということで、ほんとうに信仰がある人間にはできるはずのないことなんです。

ふつうの人間は自分がどこにいるのか、自分が何者であるのか、よくわからないというところから出発する。そこから手探りで、手づくりで、自分なりの不完全なマップをつくってゆく。

――必死にもがくプロセスのなかで、少しずつ世界に対する理解を深めていくんですね。

内田 これは、どちらかというと東洋的な世界観です。僕はこれを「修行」的な世界観と呼んでいます。目の前の道があり、それがどこへ続くものかはわからないけれど、とりあえず師匠の背中を見ながら歩く。

歩き始めた時点では自分がどこに向かっているのか言葉にすることができないのだけれど、一歩進むごとに自分が「どこ」に向かっており、昨日の自分と今日の自分の間にどんな変化が生じたのかが、言葉にできるようになる。人間の成熟って、そういう「わからなさ」を抱えたまま進んでいくものだと思うんですよ。

それに比べて、一神教的な発想では「世界の構造はすでに見えている」「自分はどこにいるのかもマッピング済みだ」「あとはスコア(点数)を上げるだけ」ということになる。

テクノ封建制を推し進めている人たちは、自分たちは世界の全貌を見渡しているという「神の視点」に立っている。でも、実際にはそんなものは存在しない。ただの傲慢きわまりない幻想です。

知性というのは、グラデーションや程度の差を精密に測ることのできる計量的な能力なんです。0.1と0.2の間の程度の差をきちんと見分けることができるというのが本来の知性の働きじゃないでしょうか。

テック・ジャイアントたちの思想的リーダーであるピーター・ティールの本のタイトルは『ゼロ・トゥ・ワン』です。「0から1へ」というタイトルそのもののうちに、「程度の差などというものは存在しない」という予断がすでに含まれています。

レッドピルを一粒飲んだら世界のことが全部わかるという、ゼロか1かという考え方はあまりに幼児的に過ぎると僕は思いますけどね。

本の内容からずいぶん脱線してしまいました(笑)。話を戻しますが、バルファキスの分析は本当に見事だと思います。特に、テック・ジャイアントの行動原理に対する批判的な見方や、利潤からレントへのシフトに関する分析は、目から鱗が落ちるようでした。

そもそもテック・ジャイアントを扱う本って、基本的に60歳以上向けには書かれていないんですよ。でもね、この本は74歳の僕が読んでもよくわかる。中学生から後期高齢者まで全世代が読めて、かつ面白い。僕が保証します(笑)。

構成・斎藤哲也

テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。

著者:ヤニス・バルファキス、解説:斎藤 幸平、訳者:関 美和
「勝者と敗者、超富裕層と貧困層、善と悪、領主と農奴」世界を二分化するテック・ジャイアントたちの思惑 「テクノ封建制」がもたらす近代社会の破滅
テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。
2025年2月26日発売1,980円(税込)四六判/320ページISBN: 978-4-08-737008-9

◆テック富豪が世界の「領主」に。
◆99%の私たちを不幸にする「身分制経済」
◆トランプ&イーロン・マスク体制を読み解くための必読書

グーグルやアップルなどの巨大テック企業が人々を支配する「テクノ封建制」が始まった!
彼らはデジタル空間の「領主」となり、「農奴」と化したユーザーから「レント(地代・使用料)」を搾り取るとともに、無償労働をさせて莫大な利益を収奪しているのだ。
このあまりにも不公平なシステムを打ち破る鍵はどこにあるのか?
異端の経済学者が社会の大転換を看破した、世界的ベストセラー。

【各界から絶賛の声、続々!】
米大統領就任式で、ずらりと並んでいたテック富豪たちの姿に「引っかかり」を感じた人はみんな読むべき。
――ブレイディみかこ氏

テクノロジーの発展がもたらす身分制社会。その恐ろしさを教えてくれる名著。
――佐藤優氏

これは冗談でも比喩でもない! 資本主義はすでに死に、私たちは皆、農奴になっていた!
――大澤真幸氏

私たちがプレイしている「世界ゲーム」の仕組みを、これほど明快に説明している本はない。
――山口周氏

世界はGAFAMの食い物にされる。これは21世紀の『資本論』だ。
――斎藤幸平氏

目次
第一章 ヘシオドスのぼやき
第二章 資本主義のメタモルフォーゼ
第三章 クラウド資本
第四章 クラウド領主の登場と利潤の終焉
第五章 ひとことで言い表すと?
第六章 新たな冷戦――テクノ封建制のグローバルなインパクト
第七章 テクノ封建制からの脱却
解説 日本はデジタル植民地になる(斎藤幸平)

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