「甲子園で勝ってみたかった」あの大谷翔平が高校時代に味わった挫折…それでも大谷が持っていた世界レベルの超一流野球選手となる条件とは
「甲子園で勝ってみたかった」あの大谷翔平が高校時代に味わった挫折…それでも大谷が持っていた世界レベルの超一流野球選手となる条件とは

MLBオールスターゲーム2025という大舞台にナ・リーグ最多得票数を獲得して5年連続の出場を決めた大谷翔平という稀代の怪物もまた、甲子園に育てられたと言える。すでに怪物の片鱗を見せていたという大谷の高校時代にはどんなエピソードがあったのか。

 

野球著作家であるゴジキ氏が著した『データで読む甲子園の怪物たち』(集英社新書)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

世界一の野球選手となる源泉

大谷翔平(2011・2012年、花巻東)

いまは世界の舞台でも圧倒的な活躍を見せているが高校時代は順風満帆ではなかった。
大谷が花巻東に入学したのは2010年の春。水沢リトルリーグで全国大会に出場した大谷は、その後、一関シニアでも全国の舞台に立った。
しかし、甲子園では一度も勝利したことがなく、最後の夏に関しては岩手大会で敗退するなどの挫折を味わっている。

メジャーリーグ移籍後の2019年には「僕は甲子園で1回も勝ったことがなかったので、勝ってみたかったというのは今でも思いますね」とコメントをしており、彼のキャリアのなかでも大きい経験だったことがわかる。
そんな大谷だが高校時代があったからこそ、いまの活躍があると言っていいだろう。

花巻東に入学した大谷は、そこで監督の佐々木洋氏と出会う。大谷の記憶に残る佐々木監督の最初の印象は、言葉ではなかった。
「目力です(笑)。監督って、目が、カッとしているじゃないですか。第一印象は目力がすごいなって思いました」とコメントするほどだ。目力もそうだが、顔つきがほかの監督とは違っていたと思われる。

花巻東の名物といえば、1年生部員たちに作成させる「目標達成シート」だ。ビジネスでも活用されることがある「マンダラチャート」に近いものである。
シートには9×9の合計81個のマス目が描かれている。まず中心にあるマスに自分が達成したい「大きな目標」を記入する。そのマスを取り囲む8つのブロックには、その目標達成に必要な要素を埋める。

大谷の目標達成シートの内容は、2023年のWBC以降各メディアで報じられ、もはや伝説の扱いになった。
当時の大谷は佐々木氏に「楽しいより正しいで行動しなさい」と教えられている。目標設定はもちろん高校入学直後の大谷に対しては、ただ単に練習をするのではなく、「例えば160キロを出すために、とか。逆算して考えないといけない。なぜやるのかを考えないと無意味なトレーニングになる」と言ったようだ。

大阪桐蔭・藤波との「ダルビッシュ二世」対決

さらに佐々木氏は、入学直後は身体づくりを優先させ、大谷を投手ではなく野手として先に育てた。

そんな大谷だが、1年秋からエースになり、「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれる。
しかし、2年夏の岩手大会直前の練習試合で左足に違和感を覚えた。

患部の痛みは肉離れによるものだと思われていたが、甲子園後の検査で骨端線損傷という大きな怪我だったことが判明。帝京戦での大谷は万全な状態ではなかった。

右翼手としてスタメン出場したが、その試合でリリーフ登板し、当時の2年生の最速タイとなる150㎞/hを記録。
しかし、万全な状態でない大谷は帝京打線に捕まるのだ。フォームを見ても高校3年のときと比較すると手投げのような形だったため、怪我をかばっていた可能性もあるだろう。

ただ、打撃面では6回裏に逆方向にフェンス直撃の打球を放つ。このときから打球の飛距離などは群を抜いていたのがわかる。
チームは敗れたものの大谷の規格外のポテンシャルを感じられた試合だったのは間違いない。

しかし、佐々木氏は大谷が無理に投げることを翌年まで封印したのだ。
実際に、センバツ出場がかかった2011年秋の東北大会準決勝では接戦の展開となり、終盤に大谷がマウンドに上がっていれば勝利の可能性は十分にあった。このときも「大谷のゴールはここではない。翌年の夏の勝利のためにも、ここで大谷を壊すわけにはいかないと思いました」という気持ちがあり、将来のことを考え大谷の起用を我慢した。



これは無理して投げてでも勝利を優先する高校野球の状況を考えると、異例のことだった。そして、満を持して大谷が主軸として出場した2012年のセンバツでは、初戦でこの年春夏連覇を果たした大阪桐蔭と対戦。大谷と対戦相手のエース・藤浪晋太郎は互いに「ダルビッシュ二世」と呼ばれており、注目の対戦になった。

最終的に大谷は11三振を奪うも、怪我で実戦のマウンドから半年以上遠ざかった影響もあり、終盤にスタミナ切れが露呈したのだ。四死球も11を記録し、試合終盤に大量失点した。

大谷のような怪物が生まれる条件

その後の夏の岩手大会では、甲子園出場こそ逃したものの、準決勝の一関学院戦でアマチュア史上最速の160㎞/hを記録。
しかし、決勝で盛岡大附に敗れた。この年の岩手大会は盛岡でプロ野球のオールスターゲームが開催されたため、準決勝から決勝まで約1週間が空いたが、盛岡大附はこの期間に大谷対策をしたのだ。

「大谷君対策として155キロぐらいの速球を想定して1年間打ち込んできましたが、準決勝で160キロを出したものだから、急遽、マシンの球速をアップさせて対策しました。連打は期待できず、単打では点が入らない。長打狙いで臨んだところ、二橋がやってくれました」

大谷自身は「最後は甲子園に行くもんだと思って頑張っていたので、最後の最後に負けたのは悔しかったですね。決勝で負けたときは、初めは実感がなかった。『もう終わりなのかな……』って。

何日か経って、僕ら3年生の練習はある程度の区切りというか、2年生が主体の練習になっていく。毎日毎日練習をしてきて、いきなり練習がなくなるのを実感すると『ああ、終わったのかな』と思いましたけど」と振り返る。

大谷の場合、どのような状況でも野球を楽しんでいるように感じる。この楽しさや夢中に取り組む姿勢も世界一の選手となったいまの大谷を作り出しているだろう。

大谷と同様にメジャーリーグでさまざまな記録を塗り替えたイチロー氏も、「努力を努力だと思ってる時点で、好きでやってるやつには勝てないよ」と言っているぐらいだ。

つまり、「努力を努力とも思わない」領域のなかで、できているかも重要なのだ。気がついたらそのことを考えてしまっている、まわりは「努力できてすごい」と褒めるが、まったく自分はそれに気づいていない。これは、野球そのものにのめり込んでいるからだろう。

夢中になりながら野球に取り組むからこそ、自主性も生まれていく。全体練習のほかに自主練習をしている選手は、追い込んでいるというよりも、夢中で野球が上手くなるように練習をしているため、きつい感情なども感じることはないだろう。

大谷のように挫折などを乗り越え、夢中になることで、目標やプレッシャーを含めたすべてを楽しめることが、リミットを超えた選手になれる源泉かもしれない。

『データで読む甲子園の怪物たち』

ゴジキ
「甲子園で勝ってみたかった」あの大谷翔平が高校時代に味わった挫折…それでも大谷が持っていた世界レベルの超一流野球選手となる条件とは
『データで読む甲子園の怪物たち』
2025年7月17日発売1,056円(税込)256ページISBN: 978-4-08-721371-3

甲子園を沸かせてきた高校野球の「怪物」たち。

高校生の時点で球史に名を残した選手たちは、プロ野球選手として大成功した者もいれば、高校時代ほどの成績を残せず引退した者、プロ野球の世界に入れなかった者もいる。

甲子園で伝説を残した選手のターニングポイントはどこにあるのか? そしてプロでも活躍する選手たちが持っている力とはなにか?
名選手たちの甲子園の成績や飛躍のきっかけになった出来事の分析を通して、高校野球における「怪物」の条件と、変わりゆくスター選手像、球児たちのキャリアを考える。

編集部おすすめ