脳に直接作用し、心を可視化するテクロノジー“ポストシンボリックコミュニケーション”は人類になにをもたらすのか…言葉や記号を使わずに感覚や経験を共有する未来
脳に直接作用し、心を可視化するテクロノジー“ポストシンボリックコミュニケーション”は人類になにをもたらすのか…言葉や記号を使わずに感覚や経験を共有する未来

言葉や記号を使わずに、他人や先祖の感情や記憶、経験などを直接的に体験できるようになる時代が到来しようとしている。「ポストシンボリックコミュニケーション」と呼ばれるこの技術が発展することで、人類にいったいどのような恩恵があるのだろうか。

書籍『テクノ専制とコモンへの道』より一部を抜粋し、予想されるとメリットとデメリットを考察する。

老いをあらかじめ体験する

日本科学未来館の中には老いパークという体験型展示がある。この展示では、たとえば白内障の視覚を体験できたり、高音部が聞こえにくくなった聴覚を体験できたりと、老化による目・耳・運動器・脳の変化を疑似体験できる。

頭に入れたはずの買い物リストを思い出すことを周囲に邪魔され、カートによりかかりながら横断歩道を渡っていると信号が変わってしまい車にクラクションを鳴らされる。これらをシミュレートできることに加えて、老化現象が起こるメカニズムや対処法、将来身近になるかもしれないサポートテクノロジーなどを知ることができるのだ。

台湾のオードリー・タンたちは、老いパークはただの展示ではなく、時間を超えた没入型の会話だと指摘する。それは視覚、聴覚、運動機能、認知機能の変化と苦痛の感覚を通じた、高齢の自分との対話なのである。それによって、未来の自分だけでなく、高齢者とのもっと深いつながりが育まれる。

「老い」とは、誰にとっても避けられない未来でありながら、その実態を想像するのは難しい。というのも視覚や聴覚、運動器、そして脳の変化は、ごく個人的な感覚体験であり、言葉ではうまく伝わらないからだ。

老いパークでは、参加者は身体のあらゆる感覚を活用し、言葉や記号を解釈するだけでなく内的な感覚体験を通じて情報を受け取る。それは伝達することがきわめて難しい深部感覚を、言葉や記号ではない媒体でコミュニケーションするポストシンボリック(表象)コミュニケーションの具体例なのだ。

ポストシンボリックコミュニケーションとは、記号の仲介なしに、直接的に体験を共有することを指す*1

たとえば老人にネガティブな固定観念をいだいている高校生に、視点交換で老人の立場を実感できるようなシーンを再現してみせれば、固定観念を打ち砕けるかもしれない。老いパーク、ひいてはポストシンボリックコミュニケーションは、コラボレーションの深さと広さのトレードオフを改善する希望を示している。

ポストシンボリックコミュニケーションとは何か

まずポストシンボリックコミュニケーションの定義を確認しておこう。「ポスト」とはこの場合「超えて」という意味であり、すなわち言語や記号といったシンボルの領域を超えて、深部感覚を含むすべての感覚を活用することで可能となる、直接的で没入感のあるコミュニケーションのことを指す。

私たちのコミュニケーションの手段は言語だけに限らない。そもそも、私たちが非言語コミュニケーションを初めて経験するのは出生時である。母親と胎児の心拍の同期はコミュニケーションの原初的なスタイルであり、成長するにつれ、人間はボディランゲージ、表情、声色、触覚、笑い、泣き声、顔の血流、匂いなどを通じて非言語的に情報を伝達する。

さらに、ダンス、スポーツ、恋人との親密なつながり、宗教体験など、これらはどれも言語を超えたコミュニケーションであり、参加者間の深い絆と理解を生み出すことができる*2

深部感覚を共有し拡張する*3

現在、ポストシンボリックコミュニケーションのためのテクノロジーは爆発的に進歩しており、実用化まであと一歩というところまで来ている。

たとえば脳の神経細胞が発する電気信号をコンピューターに伝えるために、身体に装着するインターフェースである脳コンピューターインターフェース(Brain–Computer Interface, BCIあるいはBrain–Machine Interface,BMI)が挙げられる。

BMIは考えるだけでマウスやキーボード操作、ロボットアーム操作を可能にし、さらに将来的には思考、感情、経験を心から別の心へ直接共有できるようになると言われる。

「ホムンクルス柔軟性」

これからのテクノロジーの普及にとって重要なのは、人間の「ホムンクルス柔軟性」という特性である。ホムンクルスとはラテン語で小人を意味する。次ページの図は身体の部位を対応する脳の運動野に投影したもので、頭の中に小人が住んでいるように描かれるためにホムンクルスと呼ばれる。

ホムンクルス柔軟性とは、新しい身体、とくに通常とは異なる動きが可能な追加の四肢を持つ身体に適応できる特性であり、人間はこのホムンクルス柔軟性がきわめて高いと言われる。



自分の脳で簡単に制御できるようにソフトウェアで結べば、現実のどの部分であっても自分の身体だと認識される。たとえば、つま先の動きに連動して雲が動くように設定すると、雲が自分の身体であるかのように感じられる*4

また最近登場したVRテクノロジーは、人間の物理的な動きを追跡しそれをアバターに表示することができるが、これにより、人間ではない身体を体験することが可能となる。

たとえば人間をロブスターにマッピングすることも可能であり、十分なフィードバックと制御が与えられれば、進化の過程で失った尻尾に対する感覚を取り戻す体験も可能になる*5

以上のように、本来はごく個人的なものであった深部感覚を共有し拡張するテクノロジーによって、アイデアや感情の直接的かつシームレスな伝達が可能となる。

たとえば、今の自分と同じ年齢だったころの両親の感覚体験に子どもが没入できたらどうだろうか。あるいは敵対するふたつの集団が、相手の家族の苦痛と喪失を体験できたらどうだろうか。それは人類が体験したことのない、親密さの拡張を可能にするだろう。

この新しいパラダイムにおいて、子どもたちは他人の言葉から学んだり行動を観察したりするだけでなく、祖先を含むあらゆる時代の他人の生きた経験や文化に没入することで成長するだろう。

恋人、友人、家族は、お互いの喜び、悲しみ、日常の瞬間を共有でき、物理的な存在を超えた親密さが生まれるだろう。またホムンクルス柔軟性により、コミュニケーションの対象自体が拡張すると、「人間」であることの意味さえ見直されるかもしれない。

ポストシンボリックコミュニケーションの限界

とはいえ、あらゆるコミュニケーションがポストシンボリックコミュニケーションに取って代わられればいい、というわけではない。そのテクノロジーは革命的であるがゆえに、致命的なリスクをはらんでもいる。



テクノロジーが労働者の監視に使われるのは未来の話ではない。現在、AmazonやUberといった企業は、処理能力の向上とトラブルの最小化のために、配達員や倉庫従業員の行動や成果を監視し、収集したデータをアルゴリズムと組み合わせることによって管理の自動化を図っている*6

ポストシンボリックコミュニケーションのテクノロジーは、この監視をいっそう完璧なものにするだろう。心を無制限に可視化することで、思考、感情、動機を直接的に操作できてしまうのだ。

同様に、政府はポストシンボリックコミュニケーションのテクノロジーによって心の中までも監視するだろう。反政府的な態度を表明していなくとも、心の中の反政府的思考・想像すら感知できるようになってしまう。

また人間が物理的な世界とのつながりを失い、テレパシーによるコミュニケーションに過度に依存することで、伝統的なコミュニケーション技能や文化的慣習が衰退し、人々は精神的なつながりだけに頼るようになるかもしれない。

したがってポストシンボリックコミュニケーションの活用にあたっては、プライバシーや自律性の問題を考慮すると、従来のコミュニケーションとのバランスを維持しなければならないだろう。

たとえば文字によるコミュニケーションは、テレパシーほど直接的でも即時的でもないが構造化され熟考されている。送信者は考えを言葉や文章にまとめる必要があるため、即時的なテレパシー通信にはない、高い抑制と省察が得られる。コミュニケーションには遅さと間接性が必要なときもあるのだ。

また市場と投票システムも拙速さに対抗するものを提供する。

市場では、消費者と生産者が下した無数の決定が価格メカニズムを通じて伝達される。この仕組みには、個人が考えや動機の全範囲を明らかにする必要がないため、意思決定のプライバシーが確保されている。

同様に、投票は、個人がある時点での意思を表現する、熟考にもとづくコミュニケーションである。テレパシーの流れとは違い、投票は解釈可能な方法で国民の意思をまとめ、個々の投票者の自主性を維持する。

このアプローチは、効率的なコミュニケーションと個人の自主性、プライバシー、民主的なプロセスの保護との間のバランスを維持する上で重要であり、それによってテレパシー的コミュニケーションの行きすぎに対する重要なチェックとして機能するだろう。

ポストシンボリックコミュニケーションは他のあらゆるコミュニケーション形態を駆逐するのではなく、それらとのバランスを維持することで、その真価を発揮することができるのだ。

脚注

*1 ジャロン・ラニアー、井口耕二訳『人間はガジェットではない IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言』ハヤカワ新書juice、2010年、332頁。
*2 たとえば「儀式とは、ヒトの心理プログラムのバグを巧妙かつ多様な方法で利用する『マインドハック』の集合体と考えることができる」。リズミカルな音楽に合わせることと整然と秩序正しく共通の目標に取り組むことが相乗効果を生み、連帯感や協力への意欲が強められるのだ。ジョセフ・ヘンリック、今西康子訳『WEIRD 「現代人」の奇妙な心理 経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』上、白揚社、2023年、117-118頁。
*3 Andrea Stevenson Won, Jeremy N. Bailenson, Jaron Lanier, “Homuncular Flexibility: The Human Ability to Inhabit Nonhuman Avatars,” Robert Scott and Stephen Kosslyn (eds.), Emerging Trends in the Social and Behavioral Sciences: An Interdisciplinary, Searchable, and Linkable Resource, John Wiley & Sons, 2015.
*4 ジャロン・ラニアー、井口耕二訳『人間はガジェットではない IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言』ハヤカワ新書juice、2010年、326頁。
*5 William Steptoe, Anthony Steed, Mel Slater, “Human Tails: Ownership and Control of Extended Humanoid Avatars,” IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics, Vol.19(4), 2013, pp.583-590.
*6 ダロン・アセモグル&サイモン・ジョンソン、鬼澤忍・塩原通緒訳『技術革新と不平等の1000年史』下、早川書房、2023年、144-145頁。

写真/shutterstock

テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?

李 舜志
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テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?
2025年6月17日発売1,188円(税込)新書判/264ページISBN: 978-4-08-721369-0世界は支配する側とされる側に分かれつつある。その武器はインターネットとAIだ。シリコンバレーはAIによる大失業の恐怖を煽り、ベーシックインカムを救済策と称するが背後に支配拡大の意図が潜む。人は専制的ディストピアを受け入れるしかないのか?
しかし、オードリー・タンやE・グレン・ワイルらが提唱する多元技術PLURALITY(プルラリティ)とそこから導き出されるデジタル民主主義は、市民が協働してコモンを築く未来を選ぶための希望かもしれない。
人間の労働には今も確かな価値がある。あなたは無価値ではない。
テクノロジーによる支配ではなく、健全な懐疑心を保ち、多元性にひらかれた社会への道を示す。
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