
国民の怒りの鉄槌が政権与党に下された。自民公明が過半数割れを喫する見通しとなった2025年の参院選。
血筋もいいし政治家としてのキャリアもある武見氏
「自分の意見を一方的に、ただただポピュリズムで、減税減税の一辺倒で、その社会保障の財源をどうするのか。若い人たちを支援する子育て支援の財源をどうするのか。こうした議論を発することなく、ただただひたすらにポピュリズムで、手取りを増やせ。減税減税だ、保険料を返せと、これでは国の責任は成り立ちません!」
選挙戦最後の演説となった19日のJR蒲田駅前。武見氏は選挙カーの上からこう声を張り上げた。
「なんとしても私は議席を確保しなければなりません」と聴衆に訴えかける姿には悲壮感すら漂う。それもそのはず、この日までの情勢調査で武見氏の劣勢が伝えられていたからだ。
父はおもに開業医の業界団体として機能してきた「日本医師会」の会長を務めた武見太郎氏。「喧嘩太郎」の異名を持ち、医師会とともに薬剤師会、歯科医師会を含めた「三師会」に強い影響力を有した人物。
この父・太郎氏の威光を背景に、当選5回を重ねてきた。さらに麻生太郎元首相を親族に持ち、岸田文雄政権下では厚労相も務めた武見氏だったが、今回の選挙では苦しい戦いを強いられていた。
「血筋もいいし、政治家としてのキャリアもある武見氏でしたが、逆に言うと批判を受けやすいプロフィールの持ち主でもあった。年齢は70歳を過ぎた高齢で、日本医師会から組織的なバックアップも受けている。
しかも世襲議員ときている。特に若い世代からすると『利権ガチガチの典型的なロートル議員』に映るわけです。案の定、今回の選挙は自公政権への逆風をもろに食らい、序盤から厳しい戦いとなっていました」(全国紙政治部記者)
最終日の演説には、そんな崖っぷちの武見氏の応援に、石破首相はじめ木原誠二選対委員長ら党幹部が顔をそろえ、壇上から支援を訴えた。
木原氏は敗北への危機感からか、かつての民主党政権の批判を繰り返し、「私たちは、安倍総理のもとでアベノミクスをやり、菅総理のもとでスガノミクスをやり、そして岸田総理のもとで新しい取り組みをやって、ようやくここまでやってきたんです!」と実績を強調した。
ただ、いまいち浸透していない「スガノミクス」のフレーズを持ち出して聴衆の戸惑いを誘うなど、若干、上滑りの気配も漂わせていた。
この日は、石破首相から「この国の社会保障、武見敬三なくして語ることはできません」と持ち上げられて演説を終えた武見氏だったが、奇跡の巻き返しが叶うことはなかった。
「じじいはもう引っ込めという、いろんない言われ方もしましたけれど…」
翌20日の投開票日。開票センターとなった東京都医師会館には、夕刻からメディアや支援者らが集まり始めたが、開票が始まった午後8時には会場の空気が一気に冷え込んだ。
「自公の過半数維持は困難」。テレビに劣勢を示すテロップが映し出されると、緑のポロシャツを着た陣営スタッフからは「あ~」と悲鳴にも似たため息が漏れた。
時間を追うごとに各選挙区での自公の劣勢が伝えられると、会場は徐々に弛緩したムードに包まれていく。午後10時、敗北が決定的になった石破首相がNHKのインタビューに応じる段になって、ようやく武見氏が姿を現した。
“宰相”の敗戦の弁を見届けると、ようやく後援会長を務める東京都医師会の尾崎治夫会長がマイクを握った。
「5年先、10年先を見据えた政策というのはどういうことなのかいうことを考えた時に、やはり武見敬三候補がですね、活力ある健康長寿社会ということで色々な提言をされてきました。
私はそこにやはり東京のこれからのですね、やるべき姿、それから私どもの医療介護福祉の中でもそれをやはり一緒に考えているということが、この東京にはぜひ必要ではないかということで、後援会の会長として武見敬三候補を支えてきました」と切り出した尾崎氏。
「政治とカネ」の問題やウクライナ情勢、国民生活を苦しめる物価高など、自民に激しい逆風が吹く状況を踏まえ、「なかなか今の自民党の状況とか、いろんなこと考えると、なかなか武見候補のですね。訴えが通じていかなかったのかなって。それがこの厳しい状況に繋がったということにあると思います」と唇をかんだ。
一方で、武見氏と同年齢だという尾崎氏は、「高齢議員の居座り」との批判を受けがちであることを踏まえ、「じじいはもう引っ込めという、いろんな言われ方もしましたけれど。
敗色がいよいよ濃厚になってくる中、居並ぶ支援者らを前に武見氏が最後の挨拶に立った。「結果が出ているわけではございませんが」と前置きしつつも、それは事実上の敗戦の弁となった。
「薄っぺらい参政党などのポピュリズムに走ってしまった結果…」
武見氏は選挙戦で訴えた「健康長寿社会」への思いをひとしきり語ると、敗因をこう分析してみせた。
「少子高齢化、人口減少の中でどうしても高齢者が当然に増えるとすれば、若い人たちの負担がどうしても増えてしまう。この負担の増え方に関わるやはり社会的なフラストレーションというものが若い世代の皆様方の中にはかなり大きく塊としてあって、それが1つの批判として現れてきたものだというふうに受け止めました」
現行の社会保険制度では、武見氏が訴える「高福祉」の国家ビジョンを実現させるためには現役世代への負担がどうしても大きくなる。野党各党が、社会保険料の負担率の高さを選挙戦の争点に据えている中、こうした政策は、若年層からの反発を招きやすいのは言うまでもない。
「健康長寿社会」を掲げる自身の姿勢が、「既得権」側に寄り添うものであると捉えられていたと自覚している様子が武見氏の言葉の端々からうかがえる。
選対本部も落胆の色を隠せなかった。
選対本部長を務めた平沢勝栄衆院議員は開票センターから出たあとの直撃取材で、「見ればわかるじゃない。
そして、「謙虚になること。謙虚になれなかったよね。今回の選挙は。全員、謙虚であったかなんて全然言えない。誰も言えない。自民党の信頼を取り戻すために謙虚にならなければいけないんだけどね。でも誰もできなかった」と自戒するかのようにつぶやいた。
日本医師会に所属しているという支援者の60代夫婦は、「武見先生は、医学知識のほか海洋学、外交や領土問題にも精通していて、ほかの政治家と比べて知見が深い政治家だった」と悔しさをにじませた。そして、さらにこう続けた。
「それが国民の人が理解できなかった。薄っぺらい参政党などのポピュリズムに走ってしまった結果。日本は終わりです」
会場を出る武見氏の背中越しに、テレビモニターは医師夫婦から「薄っぺらい」とこき下ろされた参政党の躍進を伝えていた。彼らに票を投じた中には、「上級国民」である医師夫婦から“国民の人”と見下された市井の人もいたであろう。
分かれた明暗は、今の日本社会が抱える分断の遠景でもあるかのようだ。
武見氏は20日夜、自民党本部で開かれた囲み取材で「国会議員としての自分の役割は終わった」と述べ、政界引退を表明した。関係者によると今後は、「従来取り組んできたグローバルヘルスに尽力する」という。
また、武見氏は20日夜、東京都医師会間前で同席していた山田みき氏らに対して、「今度、選挙頑張ってね。みんな応援しているから。とにかくあなたがたに日本を立て直してもらう。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班