
8月7日、東京地方最低賃金審議会は東京都の最低賃金を5.4%引き上げて1226円とするよう東京労働局に答申し、10月3日から適用される見通しとなった。これは現行制度で過去最高の引き上げ幅となる。
生活必需品の値上がりは続いており、労働者側にとって最低賃金の引き上げは歓迎すべきものだ。一方、中小企業の経営者にとっては頭の痛い問題でもある。特にアルバイトが必要不可欠な飲食や小売、宿泊業界への影響は甚大となる。
経営者の7割が「最低賃金引き上げ」で経営が圧迫と回答
昨今のインフレ下における日本の賃上げは急務だ。
東京都が最低賃金を5.4%引き上げる要因の一つに慢性的な物価上昇がある。2024年10月から2025年6月までの食パン、鶏卵など食品を中心とした「頻繁に購入」する生活必需品目の価格は平均で4.2%上昇した。同期間の食料品は6.4%、食料や家賃、光熱費、保健医療サービスなどの基礎的支出項目は5.0%上昇している。
足元の物価上昇率を加味すると、5.4%の賃金引き上げは妥当であるようにも見える。しかし、引き上げに前向きな声ばかりではない。最低賃金は各都道府県の経営者、労働者、学識者の代表の3者が話し合いによって決めており、東京都の答申案の採決では15人のうち賛成は9人だった。
同審議会に使用者側で参加する東京経営者協会総務部長の神尚武委員は、中小企業に大企業以上の賃上げを迫ることに疑問を呈している。
地域別最低賃金を下回った場合、使用者には50万円以下の罰金が科されることになり、最低賃金の引き上げは経営者にとって負担が大きい。物価高騰の影響を受けているのは企業も同じで、原材料費や水道光熱費の高騰が利益を圧迫していることも事実だ。
そこに人件費の負担が重くなれば、持ちこたえる企業体力が失われる懸念もある。
起業家支援を専門とするベンチャーサポート税理士法人は、「法改正に伴うパート・アルバイトの雇用課題」に関する意識調査を実施しており、「最低賃金の引き上げ」や「年収103万円の壁の引き上げ」が経営を圧迫するかとの質問に、7割以上の経営者が「はい」と回答している。
ただし、9割近い経営者は最低賃金の引き上げが必要だとも考えており、賃上げ圧力が高まっている状況に理解を示している。つまり、頭ではわかっていても、急激な賃上げに価格転嫁やコスト削減策が追いつかないというのが実状だろう。
政府は2020年代に最低賃金の「全国平均1500円」という目標を掲げており、今後も中小企業は急いで収益改善を進めなければならない。それに伴い、倒産件数は異常なほどのペースで加速している。
東京商工リサーチによると、2025年7月の倒産件数は961件で前年同月比0.8%の増加、月別で今年最多を更新した。7月としては2022年から4年連続で前年を上回っている。倒産した企業はすべて中小企業で、これは5カ月連続である。そして約4割は飲食業や宿泊業などのサービス業だ。
このように急速なコスト高が中小企業経営者を苦しめているが、一方でサービス業は手厚いコロナ支援を受けてきた経緯があるのも間違いない。倒産の増加は新陳代謝を促していると見ることもできる。
ゼロゼロ融資の1兆2000億円が不良債権
政府系金融機関による中小企業を対象とした実質無利子、無担保のゼロゼロ融資は2023年度末時点で20兆6397億円に上っている。本来であれば、借り入れた資金をコロナ後の経済を見据えた投資へと振り向け、会社を成長させようとするのが経営者の役目だ。
ところが貸付を行なった企業のうち、製造業などは売上高・経常利益ともに高水準で推移する一方、飲食業や宿泊業などのサービス業は伸び悩んでいる。ゼロゼロ融資は一部の企業を延命させるだけの結果になった。
政府系金融機関のゼロゼロ融資における債権の状況を会計検査院が調べたところ、1兆1965億円が「リスク管理債権」であることがわかった。いわゆる不良債権である。この不良債権は前年度比で3179億円増加していた。また、返済期間の延長、月々の返済額の減額など条件変更を行なった債権も前年度比で4000億円増加し、1兆654億円となった。
一般的に金融機関からの借入の利払いに対して、営業利益と受取利息・配当金の比率が1を下回る状態が3年続くとゾンビ企業と定義される。いつ倒産してもおかしくはないが、金融機関や政府からの支援で生きながらえている企業のことだ。
東京商工リサーチは20~30万社を対象にゾンビ企業の調査を行なっており、2022年は全体の15.4%がゾンビ企業だった。前年から3.4ポイントも上昇している。
しかも、日本銀行は金融緩和政策を転換し、利上げのタイミングを見計らっている。エコノミストの間では、今年10月の金融政策決定会合が次の利上げになるのではないかとも言われているが、日銀の利上げはゾンビ企業をさらに増やす恐れがある。
そしてゼロゼロ融資で実質ゼロ金利となる期限は3年間であり、2023年に借り入れを行なった中小企業もいよいよ基準金利が課されることになる。原材料と人件費、水道光熱費の高騰に加えて金利負担も重くのしかかってくるのだ。
収益性が改善できなかった会社が淘汰され、強い企業だけが生き残る大転換期が視野に入ってきた。
倒産が進む一方で、新設法人数は過去最多を更新
「倒産」というとネガティブなイメージが先行するが、新陳代謝が進んでいると捉えれば労働者や消費者にとってはポジティブなものだ。
東京商工リサーチによると、2024年の新設法人は15万3938社で前年比0.3%の増加だった。2008年に統計を開始して以来、過去最多を更新している。サービス業は新設法人全体の4割以上を占めており、法人数も4%程度増加している。
若い経営者ほど設備投資に前向きであることがわかっており、中小企業庁がまとめた報告書によれば、40歳未満の経営者で「積極的投資を行なっている」のは56.0%だったのに対して、60代は49.2%だった。
若い経営者が新たな会社を設立することで、新規事業や省人化への投資を積極化すれば、新たなサービスが誕生し、従業員の業務負荷も軽減される可能性が高まることを示唆している。
政府は売上拡大や高付加価値化、省力化、新規事業の挑戦などを目的としたさまざまな補助金を設けている。これは企業が生きながらえさせることを目的としているわけではないため、補助を受けるハードルは高いが、経営者にはそれだけの覚悟が求められているのも事実だ。
また、跡継ぎ問題を解決するための事業承継を目的としたM&Aの補助金も設けられている。M&Aも従業員の雇用を維持し、経営を次の世代へとつなぐ有効な一手だ。
日本の中小企業は大きなうねりの中に身を置いており、経営者は意識改革が求められている。この潮流に取り残されれば、倒産の憂き目を見ることにもなりかねない。
取材・文/不破聡 写真/shutterstock