「有吉と一緒にもう一度あの道をたどってみたい」元猿岩石で俳優・森脇和成がみすえる未来「自分が売れるよりも劇団の名を広めたい」
「有吉と一緒にもう一度あの道をたどってみたい」元猿岩石で俳優・森脇和成がみすえる未来「自分が売れるよりも劇団の名を広めたい」

90年代後編、「進め!電波少年」のヒッチハイク企画で、日本中に社会現象を巻き起こしたお笑いコンビ「猿岩石」。その後、芸人として大ブレイクをはたしたボケの有吉弘行に対して、ツッコミの森脇和成はサラリーマン生活を経て現在は舞台役者として再出発している。

 森脇は今、どんな思いで役者として邁進しているのか(前後編の後編)。 

根底にあるのは芸人時代のコント 

――猿岩石で大ブレイクした後に突然、芸能界を引退されサパークラブを経営。その後、サラリーマンを経て、現在は劇団に所属して舞台俳優と、目まぐるしく過ごされていますね。

森脇(以下、同)かつて所属していた事務所の後輩の女の子に誘われて観に行った舞台がきっかけで、今の劇団ノーティーボーイズと出会ったんです。実は猿岩石時代、電波少年の収録に行く1週間前に今の劇団の主催者・中島と劇場で会っていたそうなんです。

その頃の僕は素人同然で、中島は芸人としてトリをつとめていて、チラっとあいさつをした程度でしたが、向こうはテレビをみて「アイツらが出てるよ!」と覚えていてくれたみたいです。

そして、オファーをいただいて『畳屋バラッド』という舞台でいきなり主役をやらせてもらったんです。その作品は商店街の古い畳屋が地上げ屋と戦うというストーリーで、演じていてすごく面白かったですね。

そのときに「この劇団に入りたい!」と決意し、2021年に正式に劇団員として動き出しました。

――今年7月に行われた舞台『騙っちゅーの!』では、詐欺師の黒幕役を演じていましたね。コメディータッチながらもラストにどんでん返しのあるストーリーでした。その演技力は、どのように磨かれてきたのでしょうか。

根底にあるのはやっぱり芸人時代のコントですよ。

猿岩石を始めたときから有吉がネタを書いて、俺が一緒に立ち稽古をする。これが楽しい作業で、2人でゲラゲラ笑いながらコントを作り込んでいました。

今思えば脚本、演出、出演を一緒にやっていたんですよね。だから芸人でも役者でも、役を演じるという意味では通じるものがあるのかな。

――役を作り込むにあたり、心がけていることはありますか。

僕はちょっと卑怯かもしれないですけど、役作りをするときは“この役を誰が演じたら合うか”を想像して、その役者を頭の中でトレースするんです。

ものまねじゃなくて、その人を憑依して自分の中にイメージを入れていく作業ですね。そうじゃないと、80ページもの台本を覚えられるはずがありません。

――そういえば、猿岩石時代はツッコミという立ち位置でしたね。7月の舞台でのアドリブや、コミカルかつ鋭いツッコミも印象的でした。

役に入り込んでいればセリフを噛んでも大丈夫だと思っていて。日常生活でも噛むことはあるし、そこをどうカバーするかが勝負。

怖さはないですね。実は終盤で、共演者の役名を間違えて呼んじゃったんですけど、そこもアドリブでなんとかごまかしました(笑)。

今、劇団員は13人いるんですが、みんなボケばかりで。つっこめるのは僕しかいないから、今はツッコミの人材不足ですね。

実は“名脇役”に憧れているんです 

――舞台での森脇さんは、芸人時代とはまた違う魅力がありました。俳優として、今後演じてみたい役はありますか?

10月に、故郷である広島で『わたしが帰りたい家』という舞台が公演予定なんですが、故郷を離れ上京した若者が都会に疲れて出戻りし、幼馴染が結婚相談所で働いていたことから婚活をするというストーリーでして、その若者を演じるんです。

僕、見た目が若いから若い役をもらうことが多いんですけど、もう51歳なので年上の“大人の役”をやりたいですね。実は“名脇役”に憧れているんですよ。主役よりも脇で光る役者になりたいですね。

――名脇役となった森脇さんの姿も見てみたいですね。劇団員としてはどのような夢がありますか?

そうですね、今は自分が売れることよりも、劇団ノーティーボーイズを広めたいです。小劇場は赤字になることも多いけど、舞台はナマで観てもらわないと良さが伝わらない。

だからこそスピード感や飽きさせない工夫をしながら、“必ず面白い”と胸を張れる作品を届けていきたいですね。

ここでボイスレコーダーを止め、森脇さんと談笑をした記者だったが、どうしても気になることがあり、再びこう質問した。

――最後に一つだけ聞かせてください。もし再び「ヒッチハイクの旅」のオファーが来たらどうしますか?

またですか(笑)。ヒッチハイクは…うん、もう同じことはやらないと思います。でももし十分なお金があるなら、有吉と一緒にもう一度“あの道”をたどってみたい気持ちはあります。

『ここで野宿したな』とか、『あの店のあの人に世話になったな』と振り返りながら、お礼を言って回る旅。いつか、有吉とそんな旅ができたらいいですね。

電波少年で日本中を旅した若者は、遠回りを経て舞台という旅路に戻り、これからも俳優として活動を続けていく。

文/佐藤ちひろ

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