
8月20日に、神戸のマンションのエレベーター内で住人女性が刃物で殺害されるというという残忍な事件が起きた。その後、SNS上では「怖くてエレベーターに乗れない」といった女性の声とともに、それに対する「考えすぎ」「じゃあ、乗るな」といった批判の声もあがっている。
もはやエレベーターは他人と乗ってはいけないものなのか
9月5日付の朝日新聞の「天声人語」で、ある50代女性がエレベーターに乗ったときのエピソードが取り上げられていた。
この女性がひとりで雑居ビルのエレベーターに乗っていたところ、後から男性が乗ってきたので咄嗟に降りた。すると男性は怪しまれたかと不快に感じたのか、「ババアが」と捨て台詞を吐いたのだそうだ。女性は「若くもないのに自意識過剰だ」と言われたようでとても悲しい思いをしたという。
そしてこれは神戸市のマンションで住民女性がエレベーター内で殺害された事件の数日後の出来事だった。
この「天声人語」を読んで筆者はしばし考え込んだ。
50代女性の気持ちは同性として大変よくわかる。
単純に怖かっただろうし、何かあってからでは遅い。
男性の気持ちもこれまた察するに難くない。
ただエレベーターを利用しただけなのに、不審者扱いされては悪態のひとつもつきたくなるだろう。
では、この場の最適解はなんだったのか。
女性は「怖いな」と思っても「まさかそうしょっちゅう犯罪が起きるわけではないし」「若くもない自分が襲われると思うなんて」と我慢すべきだったのか。
男性は「しょうがない、あんな事件があったばかりだし」「まあ、イラッとはするけど」とこれまた我慢すべきだったのか。
おそらく正解はない。
マンションのエレベーター内で起きかねないこと
神戸の事件の被害者は女性だったが、必ずしも女性だけが被害者たりうるとは限らない。この事件は、加害者男性によるストーカー要素を多分に含むものだったが、密室に近いエレベーター内では強盗、通り魔など、いずれも男性が被害者になる可能性も十分にある。
オフィスビル、マンション、商業施設……いまや日本のいたるところにエレベーターがあり、生活に欠かせないものとなっている。
もはやエレベーターは他人と乗ってはいけないものとなろうとしているのか。
筆者は幼少時からマンション暮らしが長い。
小学校3年くらいのときだったか……下校し、自宅マンションのエレベーターに乗ったところ、後から若い男性が乗ってきた。
小さなマンションの狭いエレベーターとはいえ、子ども心に「なんでこんなに近くに立つのかな」と思っていたら、おもむろにショートパンツの股のあたりに手が伸び「君、もうここに毛が生えてる?」と聞かれた。
結果をいえばそれだけのことで、10歳足らずの子どもには正直何があったのかもよくわからなかったのだが、帰宅して親に話すと、当たり前だが動揺していた。
とはいえ、かれこれ40年以上前のことなので、日本もだいぶのんびりしていた。
今なら管理組合にうったえ、それなりの問題になっただろうが、そのときは親から「これからはエレベーターに乗るときは気をつけなさい」と言われただけだったと記憶している。
時は過ぎ、令和の今、筆者はタワーマンション、いわゆるタワマンに住んでいる。
数年前に、同じマンション内の友人女性たちがこんなことを話していた。
「ねえ、エレベーターに業者の人とか一緒に乗るの、なんかやじゃない?」
「わかる、わかる。知らない人と乗るの、ちょっとイヤ」
「業者の人は別のエレベーターにしてくれればいいのに」
「ね~、そういうマンションもあるのにね」
当時は彼女たちの発言にかなりの不快感をおぼえた。
業者にも配達にも本当に助けられている。なくては生きてはいけない。
お盆だろうと年末年始だろうと、スマホでポチっとすれば何でも届けてくれる。時間指定も置き配もありがたいサービスだ。
そればかりが念頭にあった。
自分を守るために必要な「細心の注意と覚悟」
だが、神戸の事件が起きたあと、彼女たちの発言を改めて思い出した。
見知らぬ業者の人だけを「怖い人」扱いするのは明らかな偏見で誤りだ。
同じマンションの住人だってそもそもほとんどが知らない人なのだし、住人だから安心という保証はなにもない。もっと言うなら知人が加害者になった事件もたくさんある。
さらにもっと言うなら業者の人びとだって業務中は危険と隣り合わせだ。
しかし、犯罪や危険から身を守りたい、という気持ちからくる彼女たちの「漠然とした不安」が、否定すべきものではないことも確かだ。
令和の今、自衛しようとしたことで、差別的な言動をはからずも発したり、あるいは受けたり、SNS上で社会的批判にさらされてしまうことがある。
犯罪や暴力そのものではない、「別次元の危険」に脅かされかねない。
いまや自衛をするのにも細心の注意と覚悟がいるということだ。
犯罪や危険から身を守りたい、という当たり前の概念を遂行することが難しくなっている。
文/集英社オンライン編集部