「あの8秒が、日本代表を狂わせていた――。」WBCベスト8敗退。その裏で、選手たちは相手投手だけではなく、“見えない敵”とも戦っていた。
ピッチクロックを語る上で、象徴的だったシーン
選手たちに言い訳はない。
ただ、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での敗戦を紐解く過程で「あれがなければ」と原因にしてしまいたくもなる。ピッチクロックを語る上で、象徴的なシーンとして語られるのがベネズエラ戦だ。
5-4と日本1点リードの6回にマウンドに上がった伊藤大海が、先頭の6番・エセキエル・トーバーにカウント1ストライクからピッチクロック違反で1ボールを与えてしまい、結果的にライト前へヒットを打たれた。
そこから、グレイバー・トーレスのレフト前へのエンドランで一、三塁とピンチを広げ、ウィルヤー・アブレイユに痛恨の逆転3ランを許してしまったのである。
一連の猛攻について、トーバーへのピッチクロック違反によって「伊藤の間合いが崩された」と悔やまれた。それだけ、今大会から導入されたこのルールは、結果的に日本に大きな影を落とすこととなった。
ランナーなしで15秒以内、いる場合は18秒以内に投球動作に入らなければならないピッチクロックなど、今回はとにかく「時間」に翻弄された大会でもあった。
日本にとって国際大会――とりわけWBCは、「滑りやすい」とされる公式球に球数制限と、どちらかといえばピッチャーに制約が多かった。
現役時代に第3回、第4回大会で主力として出場し、今回は野手総合コーチを務めた松田宣浩は、WBCの競技性をこう語る。
「ピッチコム(通信機器を使った伝達システム)でサインと出すとかもそうですし、僕らの時にはなかったルールが増えたので。18.44メートルの距離からピッチャーがボールを投げて、それをバッターが打つっていう表向きの野球は変わってないんですけど、細かいところで『だいぶ変わってきたな』というのは率直に思いましたよね」
前のバッターが打ち取られてから30秒以内にプレーを再開しなければならなくなった。そしてピッチクロックでは、制限時間の8秒までに打席で構えなければならない。野手陣もまた、対策が求められたわけだ。
2月の宮崎合宿では非公開練習を設けながら、特別アドバイザーとして代表に帯同していたパドレスのダルビッシュ有の助言を受けながら対策を講じる。
メジャーリーグでは「ピッチャーがギリギリまで投球動作に入らなかったケースでは、バッターの打率が落ちる傾向がある」といった実データも参考にしながら、できるだけ普段通りを貫けるためにと実践していく。
そのひとつが「ルーティンを減らすこと」だったと、松田が解説する。
「すぐに実戦が始まるなかで、少なからず対策できるのがそれだと思いました。『日本でやっているルーティンをひとつくらい削れば対応できるんじゃないか』といったような意識づけは、宮崎からずっとしていましたね」
日本人バッターにとって、ネクストバッターズサークルから打席に入るまでのルーティンはゲン担ぎのようなものだ。
スイングのチェックポイントの最終確認が行える。
メジャー組と国内組の対応に明暗
近藤健介は打席に入る前に屈伸を取り入れるなど、多くのルーティンが有名な選手だ。それが、一部を削ることによって「結果が出なかったのではないか?」と囁かれている。
前回のWBCは2番バッターとして打率3割4分6厘、出塁率5割。ハイパフォーマンスで日本の世界一を支え、24年にはパ・リーグの首位打者にも輝いた球界屈指のヒットメーカーは、今大会では1次ラウンド第2戦の韓国戦でピッチクロック違反を犯すなど、波に乗れなかったひとりだ。
第4戦のチェコ戦から指定席だったスタメンを外れ、13打数ノーヒットで大会を終えた。それでも松田は、近藤のパフォーマンスについてこのように評価している。
「全体的にダメなボールばかりを振っていたわけではないんですよ。仕留めに行くボール自体はよかったんですけど、いい打球でも野手の正面を突いてしまう不運があったとか、結果としてヒットが出なかっただけで」
WBCでの実績がある近藤だからこそ「ノーヒット」というインパクトが先行しがちだが、松田は全体像を冷静に見ている。
「多少なりともペースを乱されたのは近藤選手だけじゃないんでね。前回出場した選手では牧(秀悟)選手もそうだったし、NPBの選手は全体的にピッチクロックに少し苦労したんじゃないかなって結果になりましたよね」
吉田正尚や大谷翔平、鈴木誠也と、すでにピッチクロックが導入されているメジャーリーグで結果を残すバッターは、全員が打率3割以上をマークした。
村上宗隆と岡本和真も今シーズンから海を渡ったとはいえ、まだ新ルールでの実戦経験は少なく、ともに2割台前半と打率は低調だった。スタメンだった選手で3割以上を記録したNPBの選手は、5割の源田壮亮だけだった。
大会後、松田はコーチとしてピッチクロックとパフォーマンスの因果関係を検証した。宮崎合宿でダルビッシュが懸念していた「焦り」。それが現実に起こってしまった。相手ピッチャーは極端に焦らすような間合いを図らなかったとはいえ、やはり不慣れな「時間との戦い」は思いのほかバッターの精神的負担となっていたのではないか――。
そのような結論を見出した松田が、バッター心理を投影させながら解説する。
「日本での試合で打席内の時間を測ったら、ひとりあたり20秒から25秒くらいのインターバルがあるんです。選手の時の僕もそうでしたけど、バッターはその間に前のボールの対応を振り返りながら、次の配球を読んだり、タイミングを変えたり、いろんなパターンを考えるものなんです。
それが『8秒までに構える』っていう、WBCのルールのなかでは満足にできなかったと思います。いつもより10秒くらい削られるんで、体感として打席内で準備できる時間はかなり短かったはずなんです。
しかも、国際大会は初めて対戦するピッチャーばっかりなんで、いくら事前に映像とかを見て対策していると言ってもね、実際の打席で考える時間がないと余計にきつい。
今回は追い込まれたら簡単に三振してしまうケースが多かったんですけど、原因はそこにあるんじゃないかと思います」
日本が本気で世界一を獲るために必要なこと
メジャー組は全員が対応でき、国内組はほとんどが苦心した、時間という“第3の敵”。この両極端な結果からわかるように、WBCがメジャーリーグを運営するMLBのルールを基本に設定された大会である以上、今後は日本も順応の姿勢が求められていく。
大会後の4月。NPBと近藤が会長を務める日本プロ野球選手会との事務折衝でピッチクロックの導入が議題に挙がった。「前向きに検討」というお約束の対応だったそうだが、松田は「早い段階から選手に慣れてもらうほうがいい」と、選手の心情を代弁していた。
「他の国は世界基準が当たり前でやっているんでね。今回、ベスト8で負けたのは力の差もありましたけど、ルールへの適応というところも原因としてあったんじゃないかな、と。日本のプロ野球が本気で世界一を奪還したいと思うのなら、システムから少しでも早く世界に近づく努力はすべきだと思います」
今後もストライクとボールの「自動判定システム」であるABSなど、新たなルールが生まれ、国際大会で導入されるだろう。現代野球が急速に進歩するなか、未知の相手が多い短期決戦において、もはや純粋に野球だけで勝利を得られる時代ではなくなっている。
松田が警鐘を鳴らす、日本が本気で世界一を獲るために必要なこと。大きな項目のひとつとして、スピード感を持って世界基準の野球を日本にも浸透させていくことである。
文/田口元気

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