全音楽ファンよ、ギターソロを称えよ。それは現代音楽において、決して色褪せることのない偉大なる芸術形態の一つだ。栄光に満ちた6弦の爆発がもたらすスリルに勝るものはない。「Free Bird」から「Purple Rain」、「Johnny B. Goode」から「Eruption」へと至る、長く、ねじれ、終わることのないサーガ。名手による超絶技巧の速弾きもあれば、最高にラフな勢いでかき鳴らされる一撃もある。そのすべてが我々の脳裏に焼き付いて離れないものだ。
本誌が選ぶ「史上最高のギターソロ100選」は、あらゆるジャンル、世代、グルーヴが入り混じったフルボリュームのミックスリストだ。我々は歴史を縦横無尽に駆け巡り、ブルースの先駆者、ヒッピーのジャム、パンクロッカー、メタルの戦士、ファンカティアたちを再訪する。そこにはサーファー、ストーナー、スターシップ・トルーパー、そして「鋼のナイフ(steely knives:イーグルス「Hotel California」の歌詞より)も並んでいる。ジミー・ペイジ、ジェリー・ガルシア、ジミ・ヘンドリックスといった伝説的存在から、セイント・ヴィンセントやジョン・メイヤーのような熟練の弾き手、そしてGeeseやMJ・レンダーマンといった若き反逆者までを網羅した。
車の中で思わず口ずさんでしまうソロもあれば、近くにある掃除機を手に取ってエア・ギターをかき鳴らしてしまうようなソロもある。中にはシャワーを浴びながら口ずさめるものだってあるだろう(いや、馬鹿にしているわけではない。
選考基準は売上やラジオの再生回数ではない。ただそこに宿る「6弦の輝き」のみだ。また、そのソロが曲を形作っているか、単にメロディラインをなぞっているだけではないか、という点も考慮した(音符の一つひとつを完璧に歌えるレベルなら、それはボーナスポイントだ)。
想像の通り、このリストを作成する際に行われた議論は「Voodoo Chile」のラスト1分よりも騒々しいものとなった。注意してほしいのは、これは「ソロ」であって「リフ」の選出ではないということ。ディープ・パープルの名曲から「Smoke on the Water」ではなく「Highway Star」が選ばれているのはそのためだ。10分以上にわたって宇宙を探索するかのように長く引き延ばされるソロもあれば、わずか数秒で衝撃を与えるものもある。だが、ギターの旅路とは、怒り、喜び、渇望、痛み、あるいはそのすべてが同時に詰まった「心の叫び」なのだ。
ここに挙げた100曲のソロの中には、後世に多大な影響を与えたカルト的な名演もあれば、あまりに万人から愛されすぎて楽器店での試奏が禁止されているような定番中の定番もある。ファンの数だけ異なるリストが存在するはずであり、それこそが重要なのだ。
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100位 AC/DC「You Shook Me All Night Long」(1980年)
99位 バディ・ガイ「Stone Crazy」(1962年)
98位 ギース「Getting Killed」(2025年)
97位 メガデス「Hangar 18」(1990年)
96位 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ「Scar Tissue」(1999年)
95位 レス・ポール&メリー・フォード「How High the Moon」(1953年)
94位 スマッシング・パンプキンズ「Mayonaise」(1993年)
93位 コモドアーズ「Easy」(1977年)
92位 スティーヴン・マルクマス&ザ・ジックス「Share the Red」(2011年)
91位 エアロスミス「Walk This Way」(1975年)
90位 ポール・バターフィールド・ブルース・バンド「East-West」(1965年)
89位 ジェリー・ラファティー「Baker Street」(1978年)
88位 ジェネシス「Firth of Fifth」(1973年)
87位 ガールスクール「Cmon Lets Go」(1981年)
86位 パンテラ「Cemetery Gates」(1990年)
85位 ジョン・メイヤー「Gravity」(2006年)
84位 パール・ジャム「Alive」(1991年)
83位 トーキング・ヘッズ「Born Under Punches (The Heat Goes On)」(1980年)
82位 リチャード&リンダ・トンプソン「The Calvary Cross」(1975年)
81位 MJ・レンダーマン「Knockin」(2023年)
80位 スティーヴ・ヴァイ「For the Love of God」(1990年)
79位 イエス「Starship Trooper」(1971年)
78位 ジューダス・プリースト「Painkiller」(1990年)
77位 アルバート・キング「Crosscut Saw」(1966年)
76位 ジミー・イート・ワールド「The Middle」(2001年)
75位 カーズ「Just What I Needed」(1978年)
74位 スレイター・キニー「Lets Call It Love」(2005年)
73位 デイル・ホーキンス「Susie-Q」(1957年)
72位 ナック「My Sharona」(1979年)
71位 ヤー・ヤー・ヤーズ「Maps」(2003年)
70位 ニルヴァーナ「Heart-Shaped Box」(1993年)
69位 フランク・ザッパ「Watermelon in Easter Hay」(1979年)
68位 アイアン・メイデン「The Trooper」(1983年)
67位 ヘリウム「XXX」(1994年)
66位 キング・サニー・アデ「Sunny Ti Die」(1974年)
65位 ディック・デイル&ザ・デルトーンズ「Misirlou」(1962年)
64位 レディオヘッド「Paranoid Android」(1997年)
63位 ボストン「More Than a Feeling」(1976年)
62位 エリック・ジョンソン「Cliffs of Dover」(1990年)
61位
Boris「Naki Kyoku」
2003年|アルバム『Akuma No Uta』
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WataはBorisを「究極のヒーリング・ミュージック」と表現しており、その騒乱の中にはカタルシスを伴う美しさが宿っている。広島で育った彼女は、ピアノのレッスンを経て16歳でギターに転向した。インスピレーションの源はピンク・フロイドの『ライブ・アット・ポンペイ』だ。日本の実験的メタル・トリオ、Borisのフロントを張るアヴァン・ノイズ・ギターの巨匠として、彼女は『Feedbacker』や『Pink』といった多大な影響力を持つ名盤を次々と世に送り出し、スラッジ・メタルとサイケデリック・ロック、シューゲイザー、ドローン・ドゥームを融合させてきた。2003年の珠玉の一枚『Akuma No Uta』に収録された「Naki Kyoku」は、彼女の哀歌的な傑作だ。12分間に及ぶスローバーニングなレクイエムであるこの曲で、彼女は最初の数分間、穏やかで悲痛なイントロを奏でる。そこから一転、1986年製の黒いレスポールをMatampとOrangeのアンプで咆哮させ、脳を溶かすような全力の猛攻へと突入する。彼女はこう語る。「まだ感情になる前の、感情になっていない思いを掬い取って、音楽に変換しているんです」
60位 ブルー・オイスター・カルト「(Dont Fear) The Reaper」(1976年)
59位 プリテンダーズ「Tattooed Love Boys」(1980年)
58位
ディープ・パープル 「Highway Star」
1972年|アルバム『Machine Head』
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リッチー・ブラックモアによる「Highway Star」のリード・セクションは、わずかに軸のずれたジャズ風のフィギュアから始まり、ソウルフルで叙情的なフレーズへと構築され、やがてブルースというよりもバッハを彷彿とさせる3連符のフーガへと爆発する。
57位 ブライアン・イーノ「Babys on Fire」(1973年)
56位 リンク・レイ「Rumble」(1957年)
55位 ダイナソーJr.「Freak Scene」(1988年)
54位 フレディ・キング「Going Down」(1971年)
53位 エムドゥ・モクター「Afrique Victime」(2021年)
52位 フリートウッド・マック「Albatross」(1968年)
51位 ザ・バーズ「Eight Miles High」(1966年)
50位
セイント・ヴィンセント 「Rattlesnake」
2014年|アルバム『St. Vincent』
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セイント・ヴィンセントことアニー・クラークは、2014年のセルフタイトル・アルバムをこの曲で幕開けさせた。西テキサスの牧場を全裸で歩いているときにガラガラヘビに遭遇した実体験を歌ったものだ。「死ぬほど怖かったわ」と彼女は本誌に語っている。楽曲自体は広々として不気味な空気を纏っているが、自身のシグネチャーモデルであるミュージックマンで奏でられるソロは、その恐怖を暴力的でスリリングな叫びへと変換している。それは開放的な自由と、差し迫った破滅の間で張り詰められているかのようだ。「私のギターヒーローの多くは、ロバート・フリップやエイドリアン・ブリュー、マーク・リボーといった『ギター・アンチヒーロー』なの」と彼女は言う。「その音に『痛み』があるからこそ、首筋の毛が逆立つような感覚を与えてくれる人たちのことよ」
49位
ソニック・ユース 「The Diamond Sea」
1995年|アルバム『Washing Machine』
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ソニック・ユースが誇る二人のギター賢者、リー・ラナルドとサーストン・ムーアは、ニューヨークの初期アヴァン・パンク・シーンから常に恐れを知らぬ即興演奏家として君臨してきた。特にラナルドは根っからのデッドヘッズであり、その音楽的側面は90年代の『Washing Machine』や『A Thousand Leaves』といったアルバムで鮮やかに開花した。
48位
ジョー・サトリアーニ 「Surfing With the Alien」
1987年|アルバム『Surfing With the Alien』
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シュレッド・ギター(速弾き)界にヨーダがいるとすれば、それは間違いなくジョー・サトリアーニだろう。彼の門下生には、スティーヴ・ヴァイ、メタリカのカーク・ハメット、テスタメントのアレックス・スコルニックといった指板のジェダイたちが名を連ねる。1987年のアルバム『Surfing With the Alien』は当時のギタリスト志望者にとって必携の一枚となり、インストゥルメンタル作品としては異例のヒットを記録した。「表題曲の録音は、その日のスタジオの退室時間が迫っていて、かなりの強行軍だったんだ」とサトリアーニは語っている。それでも彼はどこまでも冷静に、ワウペダルを駆使してギターにボーカルのような表現力を与えながら、抑制の効いた滑らかなプレイを聴かせる。
47位
ハウリン・ウルフ 「Spoonful」
1960年|シングル
Wilson Lindsay/Michael Ochs Archives/Getty Images
ハウリン・ウルフは独自の「悪魔的なブルース」を築き上げたが、その音楽に漂う凄まじい威圧感は、恐ろしいギターサウンドを召喚する右腕ヒューバート・サムリンの存在なしにはあり得なかった。同業のギタリストたちは、最大級の畏敬の念を込めて彼の名を口にする。「ヒューバート・サムリンが大好きだ」とジミー・ペイジはかつて語った。「彼は常に、その場にふさわしい音を弾いていた」。サムリンは「Smokestack Lightning」や「Killing Floor」での不穏なリフ、そして「Spoonful」での剃刀のように鋭いソロで、ウルフの野太い唸り声に応戦した。彼がウルフに初めて会ったのは、ショウに忍び込んだ子供の頃だったが、1954年に正式なギタリストとなり、ブルース史上最もアイコニックなデュオが誕生した。「私たちは父と子のようだった。凄まじい喧嘩もしたけれどね」とサムリンは回想する。「彼に歯を叩き折られたこともあったし、私も彼の歯を折った。だが、そんなことはどうでもよかった。私たちはいつだって、すぐに元通りになったんだ」
46位
ローリング・ストーンズ 「Sympathy for the Devil」
1968年|アルバム『Beggars Banquet』
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1968年、軸がぶれ始めた世界をストーンズが描き出したこの曲。
45位
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド 「I Heard Her Call My Name」
1968年|アルバム『White Light/White Heat』
Michael Ochs Archives/Getty Images
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成するまでに、ルー・リードはあらゆるロックンロール・リズム──ボー・ディドリーやチャック・ベリー、サーフ、ドゥーワップ、ロカビリー、R&Bまで──を極めており、どんなスタイルの音楽も、彼の手にかかれば不穏な鼓動を宿した。しかし、ヴェルヴェッツのアヴァン・パンクの金字塔『White Light/White Heat』に収録された、このフィードバックが炸裂する楽曲で、彼は真に常軌を逸した。「セシル・テイラーやオーネット・コールマンをたくさん聴いていて、あんな感じをロックンロールのフィーリングでやりたかったんだ」と、彼はフリージャズからの影響を語っている。クライマックスでリードが「そして俺の精神(マインド)が引き裂かれた!」と宣言すると、無数のノイズ・バンドを生み出すことになる狂乱のソロへと突入。スターリング・モリソン、モー・タッカー、ジョン・ケイルが叩き出す原始的なバックビートの上で、その音は暴れ狂う。ヴェルヴェッツ史上、最もラウドで卑劣、そして文字通り精神を引き裂く瞬間だ。
44位
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン 「Killing in the Name」
1991年|アルバム『Rage Against the Machine』
Lindsay Brice/Getty Images
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが一度も公の場でコンサートを行う前から、彼らの手元にはデビュー・シングル「Killing in the Name」の骨組みが揃っていた。世代を超えた決起の呼びかけとなったこの曲は、今なお彼らの代表作であり、彼らのカタログの中で唯一Spotifyでの再生回数が10億回を超えている。メインのリフは、トム・モレロが生活のためにギターの講師をしていたときに思いついたものだ。「ある青年にドロップDチューニングのやり方を教えていたんだ」と、モレロは2025年に回想している。「そのとき『ちょっと待ってくれ』となってね。小さなカセットレコーダーを取り出し、録音ボタンを押して、自分のために保存したんだ」。楽曲は、モレロが楽器をターンテーブルと融合させたかのような混沌としたギターソロで頂点に達する。このサウンドを再現する秘訣は、ワーミー・ペダルを2オクターブ上に設定することだ。
43位
ウィルコ 「Impossible Germany」
2007年|アルバム『Sky Blue Sky』
Richard Hartog/Los Angeles Times/Getty Images
21世紀のギタリストで、ネルス・クラインほど特定のソロと結びついて語られる存在は他にいないだろう──ウィルコのライブの柱である「Impossible Germany」のソロだ。クライン自身は、このソロでのトーンがあまり好きではないと語っているが(「自分には少しトレブリー(高域が強)すぎる」とかつて述べていた)、2007年の『Sky Blue Sky』に収録されたスタジオ版の2分半に及ぶ瞑想的なトランス状態を、彼はほぼ毎晩ステージで拡張し続けている(特に啓示的な熱演としては、2024年の「ソリッド・サウンド・フェスティバル」でのバージョンが挙げられる)。シンガーソングライターのジェイ・ソムからジャム・バンドの熱狂的ファンまで、あらゆる人々がクラインのソロに魅了されてきた。その音は急降下し、飛翔し、きらめきを放ちながらも、曲の本質から遠く離れすぎることはなく、最後にはジェフ・トゥイーディとパット・サンソンが奏でるメインリフと見事に噛み合う。ウィルコのショウのハイライトとなるのも当然の、必然の名演だ。
42位
ザ・バンド 「It Makes No Difference」
1976年|アルバム『The Last Waltz』
Ed Perlstein/Redferns/Getty Images
ロビー・ロバートソンによる「It Makes No Difference」のソロ、特に『ラスト・ワルツ』でのテイクは、トーンと情緒の極意を体現している。このソロはバラードの終盤を彩る。そこまではリック・ダンコの魂を揺さぶるボーカル──それ自体が圧倒的な名演だが──が楽曲を支配しており、ロバートソンはその歌声をギターで追想するように反響させる。咽び泣くような音の滝を浴びせるのではなく、彼は心に突き刺さる鋭いスタッカートを放つ。そのギターは、まるで挫け、よろめき、躓いているかのようだ。「ああ、君をこれほど愛している/それが俺にできる精一杯のことなんだ」というラインを声を振り絞って歌うダンコの姿と、その調べは痛切に重なり合う。さらに、アウトロでガース・ハドソンのサックスと並走する様も極めて重要だ。ロバートソンが失恋による「千の傷口」を代弁するなら、ハドソンはこの曲に相応しいカタルシスに満ちた慟哭を添えている。
41位
エルヴィス・プレスリー 「Thats All Right」
1954年|シングル
Michael Ochs Archives/Getty Images
アーサー・”ビッグ・ボーイ”・クルーダップのジャンプ・ブルース「Thats All Right」をエルヴィス・プレスリーが加速させてカバーした1954年のバージョンは、ロックンロールのサウンドと精神を定義づける決定打となった。その偉大さの核心にあるのが、スコッティ・ムーアのギターソロだ。メンフィスのサン・スタジオでの休憩中に即興で生み出され、その場に居合わせたボス、サム・フィリップスの強い要望で録音されたエルヴィスの歌唱は、思わせぶりで活気に満ちている。ムーアはそれに呼応し、遊び心あふれるロカビリーのリックで鮮やかに応戦した。「ビル(・ブラック)がベースをパチパチと叩き始めたんだ。いい感じだったから、俺も彼らに合わせて適当なリズムを弾き始めた」とムーアは後に振り返っている。歴史を塗り替えたのは、そんな何気ない、最高に楽しい時間だった。
40位
ボニー・レイット 「Three Time Loser」
1977年|アルバム『Sweet Forgiveness』
Michael Putland/Getty Images
ウィルソン・ピケットが60年代に世に広めたこのR&Bナンバーにおいて、ボニー・レイットが踊らせるスライドギターには、芝居がかった派手さも自己陶酔も一切ない。彼女は1977年の名盤『Sweet Forgiveness』でこの曲を初めて録音して以来、ライブでの決定的な見せ場へと育て上げてきた(1989年のバージョンや、『ジュールズ・倶楽部』での活気に満ちた演奏をチェックしてほしい)。スライドソロは、急停止と急発進を繰り返すスタッカートと精密なリズムで構成されており、始まったと気づく頃にはもう終わっている。「ギターは独学だったの」と、彼女は自身の象徴的なスライド奏法について語っている。「だから手の位置は100%正しいわけじゃないし、ボトルネックをはめる指も間違っているのよ」
39位
フィッシュ 「Stash」
1995年|アルバム『A Live One』
Ebet Roberts/Getty Images
フィッシュ初の公式ライブ盤『A Live One』は、彼らの代表的なレパートリーの決定演を捉えており、トレイ・アナスタシオによる激情のソロが随所で炸裂している。普段はメロディックな彼だが、この「Stash」で見せるアグレッシブで型破りなプレイは圧巻だ。曲は弦楽四重奏のような規律正しさで始まり、各メンバーが緻密なアンサンブルを構築していくが、やがてアナスタシオとキーボードのペイジ・マコーネルがその旋律を解体し始める。そしてアナスタシオが猛烈な勢いで爆発。リフレインされるリックがバンドを宇宙の深淵へと誘っていく。緊張感が極限まで高まり、空中分解寸前のカオスに陥ったかと思うと、一転してメインリフとコーラスへと鮮やかに回帰し、船を無事着陸させる。緻密な構成をあえて突き破る、この「捨て身のジャム」と濃密な相互作用こそが、インスピレーションの頂点に達したフィッシュの真骨頂である。
38位
B.B.キング 「Sweet Sixteen」
1970年|アルバム『Indianola Mississippi Seeds』
Robert Knight Archive/Redferns/Getty Images
1950年代にB.B.キングが登場したとき、彼はギターの概念を根底から変えた。バディ・ガイが「B.B.以前は、誰もがアコースティックのようにギターを弾いていた」と語る通りだ。キングは、愛機ギブソン「ルシール」の弦をベンドし、生身の女性が咽び泣くような音を響かせることでその常識を覆した。彼はアイドルだったT-ボーン・ウォーカーから学んだスタイルを「Sweet Sixteen」などのヒット曲で洗練させ、全ギタリストが羨む語り口を確立した。「どんなギタリストを聴いても、そこには必ずB.B.の破片が混ざっている。彼はエレクトリック・ギターにおける『ストリング・スクイーズ(弦を絞る)』奏法の父なんだ」とガイは続ける。「Sweet Sixteen」は、ポップ・バラードの失敗が続いていたキングが、1960年にブルースの王座を奪還したカムバック作であり、彼の最もタフで峻烈なプレイが刻まれている。1974年にザイールで行われた「キンシャサの奇跡」の前夜祭での伝説的な演奏では、彼のギターの衝撃に、観戦していたムハンマド・アリが椅子から飛び上がったという。
37位
ラッシュ 「Limelight」
1981年|アルバム『Moving Pictures』
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ラッシュにおけるアレックス・ライフソンの存在は不可欠だ。1981年の金字塔的アルバム『Moving Pictures』のリードシングル「Limelight」がそれを証明している。ライフソン特有の厚みのあるトーンと煌びやかなパワーコードは、一筋縄ではいかない変拍子のリフやヴァースに、スタジアムを揺らすほどのスケール感を与えている。特筆すべきは、その叙情的なアプローチと無駄を削ぎ落とした構成が生む情緒だ。ソロの幕開け、彼は長く引き伸ばされた音とフィードバックを、完璧に制御されたトレモロアームのダイブとビブラートで操り、そこから上昇するスケールへと一気に斬り込み、高音域の悲鳴のようなチョーキングでクライマックスを迎える。「このソロは曲の感情的な本質を映し出しているんだ」と、ライフソンはポッドキャスト『Shred With Shifty』で語っている。「ステージの上で人生を送るという断絶感、そしてそこから生じる孤独を表現しているんだ」
36位
キンクス 「You Really Got Me」
1965年|アルバム『Kinks』
TV Times/Getty Images
レイ・デイヴィスが当初この曲をピアノで書いたとき、それがのちに人類が鳴らす「ノイズ」の未来を永遠に変えてしまうとは、誰も想像しなかっただろう。完成した「You Really Got Me」は、歪んだギターを全編に配した狂気的なロック・ナンバーへと変貌を遂げていた。伝説的なオープニング・リフに続き、デイヴ・デイヴィスが放つ荒々しく鋭利なソロは、ロックの概念に全く新しい混沌を突き刺した。あの耳を切り裂くようなザラついたサウンドは、デイヴが母親の編み棒でアンプのスピーカー・コーンを切り裂くという暴挙から生まれたものだ。それから10年余り後、ヴァン・ヘイレンがデビューアルバムにこの曲の「カリフォルニア流」カバーを収録したのも、決して偶然ではない。この曲こそが、のちに世界を震わせるヘヴィメタルの轟音が産声をあげた場所なのだ。
35位
ザ・ホワイト・ストライプス 「Ball and Biscuit」
2003年|アルバム『Elephant』
Brill/ullstein bild/Getty Images
「Ball and Biscuit」の7分18秒すべてが一本の長いソロである、あるいはブルース・ロックの最高にクールなパッチワーク・キルトを作るために編み上げられた一連のソロである――そう主張する者がいてもおかしくはない。ジャック・ホワイトはビッグ・マフのファズを全開にし、歪みきった音と悲鳴のような高音を垂れ流すが、それは揺らぎのないスポークン・ワード風の歌詞と鮮やかな対照をなしている。一方で、メグ・ホワイトが屋台骨となり、ミニマルながら熱烈なドラミングでこのワイルドな旅を支え続ける。ロック界で最も偉大なデュオの一つによる見事なチームワークであり、本作を『Elephant』のセンターピースに据えるだけでなく、ザ・ホワイト・ストライプスの決定的なマニフェストにまで高めている。ボブ・ディランはこの曲を熱愛し、2004年にはホワイトにステージでの共演を熱望したほどだ。
34位
シスター・ロゼッタ・サープ 「Strange Things Happening Every Day」
1944年|シングル
James J. Kriegsmann/Michael Ochs Archives/Getty Images
これを「史上初のロックンロール・ギターソロ」と呼ぶ人もいれば、単に「史上初のロックンロール・ソング」と見なす人もいる。1944年にリリースされた「Strange Things Happening Every Day」は、シスター・ロゼッタ・サープにとってゴスペルからR&B(当時は「レース・レコード」と呼ばれていた)へと越境した最初のヒット曲となった。もし彼女がこの一曲しか残していなかったとしても、ロックに与えた影響は計り知れない。わずか25秒間のギターソロに込められた、抑制されたスリル、怒り、そしてほとばしる歓喜のせいだ。その25秒の中に、戦後アメリカの新しい時代の夜明けが鳴り響いている。「彼女のリズミカルなアプローチは、当時のスウィング・フィールと、後のロックを特徴づけることになるストレートな8分音符の間のギャップを埋めている」と、音楽学者のジェームズ・ペローネはその著書で綴っている。まさにロックの遺伝子が産声を上げた瞬間だ。
33位
ダイアー・ストレイツ 「Sultans of Swing」
1978年|アルバム『Dire Straits』
Gie Knaeps/Getty Images
70年代のロックギター・ヒットといえば、大抵はラウドで巨大なアリーナ向けのパワーを追求していた。だが、ダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーは、愛機1961年製フェンダー・ストラトキャスターから放たれる明るくクリーンなサウンドと、軽快で複雑な指弾き(フィンガースタイル)で全く異なる方向を示した。最初のソロは30秒間にわたる軽やかで精密な美しさを湛え、時にはスティール・ギターで奏でるブギ・ブルースのようにさえ聞こえる。二つ目のソロは、ゆったりとした閃光のように始まり、激しいアルペジオへと昇り詰めていく。音が凄まじい速さで飛び交うときでさえ、彼のプレイはクールで慎重、そしてまるで会話をしているかのようだ。この曲が世界にとってのダイアー・ストレイツの入門編となり、その後何年も彼らの最大のヒット曲であり続けた。ノップラーは「実際のソロについて言えば、毎晩弾いていたことを多かれ少なかれやっただけさ」と振り返っている。
32位
ザ・ビートルズ 「Something」
1969年|アルバム『Abbey Road』
Steel/Mirrorpix/Getty Images
ギターの名手ジョージ・ハリスン自身によって奏でられる、ピアノのような丸みのあるトーンを持った26秒間の甘美なソロ。控えめな歪みを効かせたその調べだけで、ビートルズの正典(カノン)の中でも屈指のダイナミズムと叙情性を備えた名演が完成する。高鳴るストリングスに彩られたこの曲は、その驚くべきシンプルさにおいて、まさに「特別なもの(Something)」だ。「ジョージの作品は、当時はそれほど大きな注目を浴びていなかった。他のメンバーが帰った後に、彼が僕に居残ってくれと頼むほどにね」と、デモ録音に立ち会ったエンジニアのグリン・ジョンズは語る。「彼はひどく丁寧で、まるで僕に無理を言っているかのようだった。だが、彼がこの曲を弾き始めた瞬間、僕は完全に圧倒されてしまったんだ」
31位
ブラック・サバス 「War Pigs」
1970年|アルバム『Paranoid』
Chris Walter/WireImage
トニー・アイオミは長年、ブラック・サバスの象徴的なリフやソロは「書いた」というよりも、その場の空気に基づいた膨大なジャム・セッションを通じて「召喚した」のだと語ってきた。そしてその空気は、常に暗雲が垂れ込めるようなものだった。1970年の反戦アンセム「War Pigs」は、不吉なギタードローンと空襲警報で幕を開けるが、この曲の黙示録的な世界観を真に捉えているのは、アイオミの極めて情念的なソロだ。テクニックの誇示を避け、映画のようにヘヴィな雰囲気を作り出すことで知られる彼は、トレードマークである泥臭い短調のブルースでソロを開始。しかし、その剥き出しの即興プレイはやがて、チョーキングと持続するフィードバックによる混沌とした猛攻へと繋がっていく。それは当時の時代の恐怖と混乱を捉え、ギーザー・バトラーの残酷な歌詞を鮮烈に具現化している。
30位
アイズレー・ブラザーズ 「That Lady, Pts. 1 & 2」
1973年|アルバム『3 + 3』
Echoes/Redferns/Getty Images
アーニー・アイズレーはギターヒーローになるべくして生まれたと言えるかもしれない。彼は一家の末っ子として、兄たちが60年代最大のR&Bグループの一つとして君臨する姿を見て育った。1960年代初頭、アイズレー・ブラザーズのツアー・ギタリストが一家の自宅に居候していたこともある。後にスーパースターとなるジミ・ヘンドリックスだ。しかし、当時まだ10代だったアーニーが加入したことで、グループはさらなる高みへと到達した。1973年の夏、至る所で流れていた「That Lady」は、アーニーによるジミ直系のファズが効いたストラトキャスターが牽引する、魅惑的なソウル・スマッシュだ。ビッグ・マフとマエストロのフェイザーを介して鳴り響くそのソロを録り終えた直後、本人の第一声は「とんでもないミスを弾いちまった」というものだった。しかし翌日、彼は自問した。「俺は何を言ってたんだ?」と。このソロはヒップホップの試金石となり、ビースティ・ボーイズからケンドリック・ラマーまで、数々の名曲にサンプリングされている。
29位
ザ・ローリング・ストーンズ 「Cant You Hear Me Knocking」
1971年|アルバム『Sticky Fingers』
Chris Walter/WireImage
ミック・テイラーがストーンズに在籍した5年間における決定的な瞬間は、1970年の『Sticky Fingers』セッション中に多かれ少なかれ偶然に生まれた。「まだテープが回っていることすら知らなかったんだ」とキース・リチャーズは後に回想している。「演奏は終わったと思っていたからね」。実際にはテープは回り続け、この曲を締めくくる幻想的なグルーヴの冒険を捉えていた。当時21歳の若き天才テイラーは、サンタナを彷彿とさせる次元までプレイを拡張させている。「僕がちょっとしたスパイスを加えたと思いたいね」とテイラーは語る。「チャーリー(・ワッツ)は僕が『finesse(技巧的な繊細さ)』をもたらしたと言ってくれた。チャーリーがそう言うのなら、お言葉に甘えておくよ」
28位
サンタナ 「Black Magic Woman」
1970年|アルバム『Abraxas』
Michael Ochs Archives/Getty Images
カルロス・サンタナのギタースタイルは、その広大で全方位的な影響源から形作られている。マリアッチ奏者だった父親から手ほどきを受け、そこにラテン・ジャズやブルースの要素を注入することで、超自然的でこの上なく流麗な「語り口」を確立した。「Black Magic Woman」のソロはその集大成と言える。ピーター・グリーンが書き、フリートウッド・マックが世に広めたこのブルースの古典は、サンタナの鮮やかな手腕によってコンガ主体のパーカッションと融合し、火花を散らすような新たなエネルギーを宿した。グリーンのダイナミックなソロを尊重しつつも、サンタナらしいタッチ──気品があり、軽やかで、ビートの頂点に絶妙に留まるようなタメ──を加えることで、楽曲に新たな生命を吹き込んだ。
27位
メタリカ 「One」
1988年|アルバム『...And Justice for All』
Michael Ochs Archives/Getty Images
カーク・ハメットがギターについて知っていることのすべては、メタリカのブレイクスルー・ヒット「One」の後半のソロに集約されている。跳ね回るタッピングの3連符、ディミニッシュを用いたジャズ的なスウィープ、ブルースのチョーキング、そしてワウによる感情豊かな表現。彼のプレイは、ジョー・サトリアーニの教え子として学んだ技法と、メタリカで腕を磨く中で培った独創性を反映しており、「Fade to Black」のメロディアスさと「Master of Puppets」の猛烈な連打を真っ向から対峙させている。「あのソロの構成のせいで、ずいぶん寝不足になったよ」とハメットはかつて語っている。「後半のメインソロ、あのエディ・ヴァン・ヘイレン・スタイルのタッピングは、ほとんど即座に思いついた。あのパートのリズム・セクションの上でソロを弾くのは、僕にとって最高にエキサイティングなことだったんだ」。ライブで聴けば、その興奮はさらに倍増する。
26位
クリーム 「Crossroads」
1968年|アルバム『Wheels of Fire』
Sulfiati Magnuson/Getty Images
1968年、パワー・トリオのクリームがウィンターランド・ボールルームでこの曲を演奏したとき──3枚目のアルバム『Wheels of Fire』に収録されたライブ・バージョンだ──エリック・クラプトンが解き放ったソロは、「クラプトンは神である」という落書きがそれほど大げさではなかったと思わせるに十分なものだった。2つあるインストゥルメンタル・パートの後半、2分30秒付近から始まる即興セクションに彼が斬り込むとき、60年代イギリスのブルース革命全体が頂点に達し、炎となって燃え上がるかのようだ。アメリカのロック狂の一世代がこれに釘付けになり、世界中のギタリスト志望者たちが熱心にメモを取った。エディ・ヴァン・ヘイレンは、このソロへの愛を問われた際、一音漏らさず完璧に弾いてみせたという。
25位
ガンズ・アンド・ローゼズ 「Sweet Child O Mine」
1987年|アルバム『Appetite for Destruction』
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このGNRの出世作となったシングルの導入となるリフはあまりにも象徴的だが、「Sweet Child O Mine」に魂と情熱を吹き込んでいるのはスラッシュのソロだ。ヴァースにおけるアクセル・ローズの甘い歌声に呼応するかのように叙情的なそのプレイは、レスポールのクリアで張りのあるトーンから始まり、やがて爆発的なブルージー・ディストーションの嵐へと昇り詰めていく。意外なことに、スラッシュが『Appetite for Destruction』の中で気に入っているのは、実はこのソロ・パートだけだという。彼はしばしば、この曲を「バラードに寄りすぎている」と敬遠していた。「どうしても肌に合わなかったんだ」と彼はかつて語っている。「ソロ・パートのコード進行は自分で持ち込んだんだけど、僕にとってあの曲の中で唯一救いと言えるのがそこだったんだ」
24位
テレヴィジョン 「Marquee Moon」
1977年|アルバム『Marquee Moon』
Michael Putland/Getty Images
テレヴィジョンは究極のニューヨーク・ギター・バンドであり、都会の喧騒の中で新たなパンク・サイケデリアを切り拓いた。フェンダー・ジャズマスターを抱えたトム・ヴァーレインと、ストラトキャスターを操るリチャード・ロイド。二人はCBGBにおける「グレイトフル・デッドへの回答」とも言うべき即興演奏を繰り広げた。10分に及ぶ大作「Marquee Moon」において、ヴァーレインは都会の夜景に催眠術をかけられたかのように、不気味なスタッカートのグルーヴの上を、幽玄な高音域のトーンで飛翔する。パティ・スミスはその音を「千羽の青い鳥の叫び」と評した。彼らは毎晩この曲を未知の領域へと連れ出し、1978年のポートランド公演では17分に及ぶ熱演を披露している。「ただステージに立ち、何かを創り出したかった」とヴァーレインは語る。「だから何かが起こるまで弾き続けた。それはジャズやザ・ドアーズ、あるいはヤードバーズのライブ盤に見られるようなダイナミズムから来ているんだ」。ペイヴメントやウィルコ、ギースといった、挑戦を恐れないあらゆるバンドに門戸を開き続けるギターの冒険譚である。
23位
デレク・アンド・ザ・ドミノス 「Layla(いとしのレイラ)」
1970年|アルバム『Layla and Other Assorted Love Songs』
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1970年8月、デュアン・オールマンはエリック・クラプトンが新バンドと共にマイアミで録音中だと聞きつけ、ふらりとセッションに立ち寄った──そこから歴史が動き出す。「ある種のテレパシーが働いていたに違いない」とプロデューサーのトム・ダウドは語る。「これほどの速度と熱量で、自発的なインスピレーションが湧き上がるのを私は見たことがない」。スカイドッグ(デュアン)とスローハンド(クラプトン)に面識はなかったが、瞬時に音楽的な化学反応が起こり、アルバム全体が至高のギター・デュエルへと変貌した。特にパティ・ボイドへの切実な想いを綴ったタイトル曲はその白眉だ。クラプトンによれば、あの象徴的なリフを考案したのはオールマンだが、彼はさらにその上をいく、まるで地獄の番犬に追われるテルミンのような高音のスライドソロを炸裂させた。録音には、誰かが思わず「ウォーー!」と息を呑む声まで刻まれている。そして静謐なピアノの幕間の後、オールマンは最後に鳥のさえずりのようなフレーズを添え、この愛の叙事詩を締めくくった。
22位
ニール・ヤング&クレイジー・ホース 「Powderfinger」
1979年|アルバム『Rust Never Sleeps』
Richard E. Aaron/Redferns/Getty Images
ニール・ヤングの音楽史は、「Cinnamon Girl」の潔い単音ソロから、「Like a Hurricane」や「Cortez the Killer」、「Danger Bird」で見せる白昼夢のようなプレイまで、無骨なギターの栄光に満ちている。しかし、1979年の名盤『Rust Never Sleeps』の中核をなす怪物的な一曲「Powderfinger」こそ、パンク・ロックの台頭に応戦するかのような、最も激越なシェイキー(ニールの愛称)の姿を捉えている。そのソロは、暴力的なまでの荒々しさを剥き出しにしながら、同時にこの上なく脆く、まるで哀歌(エレジー)のようでもある。それは、理解しがたい紛争に巻き込まれた少年の痛切な叫びそのものだ。クレイジー・ホースの地を盤るような重厚なリズムに支えられ、彼は1960年代後半からステージで酷使し続けてきた1953年製レスポール・ゴールドトップ「オールド・ブラック」を手に、音の荒野へと漕ぎ出していく。今なおライブのハイライトであり続けるこの曲で、ヤングは何ヴァースにもわたって感情を燃え上がらせる。「練習して偉大になろうなんて無理な話だ」と、彼は伝記『Shakey』の中で語っている。「大切なのは自分自身と調和していることだ。そうすれば、たとえチューニングの狂ったギターを弾いたとしても、それは素晴らしい音楽になるんだ」
21位
スティーヴィー・レイ・ヴォーン 「Texas Flood」
1983年|アルバム『Texas Flood』
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スティーヴィー・レイ・ヴォーンの「Texas Flood」におけるソロは、このブルースの再興者が1982年にデビューアルバムのセッションで初めて録音したときと変わらぬ生命力を、今なお放ち続けている。この曲を含む同名アルバムは、ジャンルへの新たな関心を呼び起こす原動力となった。ギター・ブルースの初心者にとって、ヴォーンのソロは衝撃的だ。2分近くに及ぶスポットライトの中で、この亡きギタリストはフェンダー・ストラトキャスターの限界をどこまでも押し広げ、内なる悪魔をすべて追い払うかのようなプレイを見せる。デヴィッド・ボウイの『Lets Dance』セッションで彼と共に録音したベーシストのカーマイン・ロハスによれば、SRVはミューズに導かれるままに弾いていたという。「多くの奴らはテクニックこそ凄いが、魂が欠けている。その両方が必要なんだ」と彼は語っている。「『Texas Flood』は感情の歌だ。聴けば、彼がスピーカーを突き破って迫ってくるように感じるはずだ。彼は一切のまやかしなしで弾いていたんだ」
20位
ジェフ・ベック 「Freeway Jam」
1975年|アルバム『Blow by Blow』
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ジェフ・ベックがいかに革新的であったかを考えれば、本記事のリストがすべて彼のソロで埋め尽くされていても不思議ではない。ヤードバーズの「Shapes of Things」では震えるようなロック・ラーガを響かせ、「Becks Bolero」ではレーザー光線のようなリードと溜息をつくようなブルースを融合させた。「People Get Ready」のむせび泣くようなプレイはロッド・スチュワートの歌声以上にソウルフルであり、「Nadia」はトリップ・ホップのビートの間で羽ばたくようなアーミングを聴かせる瞑想曲だ。しかし、彼の遺産が最も鮮やかに花開いたのは、アルバム『Blow by Blow』に収録された「Freeway Jam」だろう。4分半に及ぶジャズ・フュージョン風の表現主義の中で、ベックは浮遊するハーモニクスをベンドし、高音域を揺らし、フレットと戯れながら音を震わせる。これは演奏技術の極意を集めたマスタークラスだが、彼という巨大な氷山の一角に過ぎない。
19位
レイナード・スキナード 「Free Bird」
1973年|アルバム『(Pronounced 'Lĕh-'nérd 'Skin-'nérd)』
Leonard M. DeLessio/Corbis/Getty Images
君が聴きたいのはどの曲だ? 答えはただ一つ、「フリー・バーーーード!」だ。1973年にレイナード・スキナードがこのライターの火を掲げたくなるサザン・ロックの叙事詩を世に送り出して以来、ファンはこの曲名を叫び続けてきた。たとえそれが他のアーティストのライブであってもだ(1976年に行われたザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」でさえ、ローリング・ストーン誌のグレイル・マーカスは「誰かが『Free Bird』をリクエストしやがった」と報告している)。スキナードがフロリダのバー・バンド時代にこの曲を引き伸ばし始めたのは、シンガーのロニー・ヴァン・ザントに息をつかせるためだった。「お前ら、もう少し長く演奏してくれ」と彼はメンバーに言った。「喉が痛いから休みが必要なんだ」。アレン・コリンズはギブソン・エクスプローラーで4分間に及ぶソロを弾き、ゲイリー・ロッシントンがSGでスライドのフィルを加えた。「あの長いジャムはすべてアレン・コリンズ自身によるものだ」とロッシントンは語る。「あいつは凄かった。最高にキレてたんだ。骨の髄まで本物の男だった」。このソロは、あの日からずっと、バイカーたちをビールの中で泣かせ続けている。
18位
ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス 「Little Wing」
1968年|アルバム『Axis: Bold as Love』
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「Little Wing」はジミ・ヘンドリックスの楽曲の中でも最短の部類に入るかもしれないが、同時に最も衝撃的な一曲でもある。アルバム『Axis: Bold as Love』のハイライトであるこの曲は、まさに「less is more」を体現しており、そこにあると気づく前に漂い去ってしまうような、幸福感に満ちた美しい一瞬のきらめきだ。ヘンドリックスは、モンタレー・ポップ・フェスティバルでの伝説的な経験の後にこの曲を書き、その感触をソロで見事に捉えている。彼は本来オルガン用に設計された回転スピーカー、レスリー・キャビネットを通して、夢見心地でスローテンポな音色を響かせた。「『Little Wing』は、痛いほど短く、痛いほど美しい」と、ジョン・メイヤーは2010年に語っている。「死んだ祖父が戻ってきて、1分半だけ一緒に過ごして、また去っていくようなものだ。完璧なまま、消えてしまうんだ」
17位
オジー・オズボーン 「Crazy Train」
1980年|アルバム『Blizzard of Ozz』
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70年代半ば、ランディ・ローズ率いるクワイエット・ライオットはヴァン・ヘイレンと同じ界隈で活動しており、彼はエディ・ヴァン・ヘイレンに劣らぬ革新的で脅威的な存在と見なされていた。しかし、ヴァン・ヘイレンが1978年のデビュー作で瞬く間にスーパースターになった一方で、クワイエット・ライオットは当初、突破口を見出せずにいた。そこにオジー・オズボーンが現れる。ブラック・サバスを脱退したばかりの「暗闇の王子」は、ヴァン・ヘイレンに対抗できる存在を切望していた。幸運にも、ローズにはエディのフォロワーたちとは一線を画す、激しい野心と独特の活気が備わっていた。「Crazy Train」でのソロは、ベートーヴェンのような短調のドラマ性とタッピング、そしてブルースの呻きを融合させている。そのトーンには、スピーカーを切り裂くような鋭さがある。スティーヴ・ヴァイはかつて、このソロを聴いて初めて「恐怖を感じた」と語っている。
16位
グレイトフル・デッド 「Morning Dew」
1977年|アルバム:『Barton Hall, Cornell University (5/8/77)』
Michael Ochs Archives/Getty Images
ジェリー・ガルシアは生涯を通じて「Morning Dew」を奏でることを愛した。フォーク歌手のボニー・ドブソンが1961年に書いたこの曲は、ガルシアの手にかかると壮大なサイケデリックの哀歌へと変貌を遂げた。14分に及ぶこの輝かしいバージョンは、歴史に深く刻まれている。1977年5月8日、コーネル大学で行われたデッド史上最も伝説的なショウの、まさに伝説的なクライマックスだ。ここでのガルシアは、完全に超越的な境地にある。「Scarlet > Fire」の27分に及ぶ熱演ですでに朦朧としていた観客に、彼らは「St. Stephen」と「Not Fade Away」を経て、この「Dew」を投下した。ガルシアはトラビス・ビーンの「TB500」ギターで飛翔し、特に終盤の6分間では、静かな囁きから完全なるエレクトリックの慟哭へと音を積み上げていく。「Dark Star」と同様に、「Morning Dew」はデッドが数十年にわたって語り継いできた物語であり、重要なバージョンは数多く存在する。しかし、コーネル公演の音源が70年代のテープ・トレーダーたちの間に広まって以来、この「Dew」はデッドヘッズたちを導く不動の聖光であり続けている。
15位
プリンス 「While My Guitar Gently Weeps」
2004年|ロックの殿堂授賞式ライブ
Dimitrios Kambouris/WireImage
2004年のロックの殿堂授賞式で見せた、今や伝説となり語り草となっているプリンスの超絶ギターソロ。これは、本誌が2003年に発表した「史上最大のギタリスト100人」から彼が外されたことへの意趣返しだったと言われている(2023年の改訂版で彼は14位にランクイン)。ビートルズの名曲を豪華スターたちが演奏する大トリのステージ中盤、漆黒の影から突如として現れた「殿下」は、3分間にわたり神がかったギター裁きを披露。トム・ペティやジェフ・リンを笑顔にさせつつ、圧倒的な格の違いを見せつけた。ほぼ即興かつノーリハーサルだったというこのソロは、一音目から感情が昂っており、アクロバティックな速弾き、マシンガンのようなレガート、そしてエレクトリックなショウマンシップへと爆発していく。しかし、どれほど派手に振る舞おうとも、プリンスのフレーズは常にジョージ・ハリスンの原曲が持つメロディに根ざしていた。それは、一人の天才からもう一人の天才への、この上ない敬意の表れでもあった。
14位
クイーン 「Bohemian Rhapsody」
1975年|アルバム『A Night at the Opera』
Chris Walter/WireImage
「Bohemian Rhapsody」は装飾的な技巧が限界まで詰め込まれた楽曲だが、その中心にあるのがブライアン・メイによる9小節の突進するようなギターソロだ。それはバラード調の前半と、狂乱していくオペラ・パートを繋ぐ架け橋となっている。インタビューでメイは、自身の楽器で楽曲のボーカルが持つ表現力に対抗したかったと語っている。「(フレディ・マーキュリーが)あそこにソロが欲しいと言ったとき、俺はギターで一節を『歌いたい』と思ったんだ」とメイは回想する。「曲を別の場所へ連れて行きたかった。異なるメロディを注入したかったんだ」。このソロはメロディとして独立している(「そのメロディは曲の他のどこにも出てこないが、馴染みのあるコード進行に乗っているから、うまく噛み合っているんだ」と彼は言う)。限られたスポットライトの時間を最大限に活用した、至高のレッスンと言えるだろう。
13位
オールマン・ブラザーズ・バンド 「Statesboro Blues」
1970年|アルバム『At Fillmore East』
Michael Ochs Archives/Getty Images
22歳の誕生日、デュアン・オールマンは風邪で寝込んでいた。弟のグレッグがお見舞いに持ってきたのは、一瓶の風邪薬だった。帰宅して数時間後、グレッグのもとへ電話が入る。「弟よ、今すぐここに来い!」。デュアンは空になった薬の瓶をスライドバー代わりに使い、ブラインド・ウィリー・マステルの古い楽曲「Statesboro Blues」を弾き始めていたのだ。「3週間ずっと座りっぱなしで練習したよ」とデュアンは1971年に本誌に語っている。「それでもまだひどい音だったがね」。しかし、彼はその後のあまりにも短い生涯において、その薬瓶のスライドとこの曲を究め続けた。オールマンズは「Statesboro Blues」を爆音のライブ仕様へと改造し、ライブ盤の金字塔『At Fillmore East』のオープニングを飾った。デュアンは「You Dont Love Me」の壮大なジャム、「Blue Sky」の穏やかな安らぎ、「Layla」の恋に破れた叫びなど、24年間の人生に伝説的なプレイを詰め込んだ。だが、彼の物語のすべてはこの曲に集約されている。葬儀の際、残されたバンドメンバーたちはこの曲を演奏し、彼を送り出した。
12位
マイケル・ジャクソン 「Beat It(今夜はビート・イット)」
1982年|アルバム『Thriller』
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エディ・ヴァン・ヘイレンの実兄でありバンド仲間でもあるアレックスでさえ、どうしても理解できなかった。なぜエディは、マイケル・ジャクソンの楽曲に提供するわずか20秒のゲストソロのために、クレジットも報酬もなしに、ギタリストがそれまで蓄積してきた最大の武器であるトリックの数々をすべて解放してしまったのか? 両手タッピングから魔法のようなハーモニクスのスクイール、猛烈なトレモロ・ピッキングに激しいアーミングまで──その後10年のスタンダードとなる語彙のすべてがそこに凝縮されている。これは録音された音楽の歴史において、おそらく最も寛大なゲスト出演であり、これほどまでの名演がポップソングを彩った例は前にも後にもない。Run-D.M.C.がエアロスミスに出会うずっと前に、このソロはジャンルの壁を打ち破り、マイケルが黒人アーティストのビデオ放映を渋っていた初期MTVの壁を突破する大きな助けとなったのである。
11位
ジミ・ヘンドリックス 「All Along the Watchtower(見張塔からずっと)」
1968年|アルバム『Electric Ladyland』
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「All Along the Watchtower」は、ジミ・ヘンドリックスが手をつける前からすでに名曲だった。ボブ・ディランの1967年のアルバム『John Wesley Harding』に収録された、削ぎ落とされたアコースティックな聖書の寓話であり、彼の最も不気味な楽曲の一つだ。しかし、長年のディラン狂であったヘンドリックスは、この曲を全く別のレベルへと引き上げ、荒れ狂うギターの嵐へと劇的に再構築した。彼はオリジナルがリリースされたわずか数週間後、『Electric Ladyland』のためにこの曲を録音した。5つのパートからなる彼のソロは、殺伐とした雰囲気に命を吹き込んでおり、特に2分過ぎの幽霊のようなスライドの呻きは圧巻だ。「本当に圧倒されたよ」とディランは1995年にヘンドリックスのバージョンについて語っている。「彼には才能があった。曲の中にあるものを見つけ出し、それを精力的に展開することができたんだ。他の人が見つけようとも思わないようなものを、彼は見つけ出した。彼が使った独特の『間』によって、おそらく曲はより洗練されたものになったんだ」
10位
ザ・ビートルズ 「While My Guitar Gently Weeps」
1968年|アルバム『The Beatles』(White Album)
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この『White Album』屈指の名曲は、ザ・ビートルズの全楽曲の中でも最も伝説的なソロを擁するが、実際に弾いたのはジョージ・ハリスンの親友、エリック・クラプトンだった。それはロンドンへ向かう車中でのジョージの気まぐれな誘いから始まった。クラプトンは「ビートルズのセッションで弾く奴なんていない!」と恐縮したが、ジョージは「それがどうした? 俺の曲だぞ!」と一蹴。しかし、ジョージには狙いもあった。アビー・ロード・スタジオ内でのメンバー間の衝突に嫌気がさしていた彼は、尊敬されるゲストがいればメンバーも行儀よく振る舞うだろうと考えたのだ。彼の読み通り、「全員が最高に礼儀正しかった」という。クラプトンは、ジョージにプレゼントしたばかりの「ルーシー」という愛称のチェリーレッドの1957年製レスポールを使い、極めてハリスンらしい情感豊かなソロを奏でた。ジョージはこのギターをその後も愛用し、『Abbey Road』の「Something」などでも使用している。(皮肉にも、パティ・ボイドに捧げた最もロマンチックなラヴソングは、後に彼女を奪い合うことになる親友から贈られたギターで弾かれたのだ)
9位
ファンカデリック 「Maggot Brain」
1971年|アルバム『Maggot Brain』
Michael Ochs Archives/Getty Images
伝説によれば、Pファンクの総帥ジョージ・クリントンは、ギタリストのエディ・ヘイゼルに「母親が死んだと聞かされた直後のような気分で弾け」と命じたという。その結果生まれたのが、純度100%の悲しみをそのまま放出するような、胸が張り裂けるほど衝撃的なインストゥルメンタルだ。ジミ・ヘンドリックスを崇拝し、独学でギターを学んだヘイゼルは、Pファンクの歴史に多大な貢献をしたが、この暗く不穏で、それでいて最高にグルーヴィーな1971年のアルバム冒頭を飾る10分近いギターソロは、今なお彼の遺産の礎となっている。音符は「弾かれる」というより、楽器から「むせび泣き、引きずり出されている」かのようだ。ヘイゼルは最終的に、終盤の数分間でエコーペダルの灰の中から不死鳥のように立ち上がり、不屈の精神を呼び覚ます。「過去の亡霊を呼び起こす音楽だ」とリビング・カラーのヴァーノン・リードは語る。「苦しみ、そして喜びを呼び起こす。これは傑作だ」
8位
スティーリー・ダン 「Kid Charlemagne」
1976年|アルバム『The Royal Scam』
Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images
スティーリー・ダンらしい逸話だが、ラリー・カールトンはこの曲のギターソロのために、スタジオでドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーと共に少なくとも90分以上を費やした。ギブソンES-335の使い手として「Mr. 335」の異名を持つほど名高いこのジャズ育ちのギタリストは、ベッカーの命によりフェンダー・ストラトキャスターで何度もテイクを重ねた後、ようやくメインギターに戻ることを許されたという。カールトンはあるインタビューで、この曲での自らの名演にふさわしい超然とした態度で「その直後だったよ、ノッてきたのは」と回想している。中盤とアウトロのソロ(後者はワンテイクで録音された)は、複雑さと余裕を見事に両立させており、宇宙的なジャズの捻りを恐れない純金級のポップ・ロック・メロディを奏でている。そのフレーズが揺らぐことは決してなく、最も速く、あるいは棘のあるパートでさえ軽やかに滑走し、一音一音が吸取紙から滲み出るインクのように溶け合っていく。
7位
レッド・ツェッペリン 「Stairway to Heaven(天国への階段)」
1971年|アルバム『Led Zeppelin IV』
Michael Putland/Getty Images
「『Stairway to Heaven』は、バンドのエッセンスを結晶化させたものだと思った」と、ジミー・ペイジは1975年に本誌に語っている。彼の言葉に間違いはない。アルバム『IV』に収録された8分間に及ぶ叙事詩は、メンバーそれぞれの最高の持ち味を凝縮している。ロバート・プラントによるケルト文化に触発された牧歌的な歌詞とアイコニックな咆哮、ジョン・ポール・ジョーンズによる神秘的なリコーダーと鍵盤、そして天国と地獄を同時に呼び起こすジョン・ボーナムの雷鳴のようなドラムだ。
そして、あの眩いフィナーレのために、ジェフ・ベックから贈られた1959年製フェンダー・テレキャスターを手にしたペイジが登場する。彼のソロは完全に即興で録音され、「最初の閃きこそが最良」という言葉を証明するかのような、メロディとパワーの極致を体現している。それは楽曲を締めくくるにふさわしい圧倒的な強度を持ちつつ、決して他のアンサンブルをかき消すことはない。「どんなミュージシャンも、長く語り継がれるような質の高いものを残したいと願うものだ」とペイジは言う。「そして、俺たちはそれをこの曲で成し遂げたんだと思う」
6位
チャック・ベリー 「Johnny B. Goode」
1958年|アルバム『Chuck Berry Is on Top』
Michael Ochs Archives/Getty Images
チャック・ベリーは、ギターヒーローの究極のアンセムである「Johnny B. Goode」において、私たちが知るロックンロール・ギターソロの雛形を完成させた。冒頭18秒間のフレーズ連射は、まさに「世界中に響き渡った一撃」であり、このリストに名を連ねるギタリストの半数に初めて楽器を手に取らせるきっかけとなった巨大な電気的衝撃だった。キース・リチャーズが語る通り、「チャックこそが俺たち全員の生みの親」なのだ。
母親から「行け、ジョニー、行け!」と鼓舞されながらギターをかき鳴らすルイジアナのカントリー・ボーイの物語だが、これはニューオーリンズでの初ギグの経験と、その街の歴史から着想を得たものだった。彼は自叙伝の中で「かつて奴隷たちが連れてこられた街の一つに、自分の(黒人としての)名前がポスターで掲げられているのを見た興奮が、この曲になった」と記している。アメリカ音楽のあらゆる伝統がチャック・ベリーのギターに宿っており、これ以上に大音量で、これ以上に不屈な響きは他に存在しない。
5位
ヴァン・ヘイレン 「Eruption(暗闇の爆撃)」
1978年|アルバム『Van Halen』
Lynn Goldsmith/Corbis/VCG/Getty Images
ヴァン・ヘイレンがセルフタイトルのデビュー作をリリースしてから半世紀近くが経つ今、アルバムの2曲目に収められたわずか1分42秒のギターソロ「Eruption」が、その後のギター史に与えた衝撃を推し量ることはほぼ不可能に近い。エディ・ヴァン・ヘイレンによるこの簡潔な所信表明は、革命的な両手タッピング、変幻自在なアーミング、目も眩むようなスピード、そして彼が「ブラウン・サウンド」と呼んだ芳醇なオーバードライブ・トーンを提示し、新世代のギタリストたちの語彙を決定づけた。
「後から再現できないミスが混じっている」としばしば不満を漏らしていたエディ本人の話によれば、この曲の収録はほとんど思いつきだったという。「その夜にウィスキー・ア・ゴーゴーでやるショウの練習をスタジオでしていて、俺はソロのウォーミングアップをしていたんだ」と、彼はジャーナリストのジャス・オブレヒトに語っている。「プロデューサーのテッド・テンプルマンが通りかかって、『今の何だ?』と訊くから、『ああ、ライブでやってるちょっとしたネタだよ』と答えた。すると彼は『最高じゃないか、レコードに入れよう!』と言ったんだ」
4位
ピンク・フロイド 「Comfortably Numb」
1979年|アルバム『The Wall』
Pete Still/Redferns/Getty Images
デヴィッド・ギルモアによる超越的な「Comfortably Numb」のソロは、単一のテイクではなく、5、6回のテイクの中から最高の部分を繋ぎ合わせたものだ──もちろん、その継ぎ目を感じさせることなど微塵もない。「いつもの手順に従っただけさ。それぞれのソロを聴き返し、小節ごとに印をつけて、どのパートが良いかを選んでいくんだ」とギルモアは語っている。彼は耳を引くフレーズが現れるたびにフェーダーを操作し、キャリアで最も人々の心を揺さぶるソロという名の「音のモザイク画」を完成させた。
そのプレイはむせび泣くようで、ソウルフルで、どこまでも美しい。アルバム『The Wall』の陰鬱な世界観に、切実な人間味という温もりを吹き込んでいる。幸運なことに、ロジャー・ウォーターズの脱退後もギルモアはこの曲をセットリストに残し、ライブ盤『Pulse』や、近年のソロ公演などで、その世界を見事に拡張し続けている。ギルモアによれば、ステージでこのソロを弾くたびに、それは常に新しい何かへと生まれ変わるのだという。
3位
イーグルス 「Hotel California」
1976年|アルバム『Hotel California』
Richard E. Aaron/Redferns/Getty Images
「Hotel California」で繰り広げられるツインギターの決闘が、70年代ロック・ラジオが生んだ比類なき至宝であることは否定しようがない。1976年のアルバムのタイトル曲というマラソン・ナンバーにおいて、プロデューサーのビル・シムジクによって永遠に刻まれたこのソロは、ジョー・ウォルシュとドン・フェルダーという二人の凄腕による真昼の決闘だ。
また、このソロは極めて「歌える」ものでもある。クライマックスで車のハンドルを握りながら、そのメロディを一緒に口ずさんだ経験は誰にでもあるはずだ。「フェルダーと俺の間には常にちょっとした競争があった。いつもお互いを出し抜こうとしていたんだ……『ほう、じゃあこれはどうだ!』ってね」と、ウォルシュは2013年のドキュメンタリー『History of the Eagles』で語っている。
オリジナル録音であれステージであれ、このギターソロは常に「冷たい風」と「コリタスの温かい匂い」を呼び起こす。B.B.キングやボブ・シーガーの作品も手がけたシムジクはこう断言する。「『Hotel California』のエンディングは、私のレコーディング・キャリアにおける最高到達点の一つだ」
2位
ジミ・ヘンドリックス 「Machine Gun」
1970年|アルバム『Band of Gypsys』
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ギター一本でジミ・ヘンドリックス以上の境地に達した者はいないが、この「Machine Gun」こそが「最もジミらしいジミ」を捉えた瞬間といえる。彼の音楽的天才性が、最も野心的で生々しく、ソウルフルかつ捨て身の覚悟で表現されているからだ。1970年の元旦、フィルモア・イーストでの実況録音盤『Band of Gypsys』に刻まれた12分間の炎の嵐は、ベトナム戦争やアメリカ国内の暴力に触発された、エレクトリックな苦悩と政治的怒りに満ちている。
スラッシュが「これこそが聖杯だ」と呼び、カーク・ハメットら多くのレジェンドたちが、これを史上最高のソロとして崇めてきた。「私にとっての史上最高というだけでなく、エレクトリック・ギター史における最も偉大な『一音』がここにある。ソロの冒頭でジミが放つ、あの高く叫ぶようなロングトーンだ」とフィッシュのトレイ・アナスタシオは語る(4分ちょうど辺りを聴いてみてほしい)。
ヘンドリックスには数々の代表曲があるが、彼が最も遠い場所まで辿り着いたのはこの曲だろう。半世紀以上が経った今もなお、「Machine Gun」はギターという楽器、そしてギタリストという存在が到達しうる限界点であり続けている。
1位
プリンス 「Purple Rain」
1984年|アルバム『Purple Rain』
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「Purple Rain」の起源には数々の伝説がある。プリンスは当初、これをカントリーソングにしようと考えていた。あるいはスティーヴィー・ニックスに提供したが、彼女が「あまりにドラマチックすぎる」と断ったという説もある。はたまた、ザ・レヴォリューションの練習場に迷い込んだホームレスの女性が最初の聴衆だったという逸話まである。
しかし、そんな背景はもはや重要ではない。世界にとってこの曲が真に産声をあげたのは、1983年8月3日、ミネアポリスのクラブ「ファースト・アベニュー」のステージだった。そこでプリンスは、単なるテクニックの披露を超え、震える魂の叫びをギターから絞り出したのだ。驚くべきことに、それがこの曲の初演であり、アルバムに収録されたテイクそのものなのである。
プリンスのギターの腕前は当時すでに周知の事実だったが、この曲における流麗なフレーズ、そして天国へと昇りつめていくような響きを生む繊細なピッキングは、どんな難解な歌詞よりも「Purple Rain」の本質を雄弁に物語っていた。
From Rolling Stone US.
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